21 事故死だ
倉庫に踏み込んだのは、男だった。
ルチアはすぐ、以前に自分を襲ってきた夜盗だと直感する。一度、糸で触れた人間は雰囲気や空気で、ある程度は判別出来る自信があった。
あの夜盗がここにいるということは、やはり、襲われたことには意味があるということなのか?
エドが狙いなのに、何故、ルチアを襲ったのだろう。
ルチアは背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、身を縮めた。
空っぽのワイン樽の中で身を丸め、じっとしているのは苦痛以外のなにものでもない。エドの身体は思った以上に大きくて、空間に余裕がなかった。
このまま、気づかずにいてくれればいいのだが……両手を縛られているせいか、ふたを閉める余裕までなかった。樽の中を覗きこまれた瞬間に、全てが終わるものと思わなければならない。
男は倉庫の中にルチアがいないことに気づくと、苛立った様子で探索しはじめた。荒っぽくものが倒される音を聞きながら、ルチアは身を震わせる。
糸で縛ってしまおうか。
しかし、これはエドの身体だ。上手くいく保証もないし、器と魂が別の人物ということは、それだけ不安定ということだ。無理をして、もっとおかしなことになれば、取り返しがつかない。
ルチアの身体が近づいてくれれば元に戻れるが、そんなに都合の良いこともないだろう。
助けて……!
ルチアの異変に気づいて、ヴァンツァが探してくれているかもしれない。
今、自分が入っているのはエドの身体だ。王子様の命がかかっているのだから、絶対に探している。助けてくれる。そのはずだ。
しかし、間に合う保証はどこにもない。もしかすると、また「王族が相手だから~」とかなんとか言って、行動を渋っているかもしれない。肝心なときに役立たずのお貴族様だ。
……あんなお貴族様、アテにならないわ。自分でなんとかしないと。
そういう結論に至って、ルチアは唇を噛んだ。
足音が樽に近づいてくる。
ルチアは息を殺した。
「――――!」
男が樽に近づき、覗き込む。
その瞬間を見計らって、ルチアは狭い樽の中で思いっきり体重を傾けた。勢いで樽が横倒しになり、石の床を転がる。そして、衝撃で大破した。
木片で肩を強打してしまうが、ルチアは急いで壁にもたれながら立ち上がった。
両手が塞がっているうえに、いつもと身体の大きさが違うため、感覚が狂って足もとがよろめく。
「えっと……」
これから、どうしよう。
周囲が見えなかったせいで、入口とは反対方向に逃げてしまった。目の前の男は銀に輝くナイフを構えており、全く隙がうかがえない。
最初に襲われたときは糸が使えたのでなんとかなったが、今はそれも出来ない。両手を縛られたままでは、満足に走ることも叶わないだろう。
「話し合い、とか出来ないわよねぇ」
一応、提案してみるが、やはり、無意味のようだ。男はじりじりと間合いを詰め、ルチアに迫ってくる。
「わたしを殺す気? あー、でも。今、身体はエドなのよね。ってことは、やっぱり、わたしじゃなくてエドを狙ってるってことでしょ。だったら、なんでもっと早くそうしなかったのよ」
答えが返ってくるとは思えないが、ルチアは相手の気を引こうと、話を引き延ばす。
「そうだ。見逃してくれたら、うちの劇団の入場券あげるわ。いいでしょ、ルチア・ゼレンカの舞台よ。あー、その前に元の身体に戻らないといけないんだけど……って、ひゃっ。人の話聞きないさいよ!」
なんとか時間稼ぎ出来ないかと試みても、聞いてはもらえない。
ルチアはナイフを振りかざした男から逃げようと、体重を後ろへ傾ける。だが、上手く避けることが出来ず、足が絡まって石の床に倒れ込んでしまった。
「ったあ……」
ルチアは床に打ちつけた頭を手で押さえ、痛みに顔を歪めた。だが、すぐに表情を明るくする。
両手首を縛っていた縄が切れていた。男がナイフを振り降ろしたときに、偶然掠めたのだろう。一歩間違えば腕が飛んでいたかもしれないとが……そんな不吉なことは考えないことにする。
ルチアは自由になった手を使って、散らばっていた樽の木片を男に投げつけた。けれども、男はそんなものなど、易とも簡単に弾き飛ばしてしまう。
弾かれた木片がワインを並べてある棚に直撃し、倉庫に虚しい音を共鳴させた。
「あ! あんなところに、エルネスティーネの魔女人形! すごーい。こっち見てるわ!」
ルチアは、なんとか男の注意を引こうと宙を指差してみる。
男は少しも視線を逸らしてくれなかった。魔女人形ではなく、道化か少女の方が好みだったのかもしれない。
「あ、上。危ないわ!」
再び声を上げ、男に注意を促す。当然のように聞いてくれない。
ルチアはじりじりと、後ろに身体を移動させた。
「…………ッ!?」
ほどなくして、暗い倉庫に物音が響く。
そして、男の頭上目がけて落下するものがあった。――先ほどぶつかった木片によって、バランスを崩したワインの瓶が落下したのだ。ガラスの割れる音が、薄暗い空気を劈く。
「せっかく、注意してあげたのに」
ルチアは、ワインを浴びて真っ赤に染まった男を押し退けて走った。そして、一目散に出口を目指す。
けれども、大した怪我はしていないのか、男がすぐに追ってきた。
ルチアは即座に出口に手をかけ、外に逃げようとする。この倉庫がどこにあるのかわからないが、出れば助けだって呼びやすいだろう。
ルチアが扉に手をかけた瞬間、背後から銀の一閃が飛んでくる。
ルチアに命中することはなかったが、投擲されたナイフは木製の閂を見事に射抜いていた。
「うそ!?」
ルチアは両手でガタガタと閂を揺らすが、古びた扉の閂は深々と刺さったナイフに固定されてしまっており、扉は少しも動かない。
ナイフを抜こうにも、簡単には外れてくれなかった。
戸惑うルチアの肩を男がつかみ、身体を反転させる。
「や、やだ……」
もう、ダメかも……!
男はルチアの首に手をかけ、一気に絞めあげる。
息が苦しくて、声さえ出ない。血が頭に溜まり、顔が熱くなって腫れあがっていく気がした。それと共に、思考が止まって意識も薄れていった。
「助……ッ」
だれか、助けて……唇が言葉を描くが、声にはならない。
「――チア。いるのか、ルチア!」
誰かの声がする。扉の向こう側だろうか? もうなにも考えられずに、ルチアは薄れていく世界を虚ろに見据えた。
誰の声?
「――ヴァン、ツァ……?」
意識したのか、無意識なのか、わからない。
ただ、唇は確信を持ってその名前を口にしていた。
その直後、木の扉が跳ね飛ぶような音がして、ルチアの身体が解放された。
† † † † † † †
勢いで蹴破った扉の蝶つがいが跳ね飛び、内側に向けて倒れる。
ヴァンツァが踏み込むと、中で男が舌打ちしていた。男はとっさに(エドの身体に入った)ルチアを突き飛ばすと、素早く身構える。
ヴァンツァはよろめくように倒れるルチアの身体を受け止めた。
「ヴァ、ンツァ?」
ルチアがヴァンツァを見上げて震えていた。
先日、夜盗に襲われた夜と同じように青灰色の瞳が涙で揺れ、服を弱々しくつかまれる。あのときのことが思い起こされるが、苛立ちは覚えない。むしろ、こんな顔をさせてしまった自分が情けなく思えてくる。
「怖か……った」
「黙っていろ」
ヴァンツァはルチアの肩をきつく抱きしめたあとに、自分の後ろに回り込ませる。その頃には、後から追いついたエドが倉庫の中に入ってきていた。
男がさげていた剣を抜き、斬りかかる。ヴァンツァは鞘に入った自分の剣をかかげてそれを防ぎ、受け流した。
身をひるがえしながら男の懐に入り込み、剣の柄を鳩尾に叩きこむ。
耐え難い衝撃に、男は低く呻くと、そのまま石の床にくずおれる。勝負は一瞬で片づいた。
「逃げた方が賢明だったな」
ヴァンツァは鞘に入ったままの剣を腰に戻した。
ジェハーク家は王家を守護する騎士貴族だ。騎士階級にありながら侯爵以上の特権を許されている代わりに、主人と決めた王族を生涯守る義務がある。
雇われた刺客の一人や二人、相手に出来なければ話にならない。
「ルチア……!」
振り返ると、ルチアが壁にもたれて目を閉じていた。
首には、くっきりと絞めつけられた赤い痕が残っている。ヴァンツァは即座に膝をつき、ぐったりとする身体を抱き起こした。
「もう大丈夫だぞ」
ヴァンツァの呼び掛けに応えるように、ルチアが瞼を開ける。柔らかな色彩の青灰色の瞳がヴァンツァを心細そうに見上げた。
今度こそ無事だった。ヴァンツァは居ても立ってもいられずに、ルチアを腕の中におさめてしまう。
見据えると、ルチアは安心したのか唇をかすかに綻ばせた。
「あのさ、ヴァンツァ」
いや、その笑顔は恐怖から解放された少女のものではない。――悪戯好きの子供のように無垢で、凶悪な笑みが浮かんでいた。
「本当さ、毎度毎度申し訳ないと思うんだけど、君の求愛は流石に受けられないんだよね」
「――いつの間に戻ってたんだ?」
「さっきの間」
ヴァンツァは慌ててルチア、ではなく、きちんと自分の身体に戻ったエドから身を剥がし、慌てふためいた。
振り返ると、エド、ではなく、ルチアが気まずそうな表情でヴァンツァを見ている。
「それにしても、なんだか僕ばっかり貧乏くじ引かされた気分だ。人形移りにされるし、元に戻ったと思ったら、あちこち痛むし、首周りは苦しいし。さっきは胸まで触られるし」
「あれは事故だろう。今更蒸し返すな!」
慌ててエドの口を塞ごうとするが、遅い。
エドの言葉を聞いたルチアが顔を真っ赤にしながら、信じられないものを見るような眼で二人に視線を向けていた。
「触ったって……それって、わたしの身体の話でしょ!?」
知らない間に不埒な真似をされて平気なわけがない。ルチアは憤怒と軽蔑の色を視線に乗せると、わなわなと唇を震わせる。
「誤解だ。あれはエドが悪――」
「あんた、最低ッ!」
「だから、事故だ。誰が好き好んで、そんな真似するか! 事故だ!」
ヴァンツァの言い訳など、聞き入れてもらえない。
どうすればいいのか気を揉んでいると、ルチアは素っ頓狂なことを口走りはじめた。
「いくらエドが大好きだからって、なにもわたしの身体でベタベタしなくていいでしょ!?」
「は? なにを言っているんだ」
思わず間抜けな声で聞き返すと、ルチアは恥ずかしそうに俯きながらつぶやく。
「今、エドのこと思いっきり抱きしめたじゃない」
予想斜め上の誤解をされてしまったようだ。
ルチアは二人から少し距離を置こうと、一歩ずつ後すさりする。
「どこをどう勘違いすれば、そうなるんだ!?」
ヴァンツァは誤解を解こうとするが、ルチアは彼から逃げるように視線を逸らす。
「べ、別に悪くはないと思うわよ……そうだ。女装とか、似合うんじゃないかしら。顔綺麗だし? ミランに教わればいいわよ」
最後の方は大真面目に助言されてしまい、ヴァンツァは返す言葉もなかった。
「あんた、エドのこと元に戻そうと必死だったもんね。がんばって! わたしも応援するから!」
なにをどう、がんばればいいんだ……むしろ、がんばる必要性と意味が全く見つからない。
言い知れない脱力感に苛まれ、ヴァンツァは深く項垂れる。
その隣で、事の成り行きを否定すらせず、エドが愉しげに笑っていた。




