表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/28

19 ちょっと恥ずかしい

 

 

 

 椅子に座るルチアの身体が急に跳ねあがり、短い悲鳴を上げる。

 ヴァンツァは即座に異変を感じ取り、ルチアの身体を揺すった。


「おい、どうした!」


 しかし、ルチアは力なく床に倒れ込むと、糸が切れた人形のように動かなくなる。


「だれ……?」


 唇からかすかに漏れた言葉。

 いったい、なにを見たのだろう。

 その一言をつぶやいたきり、ルチアは少しも動かなくなってしまった。


 呼吸はしている。脈も正常だ。ただ眠るように眼を閉じて――エドと同じだった。ヴァンツァはとっさにルチアの身体を抱きあげ、声を荒げる。


「起きろ、戻って来い!」


 叫んでも、揺すってもルチアは反応を示さない。力なく床に落ちる腕や、身体の重みが虚しくヴァンツァにのしかかった。


 心の中に、いつかの闇が蘇り、思考が停止する。

 全部、ヴァンツァが悪い。――そんな言葉が闇を塗り潰すように繰り返される。


 エドを守れなかった。そのうえ、ルチアに危険なことをさせ、こんなことになってしまった。全部、ヴァンツァの責任だ。

 エドから離れなければよかった。ルチアに頼らず、自分の力でイグナーツを追い詰めるべきだった。今から後悔しても遅い事実が、押し迫るように胸を支配していく。


「ルチア、おい! ……起きろ!」


 ヴァンツァは、どうにもならないとわかりながら、ルチアの身体を揺さぶって名前を呼ぶ。

 今まで名前で呼んだことなどなかったが、その響きは不思議と違和感なく、胸にストンと落ちるような気がした。


「ルチア。ルチア・ゼレンカ! いつもうるさいくせに、急に黙ると調子が狂うだろ。お前は人形遣いであって、人形なんかじゃない。気持ち悪いから、なにか喋れ!」


 ルチアが食いつきそうな罵倒を繰り返しても、返事はない。

 ヴァンツァは顎が軋むほど奥歯を噛み、力ないルチアの身体を抱きしめた。


 いつもリュントを背負って歩く少女の身体は、思いのほかしっかりしている。だが、男のそれとは比べ物にならないくらい小柄で、心もとない。

 こんな風に異性を抱いたことなどなく、頭の中で「不埒だ!」と叫んだ。しかし、何故か身体が言うことを聞かない。こんなことは初めてで、なにも考えられなくなる。ただ、今まで抑えていたなにかが燃えるように激しく熱を求めていた。

 本能なのか、衝動なのか……なにかに任せるまま、ヴァンツァはルチアの身体を抱きしめた。どうしてそうしているのか、自分でもわからない。


「…………ん」


 きつく抱きすくめるヴァンツァの腕の中で、ルチアがわずかに身動ぎした。

 ヴァンツァは驚きながらも、急いで少女の顔を覗き込む。


「ルチア!」


 ヴァンツァの声に反応して、ルチアの瞼が震えた。

 リュントを弾いて傷だらけの手に力がこもり、ヴァンツァの服をつかむ。


「あれ……なに、が。ヴァンツァ?」


 ルチアが不思議そうな眼差しでヴァンツァを見上げ、青空色の瞳を瞬かせている。

 ヴァンツァは離れようとするルチアの身体を引き寄せ、しなやかな腕の中におさめた。明らかに戸惑っているのがわかったが、有無を言わせない勢いで腕に力を込める。


「紛らわしい真似をするな。お前までいなくなると思った……!」


 声に熱がこもり、震えそうになる。自分が心底安心しているのだと気づいて、ヴァンツァは内心でかなり動揺した。

 だが、今はそれを隠す余裕などない。

 こんなに心が乱されるのは初めてだ。それまで、女に触れるのも億劫だったのに、今はこの手で……二度と離したくないと思うほどに、腕の力がこもってしまうのは、何故だろう。

 自覚したくはないが、意識せずにはいられない感情が理性の邪魔をする。


 まさか、そんなことは――ヴァンツァは心中で何度も否定しようとした。しかし、それを拒むように、腕にこもった力は抜けない。


「あのさ、ヴァンツァ……お取り込み中、水を差すようで悪いんだけど。ちょっと恥ずかしいよ?」

「俺だって恥ずかしいから、なにも言うな!」


 ヴァンツァ自身にも、自分がなにをしていて、なにを言っているのか、よくわからない。

 徐々に赤くなって熱を帯びていく顔を隠そうと、ルチアを押さえつけるように抱きしめた。


「君はよくてもね、僕にそんな趣味はないんだよ……流石に、男同士で熱烈に抱き合うのは困るというか、許容範囲外なんだよね。せいぜいハグまでで、よろしく頼みたいんだけど」


「は?」


 確かにルチアの声だが、口調は普段から聞き慣れているものだった。

 なにが起きているのか、いよいよわからなくなる。


「君のことは好きだし、人形を作るくらい愛しているつもりだよ。でも、あいにく、君を王太子妃には出来ないから。ごめんね」


 慌てて身を剥がすヴァンツァを見上げて、ルチアはニッコリと人懐っこい表情で笑っていた。




 † † † † † † †




 暗い闇の中で目を覚ました。

 だが、想像していた深い闇ではない。


 手首を縄で縛られ、肌が擦れる。

 冷たい石の床が徐々に体力を奪っていった。

 暗闇に目が慣れると、そこが倉庫のようなものだとわかる。樽や瓶が並んでいた。


 人形の身体では、ない。

 だが、自分の身体でもない。

 ……ややこしいことになってしまったらしい。


 完全に魂がエドの身体に引き寄せられてしまった。

 操っている状態ではない。ルチアから離れて、すっぽりとエドに入り込んでしまったのだ。


「やっちゃったかしら……」


 ルチアはやけに重い身体を起こそうと、近くの壁に肩をつける。両手を塞がれていては、起き上がるのさえ苦労してしまう。幸い、足元は自由だが、立ち上がって動き回るほどの元気は湧いてこなかった。


「うう。動き難いわね」


 暗い倉庫に響く自らの男声を聞きながら、ルチアは顔を歪めた。即座に糸を切らなかったせいで、おかしなことになったのかもしれない……。


 だが、すぐに顔を上げて、倉庫の入り口に視線を移す。誰かが扉を開けて、中へ入る音が聞こえた。

 自分(正確にはルチアの身体ではない)をここまで運んだ犯人かもしれない。ルチアは動きにくさを覚える身体で立ち上がり、隠れられる場所はないかと周囲を一瞥した。

 足音が近づいてくる。

 ルチアは凍りつきそうなほど緊張した身体を落ち着かせようと、唇を噛んだ。

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ