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1 人形遣い

 

 

 

 斜陽に染まる王都で、影が跳ねる。

 黄金の都とも称されるチェスク王国の都レーヴェは、その呼び名の通り、沈みゆく太陽の輝きを吸い込んで、燃えるような色を湛えていた。

 人口が密集する大きな都市特有の、上に積み重なるように建てられた背の高い住宅。その間を縫うように、狭い道が何本も張り巡らされている。


『ルチアや、待っておくれ!』


 暗い影が蝕む細道を突き進みながら、ルチア・ゼレンカは後方を振り返った。

 黄昏とは対照的な青空の色を宿す瞳は、気丈で自信に満ち溢れている。キュッと引き結ばれた唇は薔薇の花弁を押し当てたように愛らしい。

 亜麻色の髪を振って歩く仕草や表情は堂々として大人びているが、丸みを帯びた白い頬は少女のそれだ。背には半洋梨型の木製楽器リュントを担ぎ、腰からは三体の木彫り人形が垂れ下がっている。


 典型的な人形遣いの装いだ。


 ルチアは迫りくる藍闇に追いやられる夕陽を気にしながら、足を止めた。反動で花の模様が刺繍された黒いスカートが揺れる。


「早くしないと日が暮れちゃうわ。そう言ったのは、クルトでしょ?」


 気が強い物言いをしながら、ルチアは呆れて腰に手を当てる。すると、彼女を後ろから追ってきた少年――クルトが息を切らした。

 クルトは柔らかい猫っ毛の下で頬を蒸気させる。だが、手にはしっかりと道化の木彫り人形を抱きしめていた。


『言ったには言ったが……ワシはちゃんと明日改めて行こうと言ったぞ。どこを聞いておるのじゃ』


 突然、少年の腕から木彫りの道化人形が飛び降りて喋りはじめた。

 カシュパーレクと呼ばれる老道化師の人形が大袈裟な動作を交えながら、ルチアの足元で跳ねまわる。


 人形遣いは人形を自在に操る技術を持った芸人(パフォーマー)の総称だ。


 自分の魂を糸のように細く紡いで扱い、それで人形を操る。

 傍から見れば糸も仕掛けもついていない人形が独りで動いているように見える。熟練すれば複数の人形を一度に操ることが可能だし、歌ったり喋らせたりすることも造作ない。


 クルトも見習いだが、人形遣いの端くれだ。彼はいつも自分の口ではなく、人形のカシュパーレクを通じて意見を言うのが常だった。

 勿論、人形遣いが皆こうではない。むしろ、クルトは特殊な部類の人間だ。


「明日じゃダメなのよ。今日を逃したら、来週まで機会が伸びちゃうわ……公演が長引かなかったら、もっと早い時間に行けたのに」

『公演を長引かせたのはお前さんじゃろう? 調子に乗ってアンコールを何本も演じおって。後先考えずに行動するのは悪い癖じゃ……人形以外のことも、たまには考えたらどうなのじゃ?』

「だって、気分が良かったのよ。あんなに気持ち良く演じたのは久しぶりだったんだもの。ノリの良いお客がたくさん入ってくれていたお陰ね」

『人形遣いが客を選ぶな。小娘のくせに』

「いつもちゃんとやってるでしょ。別に選んでるわけじゃなくてよ。わたしの舞台を見てくれるなら、どんなお客でも歓迎。ただ、気持ちよく公演出来れば更に満足ってだけ」


 言葉に自信たっぷりな笑みを乗せながら、ルチアは再び歩き出した。


 ルチア・ゼレンカの名は人々の間で評判になりつつある。


 彼女は今人気上昇中のゼレンカ劇団が誇る人形遣いであり、人々から「マリオネット姫」と称されている。その自信と評判通り、ルチアは舞台に立つようになってわずか半年で人々から注目される若手人形遣いに名を連ねた。


 時代遅れで古風なリュントを巧みに操りながら、人形が何体も出演する大掛かりな舞台もたった一人で演じてみせる少女。

 一度に十五体もの人形を寸分の狂いなく操り、伝統的だが扱いの難しいリュントを完璧に弾き熟せる人形遣いは、何人も存在しない。


 ルチアは父テュヒョ・ゼレンカの作りあげた小さな劇団を一躍有名にしてみせた。一部では、天才と称されている。


『まあ、ワシはお前さんが儲けてくれる分には、まったく文句は言わんがね。ヒッヒッ』


 カシュパーレクを通じてクルトが笑う。

 人形に怪しい老人の声を出させながらも、本人の顔はいたって無邪気で、子犬のように可愛らしい。しかし、ルチアはその裏側で、彼が今日稼いだ入場料を計算している抜け目ない守銭奴だということを知っていた。

 後先考えないルチアが劇団長を務めていても、劇団の資金がちゃんと回っているのは、彼のおかげでもあるのだが。


 狭い路地を抜けると、王都を貫く大河沿いの通りに出た。

 斜陽の燈を最期に留めようと輝く太陽の光を照り返して、大河が橙に染まっている。

 その向こう側には、小高い丘の上にそびえる王城が見える。

 向こう岸とこちら側を結んで大河を横切るのは、石造りのフランチェスク橋だ。その造形が美しく、何度見ても感嘆の声を漏らしそうになる。


 路上では、劇団に所属しないフリーの人形遣いが客の目を引こうと、人形を自在に操っている。糸のついていない人形がピョンピョン跳ねまわる姿を見て、幼い子供たちが嬉しそうに声を上げていた。


『とっとと用事を済ませて帰るぞ。夜になると危ないからな。最近は人気の人形遣いを狙った事件も多いからのう。看板娘になにかあったら、ワシの儲けがげふんげふん……いや、劇団が大変じゃ』

「クルトって、自分の欲望ダダ漏れよね」

『なにを。人形のことしか考えておらぬ馬鹿娘よりは、よっぽど生産的じゃ! それに、これは、このワシ、カシュパーレクの戯言じゃよ。クルト坊やは、それはそれは優しい少年じゃ。こんなに良い子は滅多におらんぞ?』

「自分で言ってて恥ずかしくないのかしら?」

『だから、ワシはカシュパーレクじゃ!』

「はいはい」


 軽い多重人格のようなものかもしれない。ルチアも人形を操って演技するときは、自分ではない誰かになるつもりで臨む。人形遣いなら、誰でもそうだろう。

 クルトのように四六時中カシュパーレクで会話する者は流石にいないが。


『で、どこじゃ?』

「うるさいわね。たぶん、この辺よ」

『お前さんが地図など読んで、大丈夫かのう? すぐ間違えるからな』

「もう、黙っててよ」


 ルチアは通りの名前を確認しながら、立ち並ぶ家々を見回した。

 自慢ではないが、道を覚えるのは苦手だ。加えれば、地図を読むのは更に嫌いだ。それでも、手探りで目的地を探した。


 大河に沿ったハヴェル通りに住むエド。

 王都では有名な人形師だ。彼の作る人形は王国でも指折りの素晴らしさだと評判だった。今回、ルチアは、その人形師に人形の制作を依頼する。


 一ヶ月後、王城で開かれる独立祭がある。

 独立祭では毎年、人形遣いが腕と舞台の出来を競い合う祭典が行われるのだ。ルチアは今年の祭典に出場したい。そのために、新しい人形を調達したかった。


 ルチアのお陰で少しは稼げているとはいえ、ゼレンカ劇団の金庫には余裕がない。守銭奴のクルトは新しい人形を買うことに渋い顔をしているが、祭典に出るためには仕方がない。とっておきの演目だって用意しているのだ。

 それに、優勝すれば中央劇団での公演権と、賞金100万コルナである。高い投資ではない。


『しかし、そんな胡散臭い男が本当に腕の良い人形師なのかのう? ワシは、もっと安い値の職人に頼んだっていいと思うんじゃが……週に一回しか店を開けないなど、やる気がないとしか思えんな。もっと、儲けるべきじゃよ』

「頼むかどうか決めたわけじゃないわ。彼の人形を見て、気に入らなければ他を当たる」

『向こうも客を選ぶと聞いておるが? 名のある人形遣いが断られたなんて話もあるな』

「あら、このルチア・ゼレンカが人形師一人満足させられないとでも?」


 ルチアは自信満々に笑ってクルトを振り返る。


「あっ……」


 だが、不意に背中をなにかにぶつけてしまう。

 前方を見ていなかったせいで、通りすがった人に突っ込んでしまったようだ。背負ったリュントが衝撃で音を立て、腰に垂らした人形の一つが道に転がってしまう。


「ごめんなさい、わたしの不注意だわ」


 ルチアは急いでぶつかった人物を見上げた。けれども、その瞬間に次の言葉を見失ってしまう。


 綺麗な人――それが、第一印象だった。


 恐ろしく端正な顔がルチアを見下ろしていた。

 滑稽な木彫りの操り人形(マリオネット)ではなく、美しい陶器の愛玩人形(ビスクドール)のような印象を受ける整った眼鼻立ち。一見して男か女か判別つかなかったが、着ているものや逞しい長躯から男だとわかった。

 夜の闇を吸いこんだような黒く澄んだ瞳や、艶のある黒髪が夕陽の茜さえも塗り潰す。それらの特徴によく合う漆黒の装いに飾り気はないが、金糸の刺繍が施されており、どこか高貴で精錬された印象を受けた。


 カラスの紋章をあしらった立派な剣をさげているし、金持ちか貴族に違いないと、ルチアは直感する。


 ルチアは何故か、美しい顔立ちの青年をポカンと眺めてしまった。

 普段は舞台に関係するもの以外は目に留まらないのに、おかしな話だ。けれども、青年はそんなルチアなど素知らぬ顔で、気難しそうに腕を組む。


『ル、ルチア……これはまずいぞ、そいつは――』


 クルトが慌てて前に出る。

 だが、青年に鋭い視線を向けられて、言葉を途中で切ってしまう。それくらい、青年の眼は怜悧で凄味があった。まるで、氷の刃のようだ。


「気をつけろ」


 低いが、歌うように澄んだ声だ。妙に耳心地がよくて落ち着く。しかし、やや高慢で乱暴な印象を受けた。やはり、貴族かなにかだろう。

 青年は不機嫌そうに足元を見下ろす。

 彼はルチアが落とした人形を睨むと、一瞬、表情を濁らせた。だが、次には邪魔なゴミを扱うように、人形を爪先で軽く弾いてしまう。


「な……ッ。なにするのよ!」

 

 人形を蹴られた瞬間、ルチアは立ち去ろうとする青年の腕をつかむ。青年は仏頂面で振り返ると、煩わしそう口を開いた。


「人形遣い風情が。俺はお前たちみたいな子供騙しで金を取る輩が一番嫌いなんだ」

「子供騙しですって!? 人形劇は国王陛下もお認めになった、伝統ある立派な芸術よ。それのどこが子供騙しだって言うのよ!」


 ルチアの言葉に、青年は一拍間を置くが、あいかわらずの仏頂面だ。


「くだらないな」

「はあ!? あんた、本物の人形劇見たことないんじゃないの!? それとも、とびっきり可哀想な感性の持ち主なのかしら!」


 顔は綺麗なのに、口の悪い男だ。黒で固めた全身の色合いが陰気で、無意味に格好つけているだけに見えてくる。

 典型的な性格の悪いお貴族様のようだ。


 ルチアは思わず、背負っていたリュントに手を伸ばした。


『ル、ルチア。そんなもので人を殴って問題になったら、劇団の稼ぎが……げふんげふん、お前さんの将来がなくなってしまうぞ! その男、ジェ――』

「うるさいわね、クルトは黙ってて!」


 クルトに操られたカシュパーレクが二人の間に割って入る。だが、ルチアはリュントを手離さない。


「短気な娘だな」

「侮辱されたお返しよ。その減らず口、黙らせて差し上げるわ。このルチア・ゼレンカを怒らせて、ただで済むと思わないでもらいたいわ」

「――ゼレンカ?」

 

 

 

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