15 お貴族様とクリーム
問題は、エドの人形を誰が持ち去ったかだ。
最初から人形移りにするつもりで近づいて、人形を持ち去ったのか。それとも、何者かに襲われた衝撃で人形移りを起こしてしまったのか。
もしかすると、ルチアの妨害をしていたのと同一犯かもしれない。彼女を襲った夜盗は、まだ捕まっていないのだ。
はたまた、エドの人形移りは偶発的なもので、誰かがたまたま人形だけを持ち去ったのか。いや、それはないか。
「推理するのは結構だが、食べながら喋るのだけはやめないか。見苦しい上に、聞き苦しいぞ」
ヴァンツァが苛々と腕を組みながら、唇の端をヒクつかせている。ルチアは唇を尖らせると、指でつまんでいた生菓子を口に運ぶ。
「出されたお菓子は食べる権利があるわ」
「ああ、だから、黙って食べろ」
「喋る合間になんて、食べる暇をくれないじゃない。自慢じゃないけど、うちの劇団じゃこんな贅沢品、まだ買えないんだから。んー美味しい!」
「言ってる傍から口に放り込むな。不躾な小娘だな」
外国で流行っているクリームたっぷりの生菓子は、チェスクではまだまだ贅沢品だ。せいぜい、生姜風味の焼き菓子や蜂蜜の菓子パン程度が庶民には限界だった。
こんな贅沢、なかなか出来ない。ルチアは幸せのクリームを噛みしめる。
紅茶もなかなか美味しいが、ルチアには詳しい香りの違いなどわからないので、砂糖とミルクでうんと甘くしていただいた。両方入れ放題に出来る機会などない。しかも、文句一つ言われない。
口は悪いけれど、屋敷にお邪魔したルチアにお茶を出してくれるなんて、ヴァンツァはいい人なのかもしれない。いや、とても良い人だ。口は悪いが、善人だ。と、今だけ思った。
「あんた、自称人形嫌いが治ってから性格よくなったわね。ちょっと気持ち悪い」
「気持ち悪いだと? ……屋敷に客が来たら、普通は茶くらい出す」
「あら、昨日はなんにもくれなかったわ。あ、馬車には乗ったけど。やっぱり、乗合馬車とは全然違って楽しかったわね」
昨日までは怖い顔で近づくなと言われていたのに、この変わりようは少し気味が悪い。
貴族は面目を保つために全力を傾ける人種だ。しかし、今まで、それらしい素振りを見せて来なかった相手だけに、余計にそう感じた。ルチアを人形遣いとして認めてくれた証拠だと思えば、悪くもないが。
「で、話を戻すけど、なんで犯人はエドを人形移りなんかにしたのかしら」
言いながら、ルチアは指の先についたクリームを舐める。
ヴァンツァは文句を言いたそうだったが、多少のことには目を瞑ることにしたらしい。あきらめてビロードの張られた椅子に身を委ねる。
「王族の陰謀劇が絡んでるなら、普通に命を狙えば済む話でしょ? なんで、わざわざ人形移りにしたのか、意味がわからないわ」
「エドを殺すつもりはなかったということか……?」
「案外、王族なんて関係ないのかもしれないわ。エドに職を取られた人形師とか、彼に断られた人形遣いとか」
「人形頭。それにしては、偶然が重なっている。やはり、何らかの目的があって、城の者が仕向けたと思う方が自然だろう。問題は、それが誰かだ」
「その辺を考えるのは、あんたの仕事でしょ。わたしは、ただの天才人形遣いだし」
「……お前は本当に自信だけはたっぷりあるな」
「だって、天才ですもの」
自慢げに言って笑いながら、ルチアは追加の生菓子に手を伸ばす。
しかし、それを邪魔するようにヴァンツァが立ち上がった。
「いつまで食べてる。もう一度、店に行くぞ」
強い口調で言われ、ルチアは未練がましく皿の生菓子を見る。
「おい」
ヴァンツァが急に眉を寄せて、ルチアの顔を凝視する。
首を傾げると、ヴァンツァは呆れたように、されど、少し反応に困った様子で口を開いた。
「顔に……クリームがついてる」
「え、ほんと? どこ?」
行儀の悪い食べ方をしたからだ。しかし、ルチアは汚れを拭こうと口の周りを指で触ってみたが、よくわからない。
「まだついてる? ねえ、取ってよ」
「俺がか!?」
何気なく言うと、ヴァンツァは大袈裟に顔を歪めて声を裏返らせた。
彼は無防備なルチアの顔を凝視して、口をパクパクと開閉させる。まるでくるみ割り人形だ。
そんなに難しい要求をしたつもりはないのに……こんな反応をされるとは思っていなくて、逆にルチアの方が驚いてしまう。
「え、ダメなの? クルトはいつも服の糸くずとか取ってくれるけど」
「糸くずと一緒にするな。不埒な小娘だな!」
「別に変なこと言ってないと思うんだけど?」
以前にエドにキスされそうになったときは驚いたが、別にちょっと顔に触られるくらいならなんとも思わない。ミランだってベタベタといつも触ってくるし、慣れている。
ヴァンツァがルチアに、なにか変なことをしようと思っているとも考えられなかった。むしろ、それは絶対にあり得ない。あったら、人形劇をやめてやってもいいくらい、あり得ない。
やはり、エドの言っていた通り、ヴァンツァは潔癖症なのだろうか? お貴族様の考えることは難しくて、よくわからない。
ヴァンツァは困惑した様子で顔を赤くし、かすかに指先を震わせながら、ルチアに恐る恐る手を伸ばす。
まるで、得体の知れないキノコを取って食べろと言われたかのような反応である。
「なによ。そんなに庶民の小娘に触るのが嫌ですか、お貴族様は」
「……誰もそんなことは言っていない! 勘違いするなよ。不埒な意味は、絶対にないぞ!」
なんだか、ヴァンツァはルチアに触れるのを物凄く嫌がっているようなので、差し出された手を払ってやる。
「もういいわよ。無理やり引っ張って歩くのは得意なくせに、変なの」
ルチアは袖口を使って顔全体をゴシゴシとこすった。
流石に、これで顔も綺麗になっただろう。
「さ、行きましょうか」
お貴族様の潔癖をいちいち気にしていては、庶民はやっていけない。
ヴァンツァはなにかに葛藤してうろたえていたが、やがて、不機嫌そうに口を噤んでルチアの後ろをついて歩いた。




