12 家庭訪問
「あ!」
勝手に息巻いていると、遠目に見覚えのある青年を発見する。
ヴァンツァは相変わらず存在感のある黒尽くめの服をなびかせ、肩で風を切って歩いていた。遠くから見ていても、不機嫌なのがはっきりとわかる有様である。
ルチアはすぐに話しかけるのがはばかれて、見つからないようにこっそりと後をつけようと試みる。
「貴族のお兄さん、どうだい。彼女にあげるといいよ」
しばらくすると、空気の読めない花売りの少年がヴァンツァに話しかける。少年は綺麗な花を一輪差し出しながら、そばかすだらけの顔に笑みを浮かべていた。
「邪魔だ」
だが、ヴァンツァは冷たく鋭い視線を向けると、少年を押し退ける。少年は突き飛ばされた衝撃で花を入れた籠を石畳に落としてしまう。
それを踏みつけ、素知らぬ顔をしているヴァンツァを見て、ルチアは思わず飛び出した。
これでは売り物が台無しだ。と、悲嘆に暮れる少年の前に立ち、ルチアはリュントの革帯を外す。
「突然ですが、皆さま。御機嫌よう! これより、マリオネット姫、ルチア・ゼレンカの舞台を御覧入れましょう。とくとご賞味あれ!」
ルチアは流れるような動作で一礼し、リュントを掻き鳴らす。そして、道行く人々の注意を引きつける。
唐突に奏でられたリュントの音に気づいて、足早に先を急いでいたヴァンツァもこちらを振り返った。
「お前、また……!」
「それでは、ご注目!」
文句を言おうとするヴァンツァの声を遮って、ルチアは人形を宙に投げた。
自由を得た人形たちがそれぞれ石畳に着地し、おどけた動作で一礼する。
ルチアはそのまま即興の人形劇を演じ、人々の視線を一手に集めた。気がつけば、道を通るのも大変なくらいの人だかりが出来ている。
先ほどまで泣きそうな顔をしていた少年も、ルチアの人形劇を見て声を上げて笑っていた。その顔を見て、ルチアは嬉しくて心が温まった。
あんなに悲嘆に暮れていた少年を笑わせることが出来て、こちらも喜ばしくなる。そして、そんな笑顔をもっと見てみたいと思えるようになった。
周囲を見ると、似たように笑っている人が何人もいる。みんな、ルチアの舞台を見ているのだ。
人が見ている前でリュントを弾き、人形を操るのは楽しい。
なにものにも変え難い快感と歓びが一気に胸を満たし、嫌なことなど全て忘れさせてくれる。
やはり、ルチアは人形劇をしていないとダメだと、改めて実感した。
「お付き合いくださり、本当にありがとうございます。またお会い出来る日を楽しみにしています!」
即興の演目が終わり、ルチアは深々と頭を下げる。そして、人形たちを使って客から小銭を集めさせた。
「はい、どうぞ。これでお代は足りるかしら?」
ルチアは集めた小銭を入れた袋を、花売りの少年に差し出す。少年はポカンと口を半開きにしてルチアを見上げていたが、やがて、怯えたように首を横に振った。
「ダメだよ。こんなに貰えないよ……だって、お姉さんが稼いだお金じゃないか」
「あら、誰もあげるなんて言ってないわ。わたしは、そこに落ちてる花が買いたいの。これで足りないなら、もう一回場所を移して稼いでくるわ」
そう言って、ルチアは少年の手に無理やりお金を握らせる。そして、石畳の上でしおれていた花を拾い上げた。
「似合うと思わない?」
亜麻色の髪にしおれた花を飾って笑うと、少年が申し訳なさそうに袋を握りしめた。
稼ぎがなければ、親か雇い主に叱られるのだろう。
複雑な表情を浮かべながらも、袋から手が離せないようだった。
「自分で稼げるようになったら、是非、うちの劇場で入場券を買ってちょうだい。それで充分だから」
クルトみたいなことを言って宣伝すると、少年が表情を明るくして「わかった、必ず見に行くよ」と頷いた。
「俺、ヤンっていうんだ。まだ師匠も見つけてないけど、人形師になりたい……いつか、お姉さんの人形作ってやれるようにがんばるよ!」
「あら、そうなの? じゃあ、わたしに相応しいとびっきりの人形が作れるように、腕を磨いておくことね」
ルチアがニッと笑うと、ヤンも応えるようにニッと笑う。
こんな風に笑ってくれる顔を見ていると心が弾む。
人形劇をしているときとは違う温かさが心に宿り、なんだか癒される気がした。思えば、ルチアは何度も舞台を経験しているのに、こんな気持ちになったのは初めてかもしれない。
どうしてかはわからないけれど、不思議な気がした。
自分のためではなく、人のための舞台も悪くないのかもしれない。もっと、たくさんの人を笑顔にさせたい。人形劇を好きになってもらいたいと思った。
「あれ、お姉さん。その人形……」
ヤンはルチアが持っていた黒の道化師を真剣に見据えている。
エドが作った人形だ。人形師を目指す少年なら、良さがわかるのだろう。しかし、これはルチアのものではない。食い入るように見つめるヤンから隠すように、ルチアは人形を後ろに回した。
「じゃあね、ヤン。楽しみにしているわ」
「え、あ、うん……じゃあな、お姉さん。ありがとう!」
元気よく走っていくヤンを見送って、ルチアは笑顔で手を振った。
けれども、すぐに背中から言い知れない威圧的な空気を感じて、鈍い動作で振り返る。
だが、そこに嫌悪や侮蔑は浮かんでいない。どちらかというと、「期待」のようなものが感じられる気がして、ルチアは首を傾げる。明らかに、雰囲気が違う。
「来い」
ヴァンツァは短く言って、強引にルチアの手を引いて歩く。急にどうしたのかと思ってルチアは手を振り払おうとするが、ヴァンツァは放してくれなかった。
「なによ!」
「あまり目立たれると困る」
ルチアが興行したことに怒っているのがわかった。だが、それ以上、罵りの言葉が飛んでこない。
いつもなら、「その人形頭をなんとかしろ」とか「人形頭が考えもなしに……」とか言ってくるはずなのに。それとも、あまりに怒り心頭しているため、言葉も出ないのだろうか。
ヴァンツァは貴族の邸宅の間をずんずん突き進んでいく。
彼に手を引かれ、ルチアも引きずられるように進む。ヴァンツァがなにをしたいのか、イマイチわからない。
やがて、王族の館と見紛うほどの大きな建物が現れる。
遠くからでも見えるように掲げられた貴族の紋章旗は銀の剣とカラス。ヴァンツァの剣に刻まれているのと同じ、ジェハーク家の紋章だ。
「ちょ、ちょっと。なんでわたし、あんたの家に連れて行かれてるわけ!?」
「正確には別邸だが」
「あの大きさで別邸って……流石、王族と肩を並べる天下の大貴族……って、違う違う。どっか行けって言ったと思ったら、今度は強引に女の子を屋敷に連れ込むなんて、なに考えてるの!?」
「知るか。不埒な言い方をするな」
「これ、絶対にあんたの言う不埒に値すると思うけど! 大声出すわよ!?」
「もう充分、大声だ。うるさくてかなわない」
ヴァンツァがなにを考えているのかわからない。
彼はルチアを乱暴に屋敷の中へ連れ込むと、入口で出迎えた執事に押しつけた。
エントランスを見回すと、壁には貴族の邸宅らしく、値の張りそうな絵が何枚もかけてある。天井のシャンデリアは圧巻で、思わずポカーンと間抜けな表情を浮かべてしまった。
けれども、状況を思い出すと、悠長にそれらを眺める気にもならない。
「坊ちゃま。珍しいですね、こちらへお越しになるなんて……」
唐突に現れた長男がいきなり、知らない少女を押しつけてきた。状況が読めない老年の執事が眉をひそめ、困惑していた。
だが、ヴァンツァは少しばつが悪そうに間を置き、視線を逸らしながらつぶやく。
「その小娘を舞台へ連れて行け」
舞台?
意味がわからずに、ルチアは青空色の瞳をパチクリと瞬かせた。
執事の方は驚きながらも、心得たようだ。柔和な笑みを浮かべながら、恭しく腰を折った。
「かしこまりました。では、人形遣いのお嬢さまは、こちらへ」




