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10 魔法使いの息子

 

 

 

 こんなことになったのは、全部自分のせいだ。

 ヴァンツァは寝台に横たわるエド――王太子エドムントを前に、何度も壁に拳を打ちつけた。


 なにが、代々王家の守護を預かったジェハーク家の嫡男だ。肝心なときには、なにもすることが出来なかったではないか。

 今を思えば、一週間前にルチアが襲われたのは、ヴァンツァをエドから引き離すための工作だったのではないか。そして、エドが王城から出て店に顔を出す日を狙った。そう考えるのが自然だ。


 だとすれば、実行者は誰だ。

 下位の王位継承者か、それとも、チェスクを再び手中にしようと企む帝国の仕業か……誰にだってエドを狙う理由があった。ヴァンツァが彼から離れて良いわけがなかったのだ。


 ジェハーク家の男子は代々、王族の従者として幼い頃から主を守る義務がある。

 独立の指導者であるエドゥアルト・プシェミスルとカレル・ジェハークの関係がそうであったように、物心ついたときから兄弟同様に育てられる習わしだ。


 王家では人形劇を保護する一環として、王子も人形に携わることを義務づけていた。現国王も城で人形劇を披露する人形遣いだ。


 しかし、エドは人形師として並はずれた才覚を発揮した。


 王侯の道楽で済ますには勿体ない才能だと、周囲もヴァンツァも認めざるを得なかった。彼の人形を買うために城へ来て、金を積む貴族もいたくらいだ。人形遣いの間でも、評判が広まりつつあった。


 だから、エドが自分の店を持ちたいと言い出したとき、誰も文句が言えなかった。


 週に一回とはいえ、王太子が城下に降りることに国王夫妻は難色を示したが、エドは頑なに人形師になりたいと主張した。そして、彼が王位を継ぐまでの間、職人として店を持つことを許されたのだ。

 エドが店を持っていることを知っているのは、国王夫妻とヴァンツァ。あとは、ヴァンツァの父である宰相ハヴェル・ジェハークの四人だけである。それ以外に秘密を知る者はいないはずだ。


 エドの腕前は「ジェハーク家の寵愛を受けてもおかしくないもの」だったので、店にいるときは、いつもヴァンツァがついていた。それで上手くいっていた。

 国王はヴァンツァにエドを任せていた。それなのに、ヴァンツァは彼を守れなかった。


「なにが黒き紋と誇りに賭けて、だ」


 王家に立てる誓いの一節を口にしながら、ヴァンツァは俯く。

 必ず、エドは取り返す。


 ヴァンツァは目を閉じ、一呼吸ついてから、再び薄っすらと瞼を開ける。

 視界に浮かんだのは、消えゆく炎のように心もとない色彩の糸だ。


 人形遣いになれなかった自分には、糸の先がどこへ繋がろうとしているのか見極めることが出来ない。現役の人形遣いや人形師なら、残り香を頼りにエドを探すことも出来るだろう。

 しかし、ヴァンツァには見ることが出来ても感じるほどの勘が備わっていない。いや、鈍っている。

 自力で探すしかない。

 エドがいなくなって得をする人物は山ほどいる。それらを、手当たり次第に可能性を潰していくしかないだろう。


 ――わたしなら、まだ糸を追えるかもしれない。エドの魂がどこにいるのか探すのよ!


 一瞬、少女の顔が脳裏に浮かぶ。

 だが、ヴァンツァは邪魔な思考を払うために首を横に振った。

 あんな人形遣いに頼るわけにはいかない。これはヴァンツァの積であり、役目だ。


 エドが人形移りになったことは、まだ城には広めていない。エドが王太子として公式に姿を現さなければならない祭典までは、隠しておく必要がある。

 宰相を務める父や、国王にも、秘密裏での探索が命じられた。

 知られれば、エドが人形師を続けることも難しくなってしまうだろう――いや、彼のためを思えば、人形師などやらせるべきではないのか。


 人形はなにも与えてくれない。


 人形など嫌いだ。そして、そんなものにこだわる自分自身は、もっと嫌いだ。

 そう、心の中で呟いて、ヴァンツァはエドの部屋を後にした。




† † † † † † †




 今日の舞台は劇団の人形遣いに全て任せ、ルチアは舞台裏で独り膝を抱えていた。

 小さなゼレンカ劇団には、舞台に立てる人形遣いはルチアの他に三人しかいない。ルチアが抜ければ演目に支障が出るのはわかっている。

 けれども、こんな気持ちで舞台に立つことなど出来なかった。


『ルチア、なにがあったんじゃ? 経験豊富な爺に相談してみるのじゃ』


 クルトがカシュパーレクを操ってルチアの隣に座る。

 しかし、ルチアは膝を抱えたまま俯いてしまう。


「あんた、まだ十二でしょ」

『このカシュパーレクが聞くと言っておるんじゃよ。なんと言っても、このワシは設定年齢七十の……』

「カシュパーレクの設定はどうでもいいの」

『今日はヴァンツァも来ておらぬではないか。喧嘩でもしたか? ああ、喧嘩はいつもしておったな』

「黙っててよ。あいつの名前も口にしないで」


 クルトは彼なりに励まそうとしているのか、カシュパーレクを使ってルチアの気を引こうと必死になる。だが、ルチアはそんな弟分の気遣いに応える余裕もなく、ただぼんやりとしてしまう。


『まあ、どうせ、貴族の戯れというやつじゃ。ジェハーク家の人間に遊んでもらったんじゃから、貴重な体験じゃよ。贔屓にしてもらえないかと思っとったのに、残念じゃ』


 クルトからヴァンツァの家名を聞いて、ルチアは驚く。


「あんた、知ってたの?」

『別に隠しておらんかったぞ。普通に貴族紋章をさげて歩いておったからな。むしろ、気づかないルチアの頭が悪すぎると思うんじゃが……』


 可哀想なものを見るような視線を向けられる。

 ルチアはとっさに乾いた笑声を上げながら、視線を泳がせた。


「あ、あはは、当たり前じゃない。き、気づいてたわよ。あんなの、バレバレよ」

『そうじゃな。流石に銀獅子(プシェミスル)カラス(ジェハーク)白百合(ランゲル)くらいは、チェスク人なら子供でも知っておるからのう。いくらルチアでも、そこまでではないようじゃな。爺は安心したぞ』

「な、なに言ってるのよ。クルトったら、失礼ね」


 正直なところ、全く気がつかなかった。

 そういえば、わざわざ貴族紋章を見せられたことがあったが、あれは普通に名乗られていたのだろうか。今考えれば、思い当たる節はたくさんあったのに、どうして気づかなかったのだろう。


 ――ヴァーツラフ・ジェハーク。


 ヴァンツァという名がヴァーツラフの愛称だということは知っていた。しかし、その下にとんでもない姓が引っついているとは、思いもしなかった。


 ルチアの手には、昨日勢いで持って帰ってしまったエドの人形がある。

 寂しげな面影を彫り込まれた黒の道化師は、仮面の下でどんな表情をしているのだろう。


 何故、王子様のエドが人形師をしていたのか、ルチアが知る由はない。

 だが、あれだけの腕だ。王族であっても職人として評価されるべきだろう。正体に驚きはしたものの、別段、不思議だとは感じない。


 エドが人形移りになり、人形が持ち去られたということは、王族の問題に起因しているかもしれない。そんなことは、庶民のルチアにだって想像出来た。

 だから、ヴァンツァはわざわざルチアを追い払ったのだと思う。


 ルチアが邪魔になるから。――いや、ルチアをいらない揉めごとに巻き込まないためだ。なんとなく、そんな気がした。


 祭典まで、もう一週間を切ってしまった。そんなときに、人形遣いのルチアが王族の問題に口を挟んでいる場合ではない。

 ヴァンツァは人形が嫌いと言っているが、ルチアにはそんな風に思えなかった。

 むしろ、愛しているように見える。

 ヴァンツァ自身にそんなつもりはないのかもしれないが、彼がルチアを遠ざける理由には、そんな意味も含まれている気がしてならなかった。


「ルチアちゃん!」


 舞台からは、まだ賑やかな音楽が流れている。

 しかし、そんなものなど無視するかのように、甲高い声を上げて舞台裏に乗り込む女性――の恰好をした青年の姿があった。

 ルチアはただならぬ気配を感じ取って逃げようとするが、既に遅し。

 ミランが物凄い勢いで突進し、ルチアに飛びついてきた。


「どうして、今日の舞台にはあがらないの? ランゲルと違って、ルチアちゃんがいないと、ゼレンカはすぐに潰れちゃうわよ! 嫌よ。お客が来なくなって、ルチアちゃんの舞台が見られなくなるなんて。フランチェスク橋で興行するつもり?」

『さり気なく、うちの劇団が小さいと言われておるような気がするんじゃが』


 早口で発せられたミランの言葉に、クルトが表情を歪める。ゼレンカがランゲルと比べて小さいことは否定しないが、やっぱり、弱小劇団扱いされるのは癪だ。


「あら、本当のことじゃない。なんなら、ランゲルに引き抜いても良いのよ?」

『なにをー! うちの劇団は、近いうちに大きくなってルチアがガッポリ稼ぐんじゃ! そして、この爺は楽をさせてもらうんじゃ! 立派な馬車とお屋敷を買って、楽しい老後を送るのじゃ!』


 クルトは子供らしく悔しそうな顔をしながら、カシュパーレクを使って爺臭い妄想を撒き散らす。


「ルチアちゃん、調子でも悪いの? 病気なら、私がしっとり丁寧に、優しく、いろいろ教えながら看病してあげるけど」

「病気じゃないから大丈夫よ」

「安心して。私、後悔させないわ」

「なんの話? っていうか、ミラン。あなたこそ最近、全然舞台に立ってないけど、大丈夫なの?」

「……今は私のことより、ルチアちゃんの方が大事なの! さあ、心置きなくお兄さんの胸に飛び込んできなさいな! 今日だって、ルチアちゃんを心配して来たのよ」

「心配って……別に元気ないって伝えてないけど」

「私はルチアちゃんのお兄さんであり、お姉さんですからね。ほら、近頃、人気の人形遣いを狙って変な事件が増えているでしょ? それに、私とルチアちゃんの仲でしょ?」


 ルチアは苦笑いしながら、無理矢理抱擁しようとするミランの顔を引き剥がした。お兄さんであり、お姉さんってなによ。どっちかに絞った方が良いと思うのだが。


 しかし、独創性はミランの人形遣いとしての強みでもあった。

 彼の舞台は独自の解釈を交えており、独創的だ。飛躍した位置から切り込む斬新な演出や痛烈な風刺は、人々に人気で、「舞台の幻想師」と称されている。


 それに引き換え、ルチアの持ち味は……?


 ――お前の舞台は自己満足だ。


「なにか悩んでいたら、私が大人の相談に乗るわよ。悩んでいるなんて、ルチアちゃんらしくないわ」


 ミランが無駄に熱い吐息を吹きかけ、ルチアの耳元でささやく。


「悩んでるなんて、わたしらしくない……か」

「そうよ。だから、あっちで私が上手に看病してあげ――」

「そうよね、悩んだって舞台が良くなるわけじゃないものね」


 ミランは自然に瞼を閉じ、恍惚の表情を浮かべている。しかし、ルチアにはそんなものなど目に入らない。ルチアはミランを押し退け、軽やかに立ち上がった。


「悩んでても仕方ないわ。このルチア・ゼレンカが少々のことでへこたれて、どうするのよ。わたし、ちょっと行ってくる!」


 ミランを押し退けて、ルチアは壁に立てかけてあったリュントを手に取る。

 そのまま一目散に劇場を飛び出した。


『またなにも考えずに飛び出しおって……本当に人形頭じゃな。ヒッヒッヒッ』

「ま、そこがルチアちゃんの良いところなのよね」


 クルトとカシュパーレク、ミランが顔を見合わせて笑った。

 

 

 

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