07 逃亡者、一時 女神
香は無事に男爵邸と町からの脱出に成功し、逃亡を続けていた。
夜の間歩き続けたので、小さな男爵領などとっくに出ていた。
他の領地で男爵が私兵を動かし騒ぎを起こせば大問題となるであろうが、問答無用で捕らえられ誘拐されてはどうしようもない。まだまだ追っ手には気を付ける必要があった。
既に髪の色は染色ポーションで銀髪に変更。元の色とも脱出時の色とも違う色にした。服も、とっくにメイド服から衣装ダンスにあった服に替えている。
一番地味なのを選び、更にひらひらとかを切り取ったりして平民風に加工してある。
食料も数食分はあり、飲み物の心配もない。あとは盗賊にも獣にも襲われずに目的地まで辿り着ければOKである。
できれば早めの食料の補充と、乗り物が確保できれば文句無し、なのだが、世の中そうそう甘くはない。
食料は、一度たっぷりとアイテムボックスに確保できればしばらく安心なのだが、そんな機会は全く無かったので仕方無い。
後ろを振り返ってみると、遠くに砂煙。また、早駆けの馬の模様。念のため道を外れて木の陰でやり過ごす。まぁ、どうせ休憩は必要なので構わない。急ぐ旅でもないし。こまめに後方確認を行っていれば、徒歩の少女より騎乗者の方が先に発見されやすいので、問題はない。
香が目指しているのは、王都である。
人口が多く、しかも雑多な人が集まる王都は、人が紛れるには都合が良い。
貴族も多いが、逆にそれが特定の貴族が好き勝手なことをするのを防いでいる。
更に、情報の集まりやすい街でもある。王都で色々と知識を蓄えて、最終的に住む街を考えれば良いかと考えたのである。あと、図書館があるというのも香には魅力的であった。
今のところ、他国に行くことはまだ考えていない。この国のこともよく知らないのに、国際情勢も調べずにいきなり他国に行くとか、冒険が過ぎる。
夕方頃、次の町へ到着。勿論、寄らない。男爵の手の者が張っている可能性が高すぎる。
身ひとつで逃げた少女がようやく辿り着いた最初の町。網を張らない馬鹿はいない。髪の色を変えてはいても、香を知っている者がいた場合は危ない。
物を売るのも買うのも、まだお預け。今日は町を離れて野宿。
『獣除けの薬品』を造ることに気付いたのは重畳。
更に3日後。香はそこそこの町に到着した。
脱出から4日。もうかなりの日数が経ったし、国境方面へ向かっていた場合にはもう国境を越えたくらいになる。さすがに男爵もあきらめただろうか。
自領からこれだけ離れた場所で領民でもない少女を捕らえたら、それはもうただの犯罪者であり、男爵と言えども罪に問われるだろう。
もう、男爵は香に対するどのような権利も主張することはできない。追っ手が現れたら、香は大騒ぎして周りの者に助けを求めれば良いのである。
あ、そういえば、香の逃亡はともかくとして、あの部屋の状況については男爵はどう思っているのだろうか。不思議には思わなかったかな。何かヤバい者に手を出したかも、とかは思わなかっただろうか。さっさと手を引いて全て忘れた方が、とか。
それとも、一度手にしかけた栄光へのチャンスはどうしても忘れられないだろうか。手引きするために侵入した者達の仕業、とか自分を納得させて。
まぁ、どちらにしても、ほぼ安全圏に逃げ切った今となってはどうでもいいことであった。
ともかく、そろそろ町に寄っても大丈夫だと思われる。
騎乗者や商人以外の馬車、急いでいる人等はことごとく避けて隠れていたのと、元々この世界の人に較べて体力が劣っていたこととで、恐らくこの世界の同年代の者より遥かに遅い移動速度だったと思うのだ。つまり、想定される捜索範囲からは外れている可能性が高い。髪の色も変えているし。さすがにもうそこまで警戒しなくてもいいだろう。そもそも、既に食料が尽きているし。
香はついに町へと足を向けた。
香の所持金は少なかった。なにせ、ギルドで稼いだ銅貨が、合計で小銀貨4枚分程。400円相当、くらいであろうか…。屋台で大串焼きを2本も買えばおしまいである。
そして、香の手にしっかりと握られている、2本の大串。
「あ……」
香、所持金ゼロ。
勿論、こんなこともあろうかと、町に入る前に木陰で着替えておいたのだ。
今の香の服は、あのメイド服であった。
男爵邸で徴発してきたものを売る場合、平民の少女だと怪しすぎる。盗品と思われる可能性が高い。
男爵の娘のお古を着て貴族の令嬢風? いや、金策ならば親が売る。やはり怪しい。
では、最も怪しまれないのは? と考えた末の結論である。
とある古物屋。
ひとりの幼いメイドがこそこそと店へとはいり、そっと店主に近寄った。
「あの、すみません。旦那様が、これを売って今日の食材を買ってくるように、と言われまして……」
悲しそうな眼で、上目遣いで店主の眼を見るメイドの少女。
その手に大事そうに握られた燭台。
眼を見開く店主。
「……勝った!」
香の手に握られた銀貨6枚。
宿代が夕食、朝食込みで銀貨4枚、身体拭くお湯やタオルその他で小銀貨4枚として、出発前に銀貨1枚と小銀貨6枚で食べ物を買えば、明日は野宿で明後日町に着くまで持つ! よし、宿へ行こう。
「一泊2食付き、銀貨5枚です」
……大きな町は、田舎町より宿代が高かった。ちくせう。
王都まであと数日。
そろそろ野宿の場所を探さないと、と思っていたら、街道の横に少しひらけた場所があり、その脇の山肌から清水が流れ落ちていた。
「あ、こりゃいいや!」
手で掬って顔を洗う香。
水のようなポーションは出せるが、やはり洗面はこうでないと。お花摘みのあとの手洗いもできるし。
よし、今日はここで野宿だ!
とは言っても、街道からまる見えのところで女の子が野宿、というわけには行かない。少し森にはいって、街道を通る人からは見えないところで寝ることにする。
香は清水をたっぷり堪能すると、木々に分け入った。
「まだ、まだなの?」
「馬車を街道から逸らして駐められる場所が見つかるまで、今しばらくお待ち下さい」
そわそわして落ち着かない10歳前後の少女を宥める二十代後半くらいの女性騎士。
「だから、出発前に済ませとけって言ったのに……」
12~13歳の少年があきれたような顔で少女を責める。
「だってぇ、お兄さま…」
1台の貴族用馬車と、それを守るように前後に展開する6騎の騎乗兵。馬車の中には、先程の少年少女と女性騎士、そしてメイドらしき少女1名の、計4名が搭乗していた。病にかかった遠方の祖母の見舞いに行く貴族の兄妹と、その護衛達である。
今、お花摘みに行きたがっている、つまり下の欲求に耐えきれなくなった少女が早く馬車を駐めろと要求し、おかしな所に駐めて他の馬車の通行の邪魔になってはと馬車を駐める適当な場所を探している最中であった。
「前方に丁度良い場所があるぞ!」
一番前に位置する護衛騎士隊の隊長が叫んだ。
見てみると、確かに良い場所である。適度な空き地に、山から流れる清水が落ちてきている。手を洗えるとは、文句なしであった。恐らく、休憩場所として皆が使えるよう切り開いてあるのだろう。ありがたいことだ。
馬車を駐めると少女が急いで降り、『僕もついて行ってやるよ』と言いながら少年がそれに続いた。
そして森に少し分け入る少女に、護衛の女性騎士、隊長、そして少年がついて行く。さすがに、最終的には女性騎士のみが付き添う。
残りの騎士は、勿論馬車の護衛である。たまたまはいった森のごくごく浅い部分で危険に遭う可能性より、街道上で賊に遭う可能性の方が余程高いのだから。
そして少女の用が終わり女性騎士と一緒に男性陣が待つ場所に戻ると、隊長と少年が何やら呆然とした様子で森の奥の方を見つめていた。
何かあるのかと女性騎士と少女が近寄りその方向を見てみると。
……そこには、女神様がおられたのであった。
木々の間の僅かな空間。そこに鎮座する、大きなベッド。
それは、周りを囲む木々の状態から、とても運び入れられるはずのない大きさのベッドであった。周囲には何かを引き摺ったような跡もない。そしてその上には、純白の衣装を纏われた銀糸の髪の年若き女神様がおやすみになられていたのであった。
しばし声も出せずに立ち尽くす4人であったが、少女が勇気を振り絞って足を踏み出した。
「ユ、ユニス!」
少年の制止の声も聞かず、少女は歩みを止めない。そして遂に女神様の側まで行くと、眠る女神様に声を掛けた。
「女神さま。女神さま!」
少女のその呼びかけに、女神様はゆっくりとその眼を開かれ、少女の方を向いてこう言われたのであった。
「あァン? うるせぇ!」
「ひぃッ!!」
女神様は寝起きが悪く、そして目付きも悪かった。
そして少女は思った。用を終えたあとで本当に良かった、と。
「では、女神様は時々こうして地上でお休みになられると……」
「ええ、自然の森に神力を分け与えるのです…」
適当なことを言いながら、早く解放してくれないかと願う香。
野宿のため男爵家のベッドを出し、白いドレスを寝間着代わりにして、獣除けを撒いて熟睡したところ、少々寝過ごしたらしい。太陽はもうかなり前に昇っていた模様である。
「それで、女神セレスティーヌ様は…」
「あ、私、セレスじゃないよ」
「「「「ええっ!!」」」」
女神さまが、この世界の唯一神たるセレスティーヌ様ではないと言われるとは、どういうことか?
「私、他の世界から来たの。セレスとはお友達で、セレスが自分の世界でしばらく楽しんでね、って」
嘘は全く言っていない。
「おお、他の世界の女神様でしたか! セレスティーヌ様の御友人の……」
うん、まぁ、そう誤解するよねぇ、普通。
そして、彼らの話を聞いた。
この兄妹の祖母が病で危ないらしく、祖母に可愛がって貰っていたふたりはどうしても会いに行くと言って譲らず、こうして護衛と共にふたりで旅をすることになったとのこと。
早婚、早期出産の貴族のことである。15で結婚、16で出産ということもそう珍しいことではなく、祖母とは言っても、三十代、四十代の祖母というのも普通である。ただ、この年齢の孫がいるならば、さすがに四十歳代以上だと思われるが。ともかく、そうお年寄りでもない、ということである。年齢のためではなく、本当に病気によるものと思われた。
「女神様、是非、おばあさまのために祝福を賜りたく…」
そんなことを言い出す少年。
う~ん、いいか。今の私は、名も知れぬ銀髪の女神様、だし。
有難味を出すためにちょっと設定を作るか……。
「分かりました。では、誰か悲しい話を」
「「「「え?」」」」
「いえ、だから、誰か悲しく辛い話をして、私に涙を流させて下さい」
秘薬と言えば、『女神の涙』だよね、普通は。
皆、何かを察したようで、突然始まる『悲しい話、辛い話大会』。
「…というわけで、その女性に振られちゃいまして…」
はい、次!
「…で、おとうさまに叱られて…」
はい、次!
「…で、酷いのです、フェリシーちゃんてば!」
はい、次! …どうもイカンなぁ。設定を誤ったか?
「えと、私なんかの話は面白くないとは思いますが……」
最後は女性騎士さんか。
「16~17の頃には殿方からの申し込みも結構あったのですが、騎士を目指しての訓練の日々、そんな暇はないと全て断り、訓練一筋。
ようやくそろそろ一人前かと思いふと気がつけば、友人や同僚、後輩達や妹達もみんな結婚しており子供もいまして。自分は既に27歳。手も剣ダコでゴツゴツ、筋肉質で女性らしい柔らかさも無く…。もしかして、一生このままひとりなのかな、とか、歳取っても、その、ひとりなのかな、って思うと、その……。
いえ、全然大したことないですよね、こんな話……、って、うおっ!」
女神様、大号泣!
もう、涙ボロボロ!!
スッと差し出される、3本のポーション。
「あまりに悲しすぎて、3本も出来てしまいました……」
「は、はぁ…」
そんなに悲しい話だったかと、女性騎士さんポカ~ン。
「この青色のものは、おばあさまに」
青いポーションを少年に渡す。
「この赤色のものは、あなたが飲みなさい。但し、皆に信用のある人や上官、雇い主等の前で飲まないと、困ることになるかも知れません」
「は、はぁ…」
「そして、この黄色のものは、誰でも良いので、あなたが望む怪我人か病人に飲ませてあげなさい」
そう言って、赤色と黄色のポーションを女性騎士に渡した。
この赤、青、黄は、ただの区別用の色分けであって、治癒ポーションのようにランクを表すものではない。
「では、行きなさい。私もそろそろここを離れることと致します。ベッドを消す時の神力の波動は人間には良くない影響が現れます。さ、早く」
急かす女神様に、4人は何度もお礼を言いながら去って行った。
神力うんぬんで脅したから隠れて様子を窺うようなことはないだろうとは思ったが、念のため木々の隙間から馬車と護衛の騎乗兵が離れて行くのを確認し、その後香はベッドを収納すると急いでその場を立ち去った。
いやいや、時間喰っちゃったけど、ちょっと楽しかったから、ま、いいか。
ブランコット王国の王都まで、あと少し。
あのポーションは自重しないで造ったけれど、たまたま下界に降りてた女神様なら探されることもないだろうし、奇跡が起きても何の不思議もないから、安心。なにしろ『女神様の御業』なのだから。
それに、さすがにあの赤いやつは無理があったかも。完全に思った通りの効果があるかどうかは分からないけど、まぁ、効果が一部だけでも少しは喜んでくれるだろう。
なにせ、あの話は悲しすぎた。本気でガン泣きしてしまった。私もそうならないよう気を付けよう。
今回の大サービスは、『授業料』ってことで…。