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284 クルト商会 5

「あ、あの……」

 私の、戸惑ったかのような声に、ハッとした顔でドアの前から身体を避けてくれた、上官さん。

「す、すまん、つい……」

 おそらく、悪気はなかったのだろう。ただ、怪しい者は逃がさず確保する、という習性で、無意識に身体が逃走経路を塞いだだけで……。

 ……そして、医師は握った私の裾から手を放そうとはしていない……。


 よし、脱出!

 医師の手を振り払い、開かれた逃走ルート、つまりドアに向かってダッシュ!

 ……そして……。


 びたん!


 盛大に、ずっこけた。

 ひょいと差し出された、クソ上官の足に引っ掛けられて……。

 そして、思い切り、顔面を床に強打した。

 ……あ、鼻血、出た。


「やんのか、ゴラァ!!」

「え……?」

「どうして喧嘩売ってきた方がきょとんとしてるんだよっ!」

「あ……、いや、すまん! 日頃の『不審者は絶対に逃がさない』という訓練のせいで、つい、反射的に……」

「うるせえよっ!」

 ふざけんな!


「あの~……」

 ん? ジーナさんが、なんか聞きたそうな顔をしてる。

 ……というか、既に聞いてきてる。

「野良巫女様って、口が悪くても務まるものなんですか?」

 うるせえよっ!!


     *     *


 あの後、怒った振りをして、問答無用で現場から離脱した。

 ……いや、『振り』じゃなくて、実際に怒っていたけどね!

 それも、激怒だ、激怒!!

 あの、クソ上官め……。

 いや、まあ、おかげでしつこくかれることなく離脱できたから、まあいいんだけどね。


 これで、私の正体は不明、ただ『怪我した商人の勤め先の取引相手が使っている建物の前身である孤児院出身かもしれない(・・・・・・)、神殿には所属していないフリーの野良巫女』としか分からない。

 うん、もし万一リトルシルバーに調査の手が伸びても、『ここを買い取ったのはごく最近なので、そんな何年も前に孤児院にいた人のことなんか知りませんよ』で済む。

 町の人達に聞いて廻っても、そんな子はいなかった、で終わりだ。


 支店長に、私があの町の孤児院出身だと示唆したのは、ちょっと早まったかもしれないけれど、『何も接点がないのに急に現れた、謎の巫女』じゃあ、あまりにも苦しい。それじゃあ話も聞いてもらえなかっただろう。

 だから、冒さざるを得なかった、必要最低限のリスクだ。仕方ない。


 今回の件は、見た目としては、大したことがない。

 左手の腱が切れたと診断された者が、実は切れていなかった。外傷は、治ることなくそのまま。

 ……客観的に見れば、ただの、初診時の誤診に過ぎない。

 そこに、奇跡だとか御使い様だとかが介在した様子は、全くない。


 そもそも、女神や御使い様が姿を現したという数十年前のことだけど……。

 あのルエダ聖国上層部が壊滅した事件と、その後のブランコット王国の政変後は、大陸中の宗教関係者が改心したように見えたらしい。……一応は。

 しかし、その後女神セレスティーヌが姿を現すことも宣託を行うこともなく数十年のときが過ぎ、もはや当時のことをリアルタイムで知っていた者の姿はない。

 偏った食生活のため老化が早いこの世界では、村の大長老ですら、事件が起きた頃はまだ生まれたばかりの赤子であったのだ。


 それに、ここは事件が起きた場所とは大陸を挟んだ反対側である。

 当時ですら、歪んで尾ひれが付いて矛盾だらけの滅茶苦茶な話が何種類も伝わってきたため、まともに信じる者など殆どいなかったらしい。

 ……それから、数十年である。この国の宗教関係者で、本当に女神に対する畏怖と信仰の心を抱いている者は、決して多くはないらしい。


 そう。多くの聖職者は、お金と出世、贅沢と女性にうつつを抜かしていた。よくあるように……。

 一部の、あの頃のことを直接知っていた世代の者達に口を酸っぱくして何度も何度も教え込まれた者達は、まだ正しい知識と信仰心を持ってはいるらしいのだけど……。

 だから、年配の上層部の者達は敬虔な信者であり、中層から下層の若い者達の多くが破戒神官であるという、普通に考えると逆ではないかというおかしな状況らしいんだよね……。


 ……つまり、私の第一シーズン、『なんちゃって御使い様』のことを正確に知っている者や、それを額面通りに受け取っている者なんか、平民と直接接するところにはいないってことだ。

 ごく一部の『そういう知識のある人』は、神殿の奥深くでふんぞり返っていて、町をひとりで出歩いたりはしないだろうし、平民で長生きしている者達は、もう棺桶に片足突っ込んでいて、自由に町を歩けるような身体じゃないだろう。


 結論。

 私に関する昔の情報と、今の私、そして今回の件を繋ぎ合わせられるような者など存在しない、ってことだ。

 よし、セエェェェ~~フウゥ~!!




「……ということが、ありました……」

『『…………』』

 取っている宿の部屋に戻ってから、アイテムボックスから取り出した通信機でレイコと恭ちゃんに状況報告。

「大したことにはならないとは思うけど、一応、知らせとこうかと思って……」

『『……』』

『『…………』』

『『………………』』

「……あの……?」

『『そんなにうまく行くかああぁ~~!!』』

「あ、やっぱり?」

 大丈夫だと自分に言い聞かせて、気にしないように努めていたんだけど、……やっぱり駄目か。


『だいたい、トラブルを引き起こすのは恭子の担当でしょう! カオルがやらかしてどうするのよ!』

『そうそう……、って、え? 何よソレ! まるで私がトラブルメーカーみたいに!』

((え? 自覚してなかったのか、コイツ……))


『とにかく、野良巫女エディスの恰好は王都ではしばらく封印! まさか、まだエディスのままってことはないわよね?』

「あ、うん、勿論今は宿を取っている『輸送商隊の女性指揮官』の姿だから、大丈夫だよ。さすがに、そこまで馬鹿じゃないよ」

『……それで、勿論その場にいた者達には口止めはしてるわよね?』

「……あ……」

『『……』』

『『…………』』

『『………………』』




『支店長達は、大丈夫か……。商人が、状況を把握もせずに他者の個人情報を自発的に流すとは思えないから。

 でも、権力者に命令されれば駄目ね。さすがに、自分達の命と商会を守ることより優先させることじゃない。

 警備隊の上官は、当然ながらとっくに上司に報告してるわね。口止めされていないなら……。

 医師は、……どうかなぁ。

 神殿の祈祷師とは対立しているから、神殿側に利することを吹聴することには抵抗があるかも。

 仲間達と共に非科学的な迷信や神官達による医学の進歩に対する妨害行為と戦っているというのに、こんなことを発表すれば医学の発展のために頑張っている者達にツバを吐くことになるし、裏切り者扱いは必至でしょうからねぇ……。

 でも、それと女神に対する信仰心とは別物か。奇跡を目にしてしまった以上は……。

 カオル、あなた、ひとりの人間を苦悩の泥沼に突き落としちゃったってこと、分かってる?』

「す、すみませんでしたあぁ~!!」

『私に謝っても仕方ないわよ! その医師に対するフォローを考えなさい!』

「は、はい……」


 レイコは、こういう時には私や恭ちゃんにも容赦がない。

 ま、正論なんだけど……。


『警備兵カップルは、放置でいいわね。どうせ、「愛の奇跡です!」とか言って、みんなに口から砂糖を吐かれてウザがられるだけよ。誰も相手にしないでしょうね、おそらく……』

 あ、やっぱり!

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― 新着の感想 ―
生きてないってエミールとかフランの事忘れてね?
野良猫じゃない野良巫女さん カオルちゃんやらかしましたよ そりゃ不審者扱いされるわ、その上問題大アリだわ!
[一言] どんどんカオルがポンコツになっていく。 ひとりだった頃は、最終的に自分ひとりで決めなきえればならなかったので、毅然とした決定ができてたのに、 3人になった途端に、緊張感が緩んできたんでしょ…
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