お婆さんとのお別れ
このお店で働き始めてから今日で六日目。通いでの仕事も今日までだ。
「これで食器は一通り揃ったかな?」
「平皿と深皿、サイズも大中小ある。さらにスプーンとフォーク、コップにお椀にボウル。トレーまである。うん、これで充分だと思うわよ」
「こんなにいっぱい作れるなんて、お兄ちゃんすごい」
「ありがとう、琳音ちゃん」
北の森に行った次の日から僕は、平原で伐った木――名前はエニフウッドだった――で木製の食器作りに励んだ。
エニフウッドはウォールウッドよりも加工がしやすくて、それぞれ三十個ずつ用意することが出来た。これだけあればお店に並べても見劣りしない。お店の中は薬だらけ、その中に少しだけ食器があっても悪目立ちするだけで売れるとは思えなかったんだよね。
「この食器類は明日からお店に並べちゃっていいの?」
「うん、いいよ。とりあえずは満足いくまで作れたし」
「わかったわ。通いもちょうど今日でおしまいだし、いよいよ新しいスタートって感じね」
リアさんが行ったとおり、馬のひづめ亭で過ごすのは今夜が最後だ。明日からはここの二階で寝泊りをすることになっている。
「なら看板も新しくしたいわよね。そういうわけでそろそろ看板作ってもらえないかしら?」
そういえば食器作りに夢中ですっかり忘れてたっけ。今は十六時半、いつもなら帰り支度を始めるとこだけど、今の僕の木工スキルなら一時間もかからないし作っちゃおうか。
「わかった。琳音ちゃん、帰るの少し遅くなるけど待っててね」
背負い袋の中からウォールウッドの丸太をひとつ。これを厚く切って削りだして文字を作る。土台となる板は材木屋さんに注文した物を使うから作る必要は無い。
三枚ほど切ったところでリアさんが、そうだっ、と声を上げた。
「お店の名前だけどリアの雑貨屋じゃなくてマルティ雑貨店に変えてもらえる?」
「いいけど、お店の名前変えるの?」
「あの名前、あたしが生まれた時にお父さんがつけたらしいの。あたしがこのお店の看板になるような可愛い娘になるようにって。でも今はあたし一人でしょ。それなのにその名前のままって、なんだか自分から看板娘って名乗ってるみたいで恥かしかったのよね」
「問題ないと思うけど、リアさん美人だし」
「あら、お世辞が上手ね」
お世辞じゃないんだけどなぁ。中世的な顔立は活発で明るいイメージを与えると思うし、胸についてる立派な物があれば男性客をいくらでも呼び込めそうだ。
まあ、直接口にしたらセクハラだから言えないけど。
「でもリアさんがそうしたいならしょうがないね。マルティ雑貨店で作るよ」
「お願いね」
この世界の文字は日本語の平仮名・片仮名・漢字だからそんなに難しい作業じゃない。……そういえばこの世界特有の文字みたいなのってないのかな? 創作だと転移して言葉の壁にぶつかるってそう珍しくないんだけど。
「ねえ、リアさん? この世界の文字って全部同じなの?」
「当たり前でしょ。違う文字なんて使ってたら不便じゃない。そうゆうのは古い本と神紋だけで充分よ」
昔は違う文字を使ってたのか。僕たちの世界でも古い文字や文章は解読が必要だから不思議ではない。でも、もうひとつの神紋って言うのは?
「古い本はわかるけど、神紋って何?」
「神様が使う力のある文字のことよ。文字とゆうより図形に見えるから神紋って呼ばれているの。解読して使っている人たちもいるらしいけど習得が難しいって話よ」
力のある文字か。気になるけど、リアさんの様子じゃあ習得する方法は分からなそうだ。ちょっと残念。
「ねぇ、お兄ちゃん、早く作らないと暗くなっちゃうよ?」
「そうね、話している時間はあまり無いわね。ほら、あたしも手伝うからさっさと作っちゃいましょ」
そうだった。もう遅いんだった。よし、急いで作るとしよう。
「じゃあ、塗料ってある? あったらそれを持ってきて看板を白く塗ってくれる」
「分かったわ。持ってくるのは白だけ?」
「明るめの色があったら持ってきて。そっちは文字を塗るのに使うから」
琳音ちゃんとリアさんに手伝ってもらって、一時間で色塗りまで終わらせられた。白の看板にはカラフルなマルティ雑貨店の文字が映えるはずだ。
「後は明日の朝まで乾くのを待って看板に文字をくっつければ完成だね」
「どうやってくっつけるの? 釘? 接着薬?」
……考えてなかった。でも、釘も接着する物もあるのか。だったら接着のほうでいいかな?
「接着薬っていうのでやるつもりだよ」
「そう、それならあたしでも出来るわね。だったら明日、あなた達が来る前にやっちゃうわね」
「ありがとうリアさん。じゃあ今日はもう帰るよ。明日からよろしくね」
「リアさん、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」
「お婆さん、ただいま」
「遅かったね、一日早めたのかと思ったよ」
心配してくれたのかなと思ったけどそういう感じじゃない。
「帰ってこない方がよかった?」
「宿代はもらってるんだ。文句はないさ」
琳音ちゃんにもそれが伝わったのか悲しそうに尋ねる。ただお婆さんは琳音ちゃんには少しの照れを含んだ答えを返した。どうやら琳音ちゃんを心配してたみたいだ。
「いよいよ明日からだね。準備は出来てるのかい?」
「うん、もう荷物はまとめてあるよ」
「私も手伝ったんだよ」
「そうかいそうかい」
「今日は早く寝るつもりだから、今お湯頼んでもいい?」
「ん? ああ、かまわないよ」
スクロさんに入れてもらったお湯で体を洗い、髪が乾くのを待って僕たちは布団に入った。
このベッドで眠るのも今日で最後だと思うとなんだか感慨深いものがある。
翌朝。支度を終えた僕たちは鍵を返すためにカウンターの前にいた。
「はい、鍵」
お婆さんの前に鍵を置く。これで完全にチェックアウトだ。
「今までお世話になりました」
「お世話になりました」
「代金分働いただけさ。そんなことよりあの店のこと、くれぐれも頼んだよ」
「あそこで働く以上、頼まれなくてもしっかりやるよ」
「まあ、それでいいさ」
お店の役に立つようにしっかり働けって意味じゃなかったのかな?
「……戻ってくるんじゃないよ」
「もちろん。それじゃあ行くね」
「さよなら、お婆さん」
お婆さんに見送られて僕たちは馬のひづめ亭を出た。
そのまま並んで歩いていると、大通りを過ぎたところで琳音ちゃんが歩みを止めた。
「どうかした?」
「お婆さんに嫌われるようなことしたかなぁ……」
「どうして?」
「もう戻ってくるなって言ってた」
そっか、琳音ちゃんにはあれだけじゃ伝わらないか。あの時のお婆さんの顔を見ればどういう意味で言ったのか分かると思うけど、僕より小さい琳音ちゃんには見えなかったのかも。
「大丈夫だよ。あれは仕事を首にならないように頑張れって意味だから」
「そうなの?」
「そうだよ。だってお婆さんは心配そうな顔でああ言ったんだよ。あの顔は嫌いな相手に向ける顔じゃないよ」
「ほんとっ! 良かったぁ。もう会いたくないって言われたんじゃなかったんだ」
「琳音ちゃん見たいないい子を嫌いになるはずが無いよ。同じ街にいるんだしそのうちまた会いに行こう?」
「うんっ!!」
無邪気な笑顔を向ける琳音ちゃんの手をとって再度歩き始める。目指すはマルティ雑貨店。
お店についたらまずは昨日作った看板を取り付けよう。それはきっと新しい生活の幕開けにふさわしい仕事だ。
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