琳音ちゃんは甘えん坊
馬のひづめ亭に戻った僕達はお湯をもらうためにカウンターに寄った。カウンターではプレイヤーっぽい男性がお婆さんと話している。男性プレイヤーは鍵を受け取ると階段を上がっていった――お客さんかな?
「お婆さん、お湯ちょ~だい」
「はいよ。それじゃあこの桶を部屋まで持って行っておくれ」
お婆さんが渡してきたのは直径が僕の身長に迫るほどの大きな桶だった。
「お湯は?」
「私が出すんだよ」
このお婆さん、魔法が使えるのか。それなら何で宿屋の主人なんてやってるんだろう?
「そんなところに突っ立ってないで、早く部屋に運びな」
「でもこれだと前が・・・・・・」
「お兄ちゃんこっちだよ」
桶を持っているせいで前が見えない僕を琳音ちゃんが服の裾を引っ張って誘導してくれた。
部屋に入って中央まで行き桶を置いた。その桶にお婆さんが魔法でお湯を注いで行く。八割ほどお湯を入れるとタオルなどを置いて扉へ向かっていく。
「使い終わったお湯は裏庭に自分達で捨てに行くんだよ」
「オッケー」
そのままお婆さんは部屋を出て行った。
自分達で捨てに行けって言われたけど、こぼさずに運べるかな。
「お兄ちゃん、早く入ろ?」
「そうだね、琳音ちゃん」
返事をして扉から視線を外すと琳音ちゃんが上着をたくし上げていた。
「琳音ちゃん、何でもう脱いでるの?」
「お風呂はいるからだよ」
「男の人の前で脱いじゃ駄目!」
「なんで? お父さんとはいつも一緒に入ってるよ?」
琳音ちゃんのお父さん。娘と一緒にお風呂に入りたいのはわからなくも無いけど、他の男性の前では駄目だってことくらいは教えておいてよ。
「僕が部屋を出るから、そうしてからお風呂に入ってね」
「1人じゃ頭と背中洗えない……」
琳音ちゃんのお父さん! 娘を甘やかしすぎです!
なんて、今は言ってもしょうがないか。
「わかった。しばらくは僕が洗ってあげる。でも明日から1人で入れるように練習しよう」
「1人で……」
「出来るようになるまでは一緒に入るから、ね?」
「うん、わかった……」
琳音ちゃんが渋々うなづいたのを確認して、僕も革で出来ているっぽい鎧とその下の麻のシャツを脱いでいく。今日は上半身だけ濡らしたタオルで拭くつもりなのでこれまた革製っぽいズボンはそのままだ。
「お兄ちゃん、鎧が脱げない」
鎧は背中側を紐で留めているので、琳音ちゃんには少し脱ぎ難かったようだ。後ろから紐を引っ張って解いてあげよう。
「はい、これで脱げると思うよ」
脱衣を再開した琳音ちゃんから離れ、桶のほうへ。頭を桶の中に突っ込んで洗う。ぷはぁ、これだけでも十分気持ちいい。でも、ずっとこのままって訳にはいかない。匂いだす前に石鹸とシャンプー的なものを手に入れないとね。う~ん、雑貨屋で売ってるかな?
「お兄ちゃん」
「今度はどうしたの?」
「服、脱がして」
頭と顔をタオルで拭き琳音ちゃんを見ると、今度はたくし上げたシャツが首のところで引っかかっていた。その格好はまるで花の蕾みたいだ。
「ほら、引っ張るよ」
琳音ちゃんの所までいって、裾をつかんで引っ張ってシャツを脱がしてあげる。1人じゃ服も脱げないっていつもこんな感じなのかな。
「琳音ちゃんはいつもどうやって服を脱いでるの?」
質問がちょっと変質者っぽいけど、気にしてはいけない。
「いつもはお父さんが脱がしてくれるの」
これは、琳音ちゃんのお父さんに会ったら説教だね。こんなに甘やかしてたら1人で生きていけなくなっちゃうよ。
「じゃあ、服脱ぐのも明日から練習しようね」
「うん」
もう、手助けは必要ないよね。僕は桶の近くに戻って今度は固く絞ったタオルで身体を拭いていく。タオルで拭いた肌が拭く前よりもすべすべになっている。自分じゃ気づかなかったけど結構汗をかいてたみたい。
そうして全身を拭いていると、すっぽんぽんの琳音ちゃんが桶の中に入ってきた。
「お兄ちゃん、お願い」
「はいはい。まず髪を洗うから頭をお湯に近づけてくれる?」
お湯に浸かった琳音ちゃんの髪を両手を合わせる様にして優しく洗う。頭頂部は手でお湯をすくって掛けて揉むように洗った。最後に髪をタオルで拭きながら桶の外に垂らして終わりだ。
「次は背中を洗うよ」
そう断りながら髪を拭いたタオルをお湯に浸け、固く絞って琳音ちゃんの背中をこすっていく。
背中をこすっていて気づいたけど、琳音ちゃんの体はちょっと細すぎる。普段からきちんとご飯を食べているのかな。
背中が終わったらタオルをお湯の中で軽く洗い、もう一度固く絞って琳音ちゃんに渡した。
「前と足は自分でやるんだよ。僕は外で待ってるから終わったら呼んでね」
「いっちゃうの?」
「大丈夫。宿屋からは出ないから」
琳音ちゃんに引き止められる前に急いでシャツを着て部屋を出る。寂しそうな表情で引き止められたら断れる気がしないからね。甘やかすのは琳音ちゃんの為にならない、心を鬼にしないと。
部屋を出るとカウンターの辺りから女性が誰かを呼び止める声がした。その声の主はそのまま2階への階段に向かっていったようだ。
階段を駆け昇る軽い足音が響く、と思ったら今度はかん高い悲鳴が聞こえた。
「何があったの?」
僕はカウンターにいる、お婆さんに尋ねた。この状況でお婆さんはやけに落ち着いている様子だったから何か知ってるんだと思う。
「湯浴み中の男の裸を初心な女が見たってだけだよ」
お婆さんの説明を聞いている間、背中の向こうでドアが空いて人が出てくる音が繰り返された。出てきた人は口々に何があった、とか事件か、とか言っている。そりゃこんな悲鳴聞いたら何事かと思って見に来るよね。
「面白いことは何にもないよっ! ほら戻った戻った」
お婆さんが宿中に聞こえるように大声をだす。その声で出てきたお客さんたちが慌てて部屋に戻っていった。
「お婆さん。僕のことも少しは考えて欲しいんだけど。耳がキーンってなったよ?」
「そんなことで文句を言うなんて、背に劣らない器の小ささだね。もっと寛容になれば背も伸びるんじゃないかい」
「大きくなりたくないから、性格を直さない様に気をつけるよ」
「そうかいそうかい。だったらみみっちいままでいたらいいさ」
そう言いながらも笑っているお婆さん。こういうやり取りなんかいいね。
「――お兄ちゃ~ん!」
「ほら、あんたにお似合いの連れが呼んでるよ。早く帰ってあげたらどうだい」
「お似合いって、確かに相手を油断させるには最高のパートナーだけど」
お婆さんが手の甲をこちらに向けて払うから、僕は素直に部屋に戻ることにした。
「琳音ちゃん、開けるよ?」
「うん、いいよ」
自分達の部屋のドアを開ける。うん、きちんと服を着ている、と思ったら手にパンツを持っていた。どうやら直接ズボンをはいているようだ。
「何でパンツはいてないの?」
「だって、汚いから……」
あー、なるほどね。普通お風呂に入った後に同じ下着を使うのは抵抗あるもんね。これは下着もいくつか買わないと駄目だね。
明日は町で必要なものを買い揃えよう。後でリストアップしとかないと。
「とりあえずそのパンツは桶の水で洗って、部屋に干しておこうか。朝までには乾いてくれるだろうし」
「それじゃあ、はい」
琳音ちゃんが僕にパンツを差し出してきた。
「うん? どうしたの?」
「洗い方知らない」
う~ん、知らないのかぁ。それじゃあしょうがないかなぁ。――いや、別に難しいことじゃないし、今出来るようにしちゃおっか。
「洗い方は僕が教えるから、自分で洗ってみようか」
「う、うん。やってみる」
「じゃあまずは汚れてる部分の両脇を持って。そしたらそのままお湯の中で汚れてる部分をこするようにしながら揉んで洗うだけ。どう? 簡単でしょ?」
「うん、これなら私でも出来そう」
「よし。洗い終わったら教えて、その間にハンガー作っちゃうから」
琳音ちゃんが洗ったパンツは、即席で作った木製のハンガーに引っ掛けて部屋の中に干しておく。
その後、残り湯の入った桶を片付けようとしたけどさすがに重くて持てなかったので、こぼさないように注意しながら中庭まで押して運んだ。お湯を捨てる時も琳音ちゃんに協力してもらって片側を持ち上げることで、何とか中のお湯を流すことが出来た。これから毎日やらないといけないんだと思うとめんどくさい。もっと上手いやり方を考えておこう。
そうして寝る準備が済んだ。やらなきゃいけないこともないし、今夜は早々に寝てしまおう。
僕がベッドに横になり、続いて琳音ちゃんがベッドにあがる。出来れば寝る場所も別々にしたいんだけど、寝具は1セットしかない。布団も明日の買い物で探すことにしよう。
「おやすみ、琳音ちゃん」
「お兄ちゃん、おやすみなさい」
目を閉じてすぐに意識が落ちていく。やっぱりいろいろあって精神的に疲れていたみたいだ。




