宿屋の老婆
馬のひづめ亭は木造二階建ての普通の建物だった。入り口がスイングドアなのを除けばだけど。
このスイングドアが丁度僕の頭くらいの高さにあり、背伸びをしても中がみれない。子供は下から見ろってことかな。まあ、普通のドアなら中なんて見れないからどうでもいいか。
「いらっしゃい。何人だい? って子供かい。親はどうしたんだい?」
カウンターに座ったお婆さんが僕たちのほうを見てつまらなそうにそう言った。僕たちを見たらそういう反応になるよね。
「親はいないよ。2人で泊まりたいんだけど」
「そんな成りで客なのかい。……まずは部屋だが……一緒でいいね。お湯はいるかい?」
部屋が一緒なのは女の子の為にもいいかもしれないな。きっと1人でいるとつらいと思うから。でも……。
「お湯? 何に使うの?」
「身体を洗うためのお湯だよ。いらないのかい?」
「お風呂無いの?」
「こんな宿にあるわけないだろ。で、どうする?」
正直そんなに汚れてない、けどあったかいお湯で身体を洗えば少しは気分もよくなるかも。
「いくら?」
「お湯を入れる桶が30B、お湯が1回10B、タオルが1枚10Bだよ」
「それなら、とりあえずお湯は1回分でタオルは1枚で。お湯やタオルはあとで追加してもいい?」
「金さえ払ってくれればかまわないよ」
「じゃあそれで、部屋は……」
「桶の水は裏庭に自分達で捨てにいってもらってるからね。あんた達じゃ一階のほうがいいだろ」
確かに僕の背じゃあ二階からお湯の入った桶を運ぶのは大変だな。
「うん、一階でいいよ。全部でいくら?」
「350Bだ。持ってるかい?」
お湯の時も思ったけど安いな。これならしばらくは楽して暮らせそうだ。
「もちろん。……10日分先払いで、とかできる?」
「そりゃかまわないけど、そんなにお金があるのかい?」
手の平を下にしてカウンターの上に差し出す。3500B出ろ。
……あれ、お金が出てこないな?
「何してるんだい?」
「いや、お金を出そうと思って」
「そんなんでお金が出てくるわけ無いだろう。ふざけてるのかい?」
お婆さんがこちらを見る目が冷めていく。やばい、子供のいたずらだと思われちゃう。
「ちょっと待って!」
「なんだい? お金が無いなら出てっておくれ」
「この世界の人はどうやってお金を持ち運ぶの?」
「あん? へんなこと聞く坊主だね。布の袋に入れてに決まってるだろう」
「布の袋だね」
僕は背負い袋を下ろして手を突っ込む。布の袋をイメージして手に触れたものを握り、背負い袋から引き抜いた。
ドスンッ! ……チャリ~ン。
おもったより重くて地面に落としてしまった。大きな音に女の子がビクッと肩を振るわせている。心の中で謝っておこう。
幸いにも袋の口には紐で封がしてあり、中身をぶちまけることは無かったが、銀の硬貨が1枚飛び出してしまった。
「あ、あんた、なんだいその銀貨は!?」
「銀貨?」
「貴族や商人が使う金だよ。・・・まさかその袋の中全部銀貨なんていうんじゃないだろうね!?」
何をそんなに驚いてるんだろうと思ったけど、一応袋をあけて中をのぞく。見えるのは銅の硬貨だけだ。
「たぶんそれ1枚だけだと思うけど」
「だったらそいつは服にでも縫い付けて見えないように持っときな。じゃないと身包みはがされちまうよ」
「そんなに? これ1枚で一体いくらなのさ」
「10000Bだよ」
あれ? そんなもん? こんなに騒ぐからもっと高いんだと思った。
「なんか釈然としない顔だね」
「10日分の宿泊費で3000Bならお婆さんでも稼げそうじゃん。何でそんなに騒ぐのかなって」
「あんたみたいな上客、早々いてたまるかい。それにそんなに稼げたってわざわざ銀貨なんかにはしないよ。うちにあるのは全て銅貨さ」
何で銅貨?銀貨にしたほうが保管が楽だと思うんだけど……。
「わかってなさそうだね。いいかい、銀貨から上の貨幣を持ってるのは貴族や商人だけなんだよ。そんな中であんたみたいな子供が銀貨なんか出してみな、ゴロツキどもに襲われるに決まってるじゃないか」
なるほど、そうゆうことか。だったらお婆さんの言うとおり、明日生産施設で服にでも縫い付けるとしよう。
袋に銀貨が入っていたのは多分女神様が勝手に両替したんだろうな。でも、今の話だとありがた迷惑でしかないな。お婆さんから話を聞けてよかったよ。
「わかったみたいだね。今日ここで銀貨を見たのは忘れてやるから、次からは気をつけるんだよ」
「ありがとう、お婆さん」
「礼はいらないよ。それより早いとこ金を払っておくれ」
そんな注意をされるってことは、この世界の治安はあまりよくないみたいだ。
「はい、これ」
僕は35枚の銅貨を袋から取り出してカウンターに置いた。
「部屋は1階の一番奥。飯は隣の食堂で食べな。お湯が欲しいときは声をかけておくれ」
「わかった。いろいろ教えてくれてありがと」
「子供がそんなこと気にするんじゃないよ」
「こう見えても僕、25歳だよ」
「かっかっかっか……。坊主が25だって? どう見たって10かそこらだろう」
うーん、やっぱり信じてもらえないか。このお婆さんとは大人として仲良くなっておきたかったけど、まあおいおいでいいか。
僕はお婆さんに笑顔を向けると、女の子の手を取って部屋へと向かった。