第四話 証明
「なぜだっ、なぜあんなものが出てくるっ!」
卓子に叩き付けられた拳は白い。陶磁の茶器の震えが収まるまでしばらくかかった。
あれでも、とシンハは先ほどのやり取りを思い出す。ナリタカと名乗った招獣の前では冷静を装っていたようだ。その退室と同時にたがが外れたように怒りが表面化した。
「たかだか衛兵数人を相手に、なんなく取り押えられ、肩を外された挙句に悲鳴まであげる始末・・・・あんなものが招獣だとでもいうのかっ!」
イリューシャの気性は激しい。人前ではそれを隠す事を知っていたが、九年来の付き合いともなれば、良くも悪くも遠慮がない。
しかし、無理もないとも思う。文字通り血の滲むような思いをして、数々の失敗と執念の果てに、ようやく召還に成功したと喜んだのは束の間、肝心の招獣がアレでは平静を保てというほうが難しい。
人間の姿をしたものが招獣として召還される事自体、魔術史上、類例をみない珍事であるらいが、仮に人型であったとしても屈強な戦士や老練な魔術師や、せめて普通の成年男子であれば多少なりとも救われたというものだ。
もっとも、それもイリューシャの召還したものがまごうことなく招獣だと仮定した場合だ。疑問は残る。アレは本当に招獣なのか、という疑問。恐らくはイリューシャ自身が一番痛切にその答えを求めている。
「話してみれば、やれ、ここはどこだ、お前は誰だ、だのと埒もあかぬ戯言ばかり。飲み込みも悪ければ、人の話を聞く気もないとしか思えない。加えて、あの細い腕や女だか男だか分からない軟弱な顔つきはなんだ」
つい先刻まで彼が座っていた長椅子の上に目線をやって、シンハはあどけなさの残る少年の顔を脳裏に描き出した。
人間の子供・・・・そうとしか言いようのない外見と、それを裏切らない内面が切羽詰まった様子を通して見え隠れしていた。怒り、わめき、取り乱す様を一つ一つ、つぶさに観察するにつけ、彼が単に模しているのではなく、正に人間そのものでしかない、という印象は余計に拭いがたくなっていった。擬態だとしたら大したものだ。
しかし、「ナリタカ」の正体が何であれイリューシャが彼を招獣と呼ぶ限り、シンハもそのように理解し、そういう前程を話を進める。しかし、それでも最低限の事は確認しておかねばならない。
「イリューシャ様、あの少年―――」
「少年ではないっ、招獣だ」
鋭い一喝。振り払った鬢髪の奥から碧眼が、シンハを睨み上げる。
久しぶりの八つ当りである。
「あの者は」シンハは静かに言い直す。「まるで己が異世界から故なく連れ去れただけの被害者・・・少なくとも彼の世界におけるただの人間だとでもいいたげでした」
「だから、どうした!?人間だろうと、化け物だろうと、招獣として万人に認めさせるに不足のない力を持ち合わせていれば構わない」
そして、その力を持ち合わせていないのでは、という危惧は現物を見た者だれもが共有する思いに違いない。接して、話して、その反応を推し量って、イリューシャもシンハも彼が招獣に足る力の保持者との確信には程遠い。
「イリューシャ様、仮にあの者を本国へ連れ帰るとして、彼が招獣であるという事を他のものが納得するでしょうか?一見したところ、魔道の素養のない私のような人間にとっては、当初身に着けていた奇妙な服装の他には、普通の少年のさして変わりないように思えます。外見にしても、黒い目に髪と言えば、ここいらでは目立つでしょが、東方ではありふれた外見であると聞きます。招獣であるという事を識別しうる何物かをあの者が有しているのでしょうか」
素朴な疑問だ。人間の姿をした招獣など聞いたことがない。というより、誰もアレを見て、音に聞こえたラトギア皇家の招獣とは思わない。いや、思えない。今の段階では単にイリューシャが一人で招獣だと騒いでいるにすぎないといってもいい。
「つまり、お前がいいたいのは、私がどこぞの子供を捕まえてきて、これが招獣でござい、とばかりに披露している・・・・そう思われないかということか?」
「平たく言えば、そういう事になります」
であれば、証明が必要である。教会と魔導師ギルドの承認を得て、イリューシャの能力者としての存在価値を宮廷、ひいては国民に認められること、ないし認めさせる事が必要不可欠なのだ。それが叶わないとあれば、ナリタカの実体が真実どうであれ、召還を試みたそもそもの目的を達成することは夢のまた夢だ。
顔を上げると、怒りの波動は幾分か揺らいで、かわって苦々し気な色合いが見え隠れしていた。シンハは、自分の問いの答えが芳しくないことを知った。
溜め息とも深呼吸ともつかない呼気が室内に一つ落ちた。
「証拠か・・・」
皮肉なことだった。招獣は招獣で、ここが異世界である証明を求め、術使は術使で彼が招獣であることを証明する必要性に駆られている。
「招獣に定型はないことは先に話したな。この世界に属さない・・・それが招獣とただの使い魔を分ける条件の一つ。簡単にいえば、ナリタカの放つ生体エネルギーはこの世界に住むものとは種類が異なる。色で言えば見た事のない色・・・・そう、自然界に存在しない青い薔薇のようなものだ・・・・見るものが見れば少なくとも、何かがおかしいということは感知する。それを招獣だと特定するまでは叶わなくとも」
「では――」
「魔術師に話をするならそれでもいい。しかし、招獣は異形の姿と圧倒的な力をもつモノ・・・それが常識的な概念だ。大衆の欲する招獣の像だ。分かるか?学術的な分類がどうだとか生体エネルギーがこうだとか、そんな事を言ったって庶民や魔道の素養のない者にとっては、馬の耳に念仏だ」
シンハは自分の耳は果たして馬の耳であろうかと考えた。
「第一、厳密にいって招獣が招獣であるための条件など、ありはしない。まだ充分に検証されていない特殊魔道の中の血継能力の一つに過ぎない上、招獣は魔道的な存在である以上に宗教的な存在意義を持つ。教会にとっては神の奇跡の顕われであり、ラトギアにとっても建国伝説にも語り継がれる、国のシンボルだ。実際の所、シンハ、お前だってあれがラトギアの守護獣だと思えるか?あれが自分の国の象徴だと?」
シンハは沈黙を持って答えに代えた。
「だが、まあ」
といって、視線を窓際の卓の上、白い木綿の布の上に移す。
「これらが、異世界から来たと言ってもいいほど変わっているのは確かだがな」
白布の上には、生乾きの学生服一式、更にそのポケットに納められていたナリタカの所持品―――シャーペン、消しゴム等―――が奇麗に並べられていた。つい先ほどアリシアに持ってこさせたものだ。
イリューシャは半袖の上衣をつまみ上げた。
「まず、この上衣の染料―――純白だ。まるで雪で染め抜かれたかのような白。こんな色を自然界から抽出することは我々には出来ない」
服の形状もさることながら、確かにその色は本来有り得ない色だ。そろいの下衣は黒に限りなく近い濃紺だが、その色艶も普通に出回っている染料に出せるものとは思えなかった。
「加えて、これは腰に巻いていた所を見ると帯と見るのが妥当だが」そういって、ベルトを取り上げる。「留め金のある帯だ。つまり、ベルトという奴だ。素材や縫製、処理の仕方は素人目にも大したものだ。治金の技術は一驚に値する。しかもこれは―――」
そういってきららかな金具の部分を指し示し、反対側を持って、鞭やフレイルの要領で振り回した。
「もしもの時には武器にもなりそうだ。護身用をかねているか?アレの住む世界は存外物騒と見える」
そうして、イリューシャは一つ一つ、熱心に検分を続け、触り、掲げ、灯火に透かしたりしつつも未知の物質に対する自分なりの見解を述べていった。
だが、次第にその語調は尻すぼみになっていき、いつしか止まった。
「・・・・シンハ、私は果たして正しい選択をしたのだろうか」
力ない、独白にも似た問いだった。
シンハは最初から召還を試みること自体、消極的だった。そして正直なところ召還に成功した今、振り出しに戻ったどころか余計厄介事が増えたように思える。無論、吉とでるか凶とでるか、まだ決まった訳ではないのだが。
しかし、自分の意見は重要ではない。
己の見解は、イリューシャの判断材料以上のものではない。シンハはそう自分に任じている。
「イリューシャ様の選択は、私にとって唯一の選択です」
イリューシャは複雑な表情を浮かべた。
むろん、彼女の欲する答えは分かっている。決意を持って望んだとしても、人は時に迷う。
あれで、良かったのか。本当にそれしか道はなかったのか。最善の選択だったかどうか・・・・等等、今更どうなるものでもないのに、人は己に問い、他者に問い、そしてその実それは問いではなく、確認なのだ。誰でもいい。追認して欲しいのだ。自分が本当に正しかったという事を承認して欲しい・・・迷えば、迷うほど、その役目を他者に強要する。
そして、その役目をシンハは引き受けるつもりはなかった。年若い、子供といってもいい目前の主人を甘やかすのは簡単だった。親族の少女に対するように、接する事が出来るのなら、シンハとてそうしたかった。
守り、甘やかし、自分の庇護化におけるものなら、そうしていたかもしれない。だが、そのような依存の関係は結果的に彼女の強さを奪いかねないし、自分の地位や力量は、イリューシャにまつわる問題から彼女を守りきるには、あまりにも足りない。なによりも、そのような私情と独占欲にまみれた関係性は、健全ではないし、主従関係に許されるものでも許されるべきものでもない。彼女と自分、双方のために。
彼女が進んで歩もうとしている道は、細やかな情愛や平穏な幸せに彩られたものではない。安易の逃避や一時の感傷が命とりになる、弱さが許されない、平穏の対極に位置する茨の道だ。自らその意思を表明した以上、生ぬるい言葉遊びにシンハが付き合う事は出来ない。
そうは言っても、傷ついたような主人の顔は、それを必死に隠そうとする涙ぐましい努力と共に、シンハの心を幾分か波立たせたのが。
「いずれにせよ」やや表情を和らげて、シンハは言った。「異世界渡来の物質の事といい、招獣自体のことといい、現時点で結論を出すことは性急です。ラトギアへの帰路は長い。考える時間はたっぷりとあります。今はお心を煩わされず、安眠を優先される事です。ナリタカの当座の処置に関しては私が処理します」
「・・・どうせ、眠れやしない」
「殿下にとって、健康であられる事は義務でございます。無理にでも、眠ってください」
「私には、夜更かしをする自由もないのか?」
「ありません」
「・・・・分かった。言うとおりにすれば文句はないんだろう」
もう少し優しく、顔色が良くないから休んだ方がいいとでも言ったほうが良かったろうか?大掛かりな術を使った後だから、余計に気をつけるべき、などと?
しかし天邪鬼というか、負けず嫌いというか、そんな風に指摘され、心配されればムキになって余計に強がるのがイリューシャという主人である。まあ、配下の者に弱味を見せないことは確かに重要なのだが。
一礼して退出しようとする、シンハの背中にイリューシャの声がかかる。ともすれば聞き逃しかねない、小さな声だった。
「・・・・すまなかった。お前には感謝している」
すまない?それは、感情も露にシンハに八つ当たりまがいの態度をとった事に対してだったのだろうか?それとも、子供扱いは許さないといいつつ、甘えを見せたことに対してか?あるいは、そもそものはじめシンハの意見を無視して召還を決め、あまつさえ協力を余儀なくさせたことに対してだったのだろうか?・・・それとも?
シンハは半身を返した。イリューシャの、いつになく、ひたむきな眼差しを受け止め、流す。
「・・・・感謝のお言葉や、ましてや謝罪に値するような何事も、私はしておりません。言わんや、今回の事例に関して私は全くの門外漢、つまるところ役立たずというわけでして」
笑みを含んで、そうかわしたのは、イリューシャに対する気遣いゆえか、あるいはある種の意趣返しだったのか、シンハ自身にも分からなかった。