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第三話 世界 (2)

 

 招じ入れられた部屋は、ナリタカがこれまで入ったどんな部屋よりも大きく、豪華だった。

 見上げるほど、高い天井。色鮮やかなステンドグラスはその中天を飾り、日中ならば光は虹色に透過して床に降り注ぐ事だろう。重厚な調度の数々は、品格を感じさせ、どっしりと存在感があり、ナリタカの知る狭小なスペースに押し込めるための小作りな家具とは、全くの別物だった。白い格子の埋め込まれた巨大な窓は、畳に換算したら六畳ぐらいにはなるだろうか。部屋の壁面には、雄大に暖炉が掘り込まれている。もとより、暖炉などという代物は日本の住宅では滅多に御眼にかかれない。まるで、ヨーロッパかどこかの貴族の住まいだ。

 「どうした?座れ」

 目を見開いて、頭をめぐらすナリタカに、少女は花模様のソファを指し示した。当人は既に、その向かいに悠然と足を組んで座っている。背後にいたアリシアに小声でせっつかれ、ナリタカはようやく腰を下ろす。腰を下ろしてしばらく、自分と少女は座っているのに、アリシアと少女の脇に控える青年とが立ったままでいることに気がついた。碧眼の少女は、それを斟酌する風も なく、左手を肘掛に乗せ、右手で優雅な流線形を描くティーカップの取手を弄んでいる。

 勧められるままに、ナリタカは目前に注がれた透明感のある橙色の液体に口をつける。別段、紅茶に詳しいわけではないが、今まで飲んだ紅茶とは少々違う、癖のある風味だ。紅茶というよりは、むしろ日本茶や中国茶に似ているかもしれない。

 「着替えたのだな」

 少女が言った。自分が命じたことを忘れたとでもいうのだろうか。

 「そうしていると、そこいらの子供と、どこも変わらないように見えるな」

 没収された学生服の代わりに与えられた服は、白を基調にした上下と貫頭衣に似たベスト、それらを上から一くくりにする幅広の帯だった。金糸で縫い取られた意匠といい異国情緒たっぷりのデザインだったが、とりあえず、着脱に不安を覚えるような形状ではない。

 「アリシア、ご苦労だった」

 それは、下がれ、と命令するのと同義であったのだろうか。アリシアは好奇と気がかりとを含ませた一瞥をナリタカにくれた後、一礼して退出する。扉が閉まる重々しい音の後に残ったのは、ナリタカと、少女と、青年との三人だった。

 「単刀直入に言おう」

 ティーカップをそろいの受皿に戻し、少女が口を開いた。話す時にこちらの目を真っ直ぐに見るのは外国人の流儀だろうか。どうにも落ち着かない気分にさせられる。

 「私の名は、イリューシャ・フォン・リーエンヴァイン。ラトギアの皇女であり、お前の主人だ」

 どう反応していいのか分からなかった。

 「・・・え、と。あなたの名前が・・・イリューシャ、フォ・・・・・・?」

 「無礼者!」鋭い一喝が、それ以上を遮った。それまで直立不動で少女の脇に突っ立っていた青年だった。

 「分をわきまえよ、この方はお前ごときが軽々しく御名を口にしてよい方では−ーー」

 無口だとばかり思っていた青年の剣幕に呑まれていると、イリューシャなる少女が片手を挙げて青年を黙らせた。

 「些事だ。どうでもいいし、話が進まん。好きなように呼ばせろ」

 「しかし、殿下。他の者に示しがつきません」

 「むろん、内輪での話だ。ここには、お前しかいないのだから、そうツンケンすることもないだろう」

 「・・・・ツンケン」

 青年はそれきり、口をつぐんだ。

 「ナリタカ、この者はシンハヴァイン・エトキアという。以後、接する機会も多いと思うので、仲良くしてやってくれ」

 相手が仲良くしたがっているようには見えなかったが、とりあえずナリタカは小さく頭を下げておいた。今度は不用意に相手の名を反芻する真似は避けた。

 「時に、お前・・・ナリタカと言ったか。何が出来る?」

 「は?」

 「お前の能力は何だ、と聞いている」

 「能力?」

 言及されているのは、成績が中の上だとか、そういう事ではなさそうだった。

 「口から火を吐いたり、空を飛べるとか・・・」

 「・・・・いえ」

 自分は奇術師ではない。

 「武道はどうだ?剣は使えるか?」

 「・・・剣道はやったことがありませんけど。一体、何なんですか?この質問に、何か意味でも−ーー」

 「では、魔術はどうだ?」

 もはや、どう反応していいのか分からない。

 「ここは一体どこの国ですか?ひょっとして、外国ですか?」

 今更、ひょっとしても何もないが、とりあえず聞く他はない。

 「ここが、どこの国かと問われれば、ベルグと答えるしかない」

 それに類する答えはすでに、あのアリシアから聞かされていた。どうやら、ベルグというのは国の名前であるらしかった。

 「ベルグ、つまり、レソト半島の付け根の北東に当たる部分。もっとも、お前にとっては異世界という答えのほうが妥当か」

 「イセカイ?」

 そして、少女は語りだした。その話を要約するならば、大体、次の一文になる。

 曰く、ナリタカはこの世界に招獣という存在として召還され、イリューシャという主人の命ずるままに使役される定めである。

 ある意味、少女の説明は分かりやすく簡潔で、要点を抑えたものだったが、ナリタカを置き去りにした感は否めない。

 「はあ」我ながら気の抜けた返事だった。「そうですか」

 その語調はやはり誠意を欠いていたのか、少女はまるでナリタカが異議でも申し立てたかのように、反応する。

 「お前は異世界から呼び寄せられた使役獣、招獣で、私がその喚び手だ。これ以上、明瞭な説明もなかろう」

 「つまり、あなたが言いたいのは、僕が、その、魔法によって、ここに連れてこられたと、そういうことですか?」

 「魔法ではない。魔術だ」

 出来の悪い冗談を聞いたように、しらけた気分だった。そう、これは確かに壮大に出来のわるい冗談だ。自分の身に起こったことも、この少女のいう事も、何もかもが、まるで三文小説のように、粗悪で、薄っぺらく、反吐が出るような趣味の悪さだ。自分が費やした三ヶ月という時間、葛藤、決意。その全てが、変わり果てた姿でそこにある。切実だった何かに、最悪の形で泥をかけられたような、胸糞の悪さだ。

 「そうですか。魔術ですか」ぬるく、ナリタカは微笑った。「では、なんでさっき出会ったばかりの人間が異世界人だと、ここが僕にとっての異世界だと、そういう結論に達するんですか?それも、やはり、魔術とやらの為せる技ですか」

 「お前が人間の姿をしているという事に関しては、こちらが問いつめる筋だと思ったんだがな。そう来たか」

 「人間の姿、ですか?まるで、僕が人間の姿をしている事が不満みたいな言い方ですね。僕だって、ここにペガサスやらグリフィンやらが飛び回っていれば、ここが異世界だとすんなり納得できるかもしれませんけど」

 少女が冗談を言っているようには見えない。それに、冗談にしては少しばかり出来が悪すぎる。だとすれば残された可能性としては虚言癖か妄想癖と相場は決まってるが、そんなことはどうでもいい。ただ、自分はどうしようもない苛立ちの矛先を求めているだけだ。信じるとか信じないとか、そんな次元の話じゃない。異世界云々の戯言ももうたくさんだ。ただ、この、足元から何かが崩れていくような感覚が気持ち悪い。頭がぐらぐらする。何かを考えていなければ、しゃべっていなければ、気がおかしくなってしまいそうだ。

 「では、おまえは己が異世界から来た事すら認めぬというのか」

 「認めるも何も・・・・」声はヒステリックに歪む。「それは、建物とか服とか、日本の標準から外れていますけど、あくまで基本的な所は何も変わらない。空気だって、植物だって、空の色だって、僕の知っている世界と、とりたてて変わっては見えない。何も、それらしい証拠が見当たらない以上、普通は世界じゃなく、あなたの精神の方を疑います」

 少女、ことイリューシャ・フォン・リーエンウ゛ァイン皇女は、苛立たし気な溜め息を吐いた。

 「ナリタカ・ソーマ、私は真面目な話をしている。お前がこれ以上、ふざけた態度を長引かせるなら、こちらにも相応の対処の仕方というものがある」

 恫喝が様になる十代というのは、中々いるものではない。やはり、狂人のなせる技か。

 「対処。どんな対処ですか。そもそも、僕をここに連れて来たのはあなた達でしょう。どう考えたってふざけているのはそっちじゃないですか。言ってみれば、犯罪ですよ。それとも何ですか?対処っていうのは、僕を元いた場所に返すことですか」

 いわゆる正論をいっているつもりだったが、口に出すと、その言葉はひどく場違いに、滑稽に聞こえた。

 「それは出来ない」皮肉が通じたの通じていないのか。「召還は不可逆性の魔道でな。つまり、一方通行なんだ。召還は出来ても帰す方法など知らない。第一、術士にとって招獣を元の世界に返すメリットなどない」

 それは何よりだ。戻りたい訳ではない。ここにいたいわけではないが、元いた場所に帰りたいわけでもない。

 「それで、あなたの言っている事を僕が額面通りに受け取るべき理由が何かあるんですか」

 「お前は何か勘違いをしているようだ。お前が信じるか信じないかはこちらの知った事ではない。懇切丁寧に説明して納得してもらう必要もない」

 先程の「対処」発言と合わせて考える時、実力行使を示唆していると考えるべきだろうか。

 「第一、この世界とお前の世界の差異など知らぬ私が、どうして一例をあげてお前を納得させることが出来る?むしろ、そのような違いを指摘出来たなら、それこそお前が考えているように私が何らかの詐欺を働いていることの証左にはならないか?」

 言葉遊びじみた話よりも、むしろそれに続いて、うそぶくように言った言葉こそが、ナリタカの注意を捕らえた。

 「だいたい、言葉を発する招獣自体が前例のないことなんだ。あまつさえ、主人に向かって口答えするなど考えもしなかった」

 「・・・言葉?」

 イリューシャは恐らく何の気なしにそういったのだろう。しかし、それはナリタカをして、一つの事実を気づかしめた。とっくに気付いて然るべきであった、その事実。

 自分は、この見るからに言葉の通じなさそうな連中相手にずっと会話をしている。

 目眩がした。

 自分が話しているこの言葉はなんだ?

 それは日本語ではなく、かといって片言しか分からぬ英語でもなく、その二つでないとしたら、ナリタカにとっては不可知の言語である。にも関わらず・・・

 「僕はこの言葉を、この言語を話している」

 自分の口から滑りでた言葉の響きが、ナリタカの動揺を深めた。まるで産まれてからずっと使ってきた母国語のように、いや、ある意味それ以上に、それらの言葉は、喉の奥から、舌の先から、流れ出た。音節やトーンは耳にしっくりと馴染んで、考える間もなく理解され、その違和感のなさが、底知れぬ違和感となってナリタカにのしかかる。

 「お前が話しているのは、セル語だ。お前の国でもセル語が話されているのか?」

 ひどい酩酊に似た目眩が、ナリタカをよろめかせた。立っていられずに、ソファに逆戻りする。

 さまよった視線の先、紗のカーテンの間に月があった。

 「・・・そんな」

 空に浮かぶ巨大な一つ目が、赤銅に色づいてナリタカを見返していた。それは確かに、月と呼ぶべき天空を司る夜の支配者ではあったが、同時にナリタカの知る月ではなかった。

 ナリタカがこれまで見たどんな夜の月よりも、数倍は大きい。地平線ちかくの対象物との比較にともなう目の錯覚などでは、断じて有り得ないサイズだった。

 満月を幾日か過ぎただろう歪な円盤は、その尋常ならざる巨体でもって、ナリタカに知らしめた。

 ここは異世界なのだ、と。


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