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第二話 招聘 (3)

 現状を把握するよりも早く、ナリタカは男達に取り押さえられた。一言半句たりとも発せず、職業的な簡潔さをもってナリタカを地面に引き倒し、その手首をつかんで後ろ手に捻り上げ、顔を地べたに押さえつけた挙句、首に槍の刃をあてがう。

 ひやり、とした感触が斜めに首筋をつたい、ナリタカは抵抗をやめた。彼等はナリタカを無力化した事を確認すると、ようやく口を開いた。

 「貴様は何者だ。どこから忍び込んできた」

 先ほどの少女と同じ質問だった。同じように警戒心もあらわな、自分を有害な不審人物と断定している口調。違うのは答えなければ何をするのか分からないという剣呑な態度だけだ。

 「違う」

 何が違うのか自分でも分からないままにナリタカはうめいた。

 ここはどこだ? この連中は何だ? 

 だだっ広い公園のような場所。メイド服のような奇妙な格好をした女性。薄い色の髪と目。その彫りの深い顔立ちに穿たれたガラス玉のような瞳。向けられる視線。誰何。悲鳴。罵声。

 ただ、身じろぎする度に皮膚をはむ刃の感触だけが、危地のまことをこの上なく明瞭に伝えていた。それは、包丁やジャックナイフや、ナリタカの身近にあった刃物とは違う、人を殺すためだけに研がれた武具だった。

 刃物を喉元につけつけられると、動く事はおろか呼吸さえままならなくなるのだという事を、ナリタカはこの時はじめて知った。

 「答えろ!」

 男はナリタカの手首を更に捻りあげ、その肘を無理矢理伸ばして、腕をじりじりと上へ押し上げる。肩の関節に急激な負荷がかかる。自分の口からほとばしる悲鳴と共に、ゴキ、という不吉な音を聞いた。

 悶絶する。のけぞった拍子に首筋に刃が食い込み血を吹いたが、肩の疼痛がそれを圧した。焼け付くように痛い。全身から汗が吹きでた。

 「やめろっ!」

 その声は男達のものではなく、また自分を最初に問い質そうとした女性のものでもなかった。気絶しそうな痛みの中で、ナリタカを冷静に見下ろす、もう一人のナリタカがそう判断する。

 「これは、殿下っ」

 ナリタカを拘束する一人を残して、男達は飛びすさって姿勢を正す。地に肩膝をつき、右手を胸に当て、頭をたれる。ナリタカの首にあてがわれていた刃も除かれた。

 「その者を放してやれ」

 その口調に、奇妙な違和感を感じた。

 怒鳴っている訳でも、それどころか強く言っているわけでもないのに、ただ何か抗い難い微妙な威圧感を感じさせる声音。

 命令と言えば、それはまごうことなき命令であったが、ナリタカがこれまで聞いてきた、生徒への媚をぬぐいきれない教師達のものとも、大人が激昂した時に放つ虚勢とも異なる、ナリタカがこれまで聞いた事のない類のものだった。

 相手が自分の意に従うことを微塵もうたがわない、彼我に横たわる上下関係を一瞬にして知らしめる、そんな物言いがこの世にあるのだということを、それまでナリタカは知らなかった。

 無骨な手の下で視線だけを声の方向にやった。

 一様に膝をついた男達の先に、立っている二人の人間。一人は青年で、もう一人は少女。二人とも他の人間に劣らず、珍妙な衣装に身を包んでいる。

 「しかし殿下、この者は−ーー」

 「危険はない。多少、不幸な行き違いがあったようだな。放してやれ」

 「はっ」

 急に自由になった体をもてあましてナリタカは地面に突っ伏した。拘束と一緒に緊張まで解けたように、痛みと目眩が襲ってきて頭がぐらついた。

 なんとか体を起こすと、だらり、と垂れ下がった自分の右腕に気づいた。痛覚はあるが力が入らない。動かそうとしても動かない。

 「肩を外されたか」

 顔を上げると、例の声の主が立っていた。「殿下」と呼ばれ、筋骨たくましい男達に跪かれているのは、どう見ても、まだ十代半ばと知れる少女だった。

 「申し訳ありません。よもや、殿下ゆかりの者とは露とも存じず…」

 「お前達に伝えておかなかった私にも非はある。気にするな」

 少女はこともなげにそういって、「シンハ」と傍らに立つ青年に一瞥を向けた。小さく頷いた青年が進み出てナリタカの前に膝をつく。

 無表情な青年だった。苦痛に歪んだナリタカの様子など一顧だにせず、不気味に垂れ下がった腕にさわる。患部を触診するように指を這わせ「手や肘は動くか」などと聞いてくる。

 しばらくすると背後の少女に報告した。

 「大した事はありません。簡単に治せるとは思いますが…彼、が相手では、いささか勝手が違う可能性もあります」

 「分かっている。しかし、たかが脱臼だ。多少間違った所で大事はない」

 訳の分からないやりとりの末に、青年は少女の承諾を得てナリタカの処置をはじめた。

 ナリタカを噴水の側まで連れていき、その縁石を背もたれにナリタカを座らせた。どうやら体を固定するためらしい。青年は右手でナリタカの手首を、左手で肘をつかんで言った。

 「体から力を抜け。呼吸を整えろ」

 いい終えるや、ほぼ直角に曲げられたナリタカの腕を、内側に、ナリタカの胸壁に押し付け、一気に下に引っ張る。そこから肘を支点に、肘より先を小さく外に回す。

 その動作が幾度か繰り返された。一回、三四秒ほどの周期だ。流れるような動きは早く痛みも少なかった。

 ついに外れた時と同じ、ゴキ、という音がして、いままでの苦痛が嘘のように痛みが消えた。

 「整復は終わったが、慢性化しないためにも、しばらくは右肩を出来るだけ動かさない方がいい」

 事務的にやるべき事をやり終えたといった感じで、青年は少女の傍らに戻る。

 礼を述べたほうがいいのだろうか、という場違いな発想が産まれるが、相手の態度はそんな当たり前のやりとりを挟む余地もないほど、事務的だった。

 苦痛が消え全身を濡らす汗が冷えはじめる頃には、流石にこの異常事態についてナリタカは考え始めていた。

 青年も少女も、誰も彼も、この場にいる人間すべて何かがおかしい。第一、彼等の容姿は、どう逆立ちしても日本人のものではない。外人。いや、白人?

 少女の髪だけは、顔立ちに似合わず黒いが、他の人間は金と茶のバリエーションだ。それに瞳の色は青や緑と、みな淡い。

 髪と目の色、顔立ち、服装、立ち振る舞い、それに言葉づかい。何もかもが、ナリタカが産まれてこのかた慣れ親しんで来た世界のものではない。

 そして、それは人間ばかりではなく、この西洋趣味の庭園にも言える事だ。石造りの噴水も、その中央に立つ獅子の彫像も、広がりを持った空間の奥行きも、日本というよりはまるでイギリスの貴族の庭園だ。

 それでいて彼等の衣装は、ヨーロッパの貴族というよりは、むしろギリシアの民族衣装に似ていた。

 ちぐはぐだ、との感想を覚えてから気付く。この場にそぐわないのは、彼等ではなく、むしろナリタカの方なのだ。

 自分は一体、どうして…?

 気づけば溺れそうになっていた。必死に這い出してみればこの場所で、奇妙な格好をした外人の女性ないし少女達の驚愕と警戒の眼差し、かみ合わない会話、凶器を携えて駆けつけてきた男達。不条理な暴力。

 鍵は一連の出来事以前にあると分かっていたが、問題はその思い出すという作業だった。

 断片化された記憶。時系列順に辿れない。混乱している。それは、普段は整理されたファイルが何かの拍子に混ざってしまって順番が分からなくなってしまうのに似ていた。

 「どうした?面を上げろ」

 思考を中断され、ナリタカは言われるままに顔を上げた。自分を見下ろす少女もやはり異国的な容貌をあらわしている。

 磁器を思わせる白い肌、西洋の中に東洋をうかがわせる目鼻立ち、青みがかった直ぐな黒髪、すんなりと伸びた体躯。美しいという形容が似合う人間は世に少ないが、この少女は十分それに値する。

 しかし同年代の美しい少女を見た時の心の動きは皆無だった。むしろ恐いとすら感じた。状況の異常性もあるだろうが、決してそれだけではない。

 見つめられるとそらせない射るような碧眼。そこに浮かぶ光は、他の一切の造形美を裏切るように、冷たく、鋭く、ナリタカを睥睨へいげいする。なぜだが見覚えがあるような気がしたが、こん印象的な目を一度でも見て、忘れられるとは思えなかった。

 少女の視線が観察するようにナリタカをなぞる。それを隠そうともしない無遠慮な態度に、不快感と居心地の悪さを覚える。

 ふと、その視線がナリタカの首筋に止まった。

 「お前でも血を流すのか」

 槍の刃で切った部分だ。出血はもう止まっている。

 「お前の名は?」

 尋ねたのではない。男達に命令した時と変わらない口調で、少女はナリタカの名前を求めたのだった。

 「…成隆。相馬成隆」

 「ソーマ?それが、名か?」

 「成隆が名前で、相馬が姓です」

 「ではナリタカ」少女は続けた。「お前はなぜ自分がここにいるか分かっているのか?」

 首を振った。

 「…そうか」

 失望に似た色合いが少女の面をかすめた。思えば最初から彼女の表情は明るくなかった。顔色もあまり良くない。

 「それを知りたいのなら、私と共に来るがいい」

 その言葉の信憑性を信じたわけではなかったが、他にどうすればいいのかも分からず、ただ黙っていた。

 少女は控えていた男達に向き直った。

 「お前達には面倒をかけた。すまなかったな。以後こういう事はないように気をつける…下がってよい」

 彼等はひたすら恐縮して、下げた頭をますます低くした。

 「アリシア」と、今度は呆然と一部始終を見ていたメイド服の女性に声をかける。最初にナリタカに質問をあびせかけてきた女性である。

 「ご苦労だった。仔細はのちほど聞かせてもらう。とりあえず、これの手当てと着替えを頼む」

 これ、とはどうやら自分の事らしい。

 「終わりしだい、部屋に連れて来てくれ」少し間があって付け加える。「茶の用意も頼みたい。そうだな、東方産のものがこの間入っただろう。後で一緒に持ってきてくれ」

 こうして関わった者誰一人として納得のゆかぬまま、太陽は木々の間に没し夜が訪れようとしていた。



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