第十話 擾乱 (2)
「ベルグ王立学院は異端の殿堂だっ!」
「天地創造の技を真似る試み、それすなわち神を擬する行為なり! 魔法しかり、数学しかり、地理しかり、測量しかり、物理しかり。全ては自らを神に近づけようとする、人の奢りが編み出した悪魔の技なり」
「自然を曲げ、神の理にそむく異端者たちに、神の裁きを! 悪魔の技をならう全ての者たちに、死の鉄槌を!」
「我々は、王立学院の存在意義に異を唱えるものなり!」
「王は王立学院を私的に占有し、議会に背き、市民の声をないがしろにしている! なぜか? 外国の貴族どもに尻尾をふるい、そのお遊戯の場を守るためにだ!」
集団の音頭をとる一際たかい喚声が上がるたび、人々の集団は賛同に湧き、ときの声を上げる。
「そうだ、そうだ! 王立学院なんて糞の役にもたたねぇもん、ぶっ壊しちまえ」
「この世は神様が作ったんだ。それを無視しして自分たちの勝手に操ろうとするなんて、ふてぇ考えだ。教皇様がゆるしても、ワシが許さなねぇ」
「貴族のぼんぼん共の優雅なお勉強のために、なんで俺らが汗水たらして働かなきゃならん」
「史書編纂なんて糞食らえ! 賦役も税金も糞食らえだ! 改築がしたいなら、てめぇらで働いてみろってんだ」
「諸君! この様な横暴がまかり通っていいのか!? この様な不信心がまかり通っていいのか!?」
「いいわけねぇ!!」
「殺せ!」
「壊せっ」
「学院を打ち壊せ! 王を玉座から引き摺り下ろせ! 貴族どもに目にものを見せてやるんだ!」
「おお!」
「やれっ」
「やっちまえ!」
皇女邸の正門で、口々に罵声をあげる集団の熱気はすさまじかった。衛兵達と皇女邸の堅固な壁がかろうじて彼等を屋敷の外に押しとどめているものの、ひとたび門が打ち破られてしまえば、どうなるか知れたものではなかった。
それに、いかに増強されているといえども、もともと皇女邸は要塞ではなく、個人の私邸を想定して作られている。
「アリシア、これの一体どこが“市民”なんだ? ただの狂信者集団じゃないか」
報告を受けて駆けつけてきた皇女は、現場を一望するなり端的な感想を述べた。しかしその表情は口調ほどにはふざけてはいない。
「は、申し訳ありません。ですが、彼等はベルグ市民の代表を名乗っているようです」
「“市民の代表”ね。包丁でもナタでもなく、槍や剣などの武具を手にした“市民”とは、これまた物騒な世の中になったものだ」
平民であれば、鍛冶屋の店主でもない限り、槍や剣などの本格的な武装を手に入れるのは難しいはずである。手に入れられても、その数は限られたものであるはずであり、面前の集団のように、手に手に立派な武具を握りしめているのは、明らかに不自然にうつる。
とりあえずは現状把握が先決だった。
「現場責任者はどこだ! 警護達の隊長はどこにいる!」
皇女は声を張り上げる。混沌の中で、走り回る兵士の一人が皇女は認めて立ち止まる。
「これは皇女殿下! いまご報告に上がろうとしていた所です」
姿勢をただし平伏しようとする兵士を皇女は制して、先をうながした。
「隊長は?」
「は、それが恥ずかしながら行方が分からないのです。暴徒がこの屋敷をとりかこんだ時には、もう隊長の姿は見えず我々が探している有様でして」
「なら副隊長がいるだろう」
「さきほど急病で倒れました」
なんの冗談だ? というイリューシャの表情を受けて、若い兵士の顔がかげる。
「副隊長だけではありません。当直の兵士の多くがここに来て体調不良を訴えておりまして、
戦闘力はおろか、行動可能な人員自体が半減しております」
兵士の顔に浮かぶ憂慮はイリューシャのものでもある。このタイミングでこの符号はありえない。つまり何者かが兵舎の食事に一服もったということだ。そして隊長の失踪は、彼が既に死んでいるか、この件に一枚かんでいる事を意味している。そう考えて間違いはなさそうだった。
「なぜ報告が私の元に届かなかった?」
「最初は軽い体調不良であり、訴え出るものの数自体が少なかったのです。またーー」
「もういい」皇女は苛立ちを隠そうともせずに続けた。
「状況はどうなっている?」
「は、暴徒の数はおよそ五十名から七十名。暴徒はみずからを『ベルグ市民同盟』と名乗り、その正体は目下不明、その目的はーーー」
おりから、一際高い罵声が塀の外から響いてきた。
「門を開けろ!」
「ラトギアの皇女を引きずり出して、俺達の前に膝まづかせるんだ!」
イリューシャは首向する。
「なるほど、良く分かった」
『ベルグ市民同盟』ーー初めて聞く名前だが、その発言をかんがみるに科学と魔法に対して全否定の立場をとる宗教的原理主義の集団らしい。既存の過激派宗教団体の一派だと考えて間違いはないだろうが、問題はなぜ彼等が、彼等の非難する王立学院そのものではなく、そこに在籍するとはいえ、在学者の一人にすぎないラトギア皇女の館を選んで押しかけてきたのか、という点だ。
「もうベルグ王宮の方には報せは飛ばしたのだな?」
「はい」
まあ仮にその報せが届かなかったとしても、早晩、騒ぎを聞きつけて駆けつけてくるだろうが。
「では、残された者の中で、もっとも階級の高い者に指揮の代行を命じる……階級が同じなら、名前の順番ででも決めろ」
少なくとも、いないよりはマシなはずである。
「は、しかし……」
本来、警護対象であり外国の人間であるイリューシャに、そういった任命を出来る権限はない。
「この非常時だ、文句はあるまい。責任は私がとる。それともラトギアの第一皇女の命では不足か?」
「あ、いえ、とんでもございません!」
「では、その者の元、残された人員を集めて隊をまとめ、正門と裏門を固めろ。私個人の武器庫の使用も認める。ただし、私の命があるまで専守防衛以上の武力行使は控えろ。相手は一応“市民”を名乗っている。それ以外は全てお前達に任せる」
「はっ!」
「さて、と……」
走り去っていく兵士を見送ると、イリューシャは後ろを振り返った。アリシアとナリタカはそれぞれ緊張した面持ちで一部始終を見ていた。
「何がなんだかよく分からないが、そういう事だ。どうやら外の自称市民どもの狙いは私らしいぞ」
アリシアの顔は青ざめている。
「一体なぜ?」
「ま、どこにいっても私は民衆に嫌われる運命にあるという事だな」
ラトギアでは世論を騒がせる悪名高い皇妃の娘として。ここベルグでは国力を嵩にきて無理難題をつきつける大国のラトギアの第一皇女として。
“蛇蝎のごとく”とまでは言わないまでも、どちらかというと嫌われている部類に入るだろう、自分は。
イリューシャは自嘲する。
しかし、ここでの自分の風評がいかに悪かったとしても、それだけでは“市民”が自発的に外国の要人ーーつまり自分を襲う理由にはならない。
ましてや、その六十名からの集団が騒ぎ一つおこさず関所を抜けて王宮区画まで侵入し、あまつさえ自分の屋敷を取り囲んでいる説明には成りえない。
「あの、シンハヴァイン様は?」
「あいつは肝心な時に、いつもいない。そういう奴だ。今日は朝から護衛隊の宿舎の方にいっているはずだ。もっとも外の様子を見る限り、いまさらのこのこ帰ってきたところで簡単に屋敷の中には入れんだろうがな」
アリシアは不安気な表情を深めた。
その隣で、硬い表情をして沈黙を守っているのはナリタカだ。さきほどから何を考えているのか、一言も話そうとはしない。
まさか、禁術を使った事がばれた訳であるまい、とイリューシャは頭をめぐらす。とすれば、彼等の狙いは禁術関連ではなく、ラトギア皇女としての存在価値、否、利用価値か。
それでも色々と疑問は残るが……
「案ずるな」
イリュ−シャは肩をすくめる。
「数の利はともかく、地の利人の利はこちらのものだ。あっちは素人、こっちの手勢は曲がりなりにも職業軍人。それに屋敷に立てこもっている限り、向こうも簡単には手を出せないはずだ。我々王宮から鎮圧部隊が送られてくるまで、せいぜい高みの見物を決めこんで待っていればいい」
「……それは、そうなのかもしれませんが」
「アリシア、お前はナリタカでも連れて屋敷の中に退避していろ。外は危険だ」
アリシアは毅然と顔をあげ、首を横に振った。
「殿下お一人をこんな所に残して、自分だけ避難することなど出来ません」
「では任務だ。屋敷の人間を集めて、彼等の動揺を沈めろ。お前、人をあやすのは得意だろう?」
アリシアは重ねて首を振った。
「私ども侍女侍従を初め、この屋敷の中にいる者は一人残らず皇女殿下にお使えする身。殿下の身の安全を最前と考えるのが私どもの務めであり、またそうする事に誇りと喜びを感じております。ですからどうぞ私どものことはお構いなく」
今にでも、この身を皇女のために投げ打って惜しくない。そんな目をしている。真性からの忠誠と呼ぶべきか、盲目的な心酔と呼ぶべきか。
アリシアの熱のこもった決意を、イリューシャは冷めた表情でみやった。
「勘違いするな、アリシア」
絶対零度の声が、アリシアを突き放す。
「足手まといだといっている。兵士ならいざしらず、侍女であるお前が一緒にいても邪魔なだけだ。ましてや何かが起こり、侍女を盾にして我が身を守ったとでも噂が立てば、私の名にこそ傷がつく」
「でも、イリューシャ様ーー!」
「くどい、これは命令だ」
今生の別れでもないだろうに、アリシアはあられもなく涙を流しはじめた。紅潮した頬を、後から後から涙の筋がつたい、あてどもなく滑り落ちていく。
「分かったら早く行け」
「……い、嫌です」
アリシアの大袈裟なまでの心配と、異様なまでの固執のしようは、イリューシャは苛立たせる以上に戸惑わせた。後にして思えば、それは女性特有の感の良さだったのかもしれない。
言ってみれば、彼女はその猟犬のような嗅覚で、これから起ころうとする事を、主人に忍びよる危険の匂いを誰よりも正確に察知していたのだ。そうイリューシャ自身よりも正確に。
「なら僕がアリシアさんの代わりに残りますよ」
事態を収拾したのは、どこか投げやりに放たれたその一言だった。それまで黙って二人のやりとりを聞いていた招獣ナリタカは、驚いたような皇女の視線を見返していった。
「僕があなたの……皇女殿下の側に残ります」