第九話 無能 (2)
自分が無能なのは別段、皇女の求める能力に限らない。
勉強でも体育でも、自分が他より抜きん出たことなど、幼稚園からこのかた一度だってなかったのだから。むしろ皆に置いていかれないよう付いていくのに、いつも青息吐息だった。
私立の小学校のカリキュラム。兄も通ったのだという進学塾。
睡眠をけずり、がり勉し、両親の期待に応えようと、いじらしい努力を重ねた時期もあった。
それでも学年の上位十番に入ることさえ出来ないのだと知った時は正直、自分は欠陥人間ではないのかと疑ったものだ。DNAの一部にどこか欠損があって、それが自分の知的能力を阻害しているのではないかと。
そうでも思わなければ、とても納得できるものではなかった。
兄の辿った足跡をそのまま踏襲したのだ、自分は。
努力だって出し惜しみはしなかった。
それなのに、この違いは…兄と自分の間に横たわる、この格差は一体なんなのだ、と。
共有している筈の四分の一のDNAは全て自分においては劣性遺伝子なのか、それとも兄において劣性なのか、などと訳の分からない事を真剣に悩んだ。
そう、後にして思えば兄は出来が良く、自分がそうではなかったというだけの話だ。だが当時は、その簡単な事実を受け入れがたかった。
機会均等という言葉があるが、あれは平等でも何でもない。なぜなら機会均等は、能力の不均等の上に成り立っているからだ。能力に開きのあるもの同士が同じ土俵に上がることの一体どこが平等だというのだろう。
人は不平等に産まれ付いているというのに、なぜ生まれ落ちた後は『平等』に扱われるのだろう。別に僕は共産主義者ではないが、機会均等の一体どこが結果均等よりも平等なのか、理解に苦しむときがある。
人は努力の価値を説きたがるが、世の中には努力だけでは埋まりようのない溝が存在する。兄のような宇宙人や、弟のように、あくまで自分のルールで生きていける人間が存在するのがその良い証拠だ。
出来の良い長男を持った両親は最初こそ、それなりの期待をナリタカにかけていたが、いつしかそうする無駄を悟ったようだった。ナリタカの下から追い上げてきた弟に新しい希望の芽を見つけてからは、なおさらに。
不毛な期待に神経をすり減らすことをやめた母は、以前よりナリタカに甘くなった。優しくなったと言ってもいい。
だが、それが見捨てられるのと一体どう違うのか、ナリタカには分からなかった。
―――ナリタカ、お前のいい所は努力を惜しまないところよ。
とってつけたような褒め言葉。他に褒める所がないのか。そもそも褒めているつもりなのだろうか。詰め込み教育から、ゆとり教育に宗旨変えか?
―――でもナリタカ、お前はお前のペースでやっていけばいいんじゃないかしら。
僕は産まれてこの方、あんた達のペースでやってきたんじゃないか。あんた達が敷いたレールの上で、あんた達に出される障害物をクリアするのに必死で、ただそれだけだった。なのにいまさら僕のペースで?
教えてよ。僕のペースって一体どんなペース?
――――もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかしら?
肩の力を抜いたら、あっという間に置き去りにされる。追いつけなくなる。
―――――そんなに頑張らなくても…
『頑張って』と言ったのはあなたじゃないか? どうしていまさら違うことを言う?
―――――お母さん達の期待に応えようなんて思わなくていいから。
見捨てられた、と感じた瞬間。
―――あんまり、お兄ちゃんの事、プレッシャーに感じなくていいからね。ナリタカはナリタカなんだから。
お前に価値はない、と言われた気がした。
「…ナリタカ? どうした? 顔色が悪いな。やはり医師に―――」
自分を飼い犬扱いしてはばからない女の声……でも、じゃあ、元いた世界では自分はそうではなかったのか? 飼い犬ではなかったのか?
ご褒美にありつくために、撫でてもらうために、芸をする飼い犬ではなかったのか?
ナリタカは笑った。顔を上げ、訝しげな顔をした自分の『主人』を見返す。
「だから僕は招獣として無能という事になります」
自分で自分を否定して見せることには、心を引き剥がされるような痛みと、そして丁度それと同量の快感が潜んでいる。
ナリタカは、その痛みを抱え、熱にうながされ、繰り返し反芻する。
「僕に価値はない」
認めてしまえ。そうだ。相手に否定される前に、自分で認めてしまえば良かったんだ。
「僕には、あなたの期待に沿うことは出来そうもありません」
僕は、あなた達の期待に答えることが出来なかった。
「魔法一つ使えない僕は、貴女にとって無用の人間のはずです」
あなた達にとって僕という人間は無価値だ。
「でもだったら、どうします?僕を…」
僕を否定した。
失望と哀れみを等分に含んだ、その言葉で、その口で、その指で、その目で―――
「殺しますか?」
あなた達は、僕を殺していった。