第八話 共犯 (1)
「丁度いい。こっちもお前に話したいと思っていたところだ」
学院の外れにある礼拝堂を選んだのは、一つに滅多に来訪者のない事、また小さな礼拝堂であるため人の有無を人目で確認出来る事、さらに聖域であるため常時魔道の結界が張られているため万が一にも盗み聞きされない、以上の三点からだった。
「なぜ、ですか?あなたに一部を渡したとき約束した筈です。どのような理由であれ、決して文書に書かれている事を試したりしないと。それなのに、あなたは……」
カトルの語り口は苦い。
それに比べて、皇女はといえば、礼拝堂の長椅子に腰をかけ、頭を背もたれに寝かせて、丸天井を仰いでいる。
まさか、言っている事が分からないでもないというだろうに、この余裕は何だ?
「約束を破られた、と詰りに来たか?子供でもあるまいに」
天井を見上げたまま、皇女はおかしそうに、笑う。
「それにしても、昨日の今日で、何とも目敏いことだ。どうして、気付いたのか聞いてもいいか?後々の参考のためにも」
どうやら、否定する気はないらしい。それどころか、居直ったようなこの態度はどうだ?
反省の色を見せるどころか、これでは立場が逆ではないか?自分は皇女を問い質しに来たのであって、その逆ではない。
憤懣を押し殺して、カトルは口を開く。今は個人的な感情に拘泥している時ではなかった。
「先ほど、殿下を目にするまでは、確信はありませんでした。無惨なものです。貴女を取り巻く、生体エネルギーは、明らかに減衰している」
「明らか、ね。謙遜しなくてもいい。普通なら、体調を崩したで通る程度だ。お前ほど、感知能力の高い術士はそうそういない」
「巨大な術を行使した影響もあるのでしょうが、それだけでは、体組織や、生体組成単位の一つ一つが、劣化している説明にはならない。失われたのは生命力。人体に蓄えられた命の量そのものが、目減りしているのです」
皇女は、頭を背もたれに預けたまま顔だけをカトルに向けた。
「なるほど。お前は、術士にして司書という肩書きに加えて、医学の心得もあったな……劣化か。とどのつまり私の寿命が縮んだと」
そうだ。
禁術を使うという事は、そういうことだ。
その代価は人間という生物にあらかじめ設定された有限の時間。生体に蓄えられた命の量。
砂時計の砂がさらさらと下にこぼれるように、生物はゆっくりと死までの時を刻む。
禁術の源は、その命の砂であると言える。本来は生体維持のために使われるエネルギーを大量に流用すれば、当然その人間の物理的寿命に影響を与えずにはいられない。
「だが、それは私に会って初めて分かったことだろう。お前が、確信に至らないまでも、疑いを抱いたその経緯を聞いている」
カトルは俯いた。すこしの逡巡の後に、そのまま頭を下げる。
「……ご無礼はお詫びします。私は、貴女に訳文を渡した時、万が一の時の保険として、鈴をつけました」
「鈴?」
「はい。無論、本物の鈴ではありませんが、似た働きをします。強大な魔力の振動に、揺れて鳴る鈴です。つまり、あなたが大掛かりな術を使えば、その鈴が鳴るわけです。鈴は二個で一対。あなたにつけた鈴は、私が持っている鈴と一対で、一つが鳴れば、もう一つも共鳴します」
「一種の反応装置か。いつの間に私にそんなものをつけた?」
「訳文そのものが鈴です」
皇女は舌打ちをする。
「昨夕その鈴が鳴りました。重ね重ね、無礼なことですが、私はその直後、貴女の屋敷内を遠視しよう試みました。むろん皇女殿下の屋敷に結界が張ってない筈がないのですから、無理は百も承知でしたが……結果から言えば、やはり無理でした。しかしながら結界に歪みが生じていたのは分かりました。さらに言えば、その歪みは内側からもたされていた。もとより、あの手の結界術というのは、外側からの干渉には強くとも中からは脆弱なものです……結界の乱れが何を意味するのかはともかく、その内側で何らかの異変が起こったというのは分かりました。例えば、貴女が術をコントロールしきれず、暴走させたとか」
話ながら相手の様子を伺う。皇女は、いささか拍子抜けするほど、あっさりと認めた。
「まあ、結果だけ言えば、それに近いか。私も大概、爪が甘い。結界が乱れていたのはわずかの間だった。よもや、あの時間にお前が覗き見しているとも思わなかったんでな。大丈夫だと思っていた」
「無論のこと、以上のどれ一つをとっても、貴女が禁術を行ったという決定的な証拠には成りえません。ですが、これだけ揃えば事情を知っている私には十分でした」
そういって一端、言葉を切る。
「…どうして、ですか。あなたは、天下のラトギアの嫡出の第一皇女で何不自由ない身分のはずだ。知にも、才にも、美にも、恵まれている。それ以上、何を望むというのです? いったい何がそこまで、貴女を駆り立てたのです? 私の信頼を裏切り我が身を削ってまで成功させねばならなかった術とは何ですか? 私には知る権利があるはずです」
望む答えは意外なほど呆気なく放ってよこされた。
「招獣の技」
耳を疑った。
招獣? 招獣の技? ラトギア皇家の血継能力の?
皇女の言葉を反芻し、意味を咀嚼する。そうして一つの答えに行き当たった。他に考えられる理由はなかったが、その答えは必然的に何故という新たな問いに行きつく。
「………つまり、貴女の狙いは…ラトギアの皇位、というわけですか」
「そうとってもらって構わない。カーライル皇子と比較して私が有利なのは嫡出という、ただの一点のみだった。現状では私をすり寄ってくるような輩は現体制に不満を持つ、ケチなはみ出しもの共だけだ。信用も出来なければ頼りにもならない。少しでも目端のきく人間は、私のような存在に関わって、立場を危うくするような馬鹿な真似はしない。そんな、血統以外には何の取り得もない第一皇女が、三年ぶりに帰国して皇位継承を争えるはずもないだろう?だから私には招獣が必要だった」
「では、なぜ皇位を望むのですか?ましてや、女性である貴女が」
皇女は溜め息をつく。
人に質問はする割に、こと質問される側に回ると途端に熱意を失ってしまうらしい。
「権力を、力を求めるのに性別が関係あるか?」
「論点をずらさないでください」
そんな人を喰った答えで、煙に巻かれる気はない。本人があくまでその気なら、こちらから斬り込んでいくまでだ。
「……それは、殿下と父君であらせられる皇帝陛下との関係に起因するものですか?」
誰もが知っていて口にしない皇帝父子の不仲。公然の秘密をカトルは初めて口にした。恐らく、皇女相手にそんな無礼を働いたのもカトルがやはり、初めての人間だろう。
効果は、あった。
皇女の、例の余裕たっぷりの仮面が音もなく、はがれ落ちていった。皇女の逆鱗に触れた事を知るのにそう時間はいらなかった。
元々きつい印象を与えがちな切れ長の眼が、さらに細められ、その奥からカトルの知らない光に染まっていく。
今まで身分の隔たりにも関わらず、カトルに向けられてきた、気の合う学友に対する尊敬と親愛の念。それらのどんな片鱗も、底冷えするような碧の光彩に見出すことは出来なかった。
威圧と敵意を隠そうともしない碧眼の下で、朱唇がねじれて笑みを佩いた。
「下衆の勘ぐりだな」
辛辣な眼差しと、いっそ穏やかなほどの口調が、そぐわなかった。
「よもや、カトル、お前の口から、宮廷の九官鳥どものような言葉が、飛び出てくるとは思わなかったよ」