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第七話 平民

 

 「殿下っ」

  男は、皇女の到着を待っていたようだった。正門をくぐるや否や、待ちかねていた者の性急さで駆けつけてきて、馬上の一行を振り仰ぎ、続いて一礼する。

 「よろしければ、少々、お時間を頂けないでしょうか。お話したいことがあります」

 慌ただしい略式礼を終わらせて、男は開口一番そう言った。

 若い男だ。十代後半から二十代前半。

 透明感のある水色の瞳が印象的である。ラトギアの第一皇女に対する物怖じも媚びも認められない。清澄な眼差しが、いっそ、不敬に当たりかねないほど真っすぐに、イリューシャを見上げる。

 「ああ、カトルか。どうした?改まって」

 イリューシャの気安い口振りと、男の痩身を包んでいる緑の学服が、二人の関係性を端的にあらわしている。

 学友といったところか。ラトギアの王立学院では貴賎の別はないらしい。神の御前と同様、学問の前に身分は重要ではないとかいう理念をかがげている。

 理念の中身の程は、学生の九割以上が、国内外の有力貴族や王族に占められているという実態を知れば己ずと知れたものだが。だが、どれほど形骸化された建前であっても、それなりの影響力というのはあるものらしい。

 おそらく、このカトルという青年の身分はあまり高くはない。にも関わらず、二人の間に流れる空気は、表層的ではない交友関係を忍ばせる。

 とはいえ、皇女の笑みを受けて眉一つ動かさない愛想のなさはどうした事だろう。いかに彼の案件が急を要するものであれ、また仮に二人の関係が身分を超越したものであれ、最低限の社交マナーというものはある。

 それどころか水色の瞳の底にちらつく煩悶と苛立ちに似た感情は刻一刻と焦燥を深めていくようだった。

 「改まってお話したい理由は、殿下御自身が一番ご存知だと思われますが」

 いよいよもって、険を含んだ物言いである。

 信じがたいことだが、彼は、本来なら雲上人であるラトギアの皇女相手に、どうも怒っているようである。

 イリューシャは例によって肩をすくめ、馬上から一呼吸で地面に降り立つと、手綱を供の者におしつけカトルの前に立つ。

 「これから、学院長をはじめ、方々に別れの挨拶をと思っていた所だが……まあ、順序が多少狂ったところで、問題はないだろう」

 それを聞いて、カトルの顔は益々固くなった。

 「では、もうご帰国なされるのですか?それは、また……いかにも急な」

 「急か? まあ、そうだな。先触れの使者があってから、護衛隊の到着まで半月と置いていない。ラトギアの宮廷は、よほど私が恋しいらしい」

 誰もが知っているカーライル暗殺事件とイリューシャ留学の因果関係を前に、中々図太い物言いだと言わざるを得ない。

 「ああ、そうだ。紹介が遅れていたな。こっちがシンハヴァイン・エトキア。私の本国までの護衛役だ。そのために、戦地から呼び戻され、はるばるベルグまで出向くはめになった可哀想な男だ」

 カトルは初めてシンハの存在に気付いたようだった。いままでは、イリューシャに付き従うその他大多数と一緒に埋没していたのだろう。

 よく言えば朴訥、悪く言えば垢抜けない感じのする青年は、慌てて非礼を詫びると、社交辞令をまくしたてた。

 「天下に名高い、エトキア家の方にお会いできるとは光栄です。シンハウ゛ァイン様のお話は、かねがねイリューシャ様よりうかがっておりますれば、始めてお目にかかったような気もいたしません」

 台詞に反して、口調にはあまり心がこもっていない。社交辞令にしても、もう少し愛想があってよさそうなものだ。

 「シンハ、この青年は、カトル・マルグーといって」

 カトル自身の挨拶も終わらぬうちに、自己紹介を先取りして、イリューシャが割って入る。  「その名前の示すとおり、平民の出身だ。つまり、当学院内において、もっとも優秀な集団の一人というわけだ。中でも彼は、将来を嘱望される期待の俊英、前途洋々たる若者だ。この若さで文書館の司書を務めているだけでも――――」

 「イリューシャ様…」

 その先の言葉を待つまでもなく、カトルの目が、全身が言っていた。話を切り上げて、そろそろ本題に入らせて欲しいと。

 これだけ、内心を露に出しては、まるで事情を知らないシンハであっても、何か並々ならぬ話があることは察せられる。シンハが分かるのだから、当事者のイリューシャが話の内容に心当たりがないとは思えない。

 「ああ分かっている。話、だったか」

 くるりと辺りをみまわして、イリューシャはカトルに向き直る。どことなく演技めいた白々しい態度だ。

 「人払いが必要か?」

 「恐れながら」

 イリューシャは頷く。

 「そういうことだ。みな暫くの間、職務を中断して思い思いに休憩でもとってくれ。なんなら、そのまま帰ってこなくともかまわない」

 彼等は頭を下げる事で返事に変えた。

 職務を放棄する気も中断する気も毛頭ないだろうが、とりあえず皇女の邪魔にならない範囲で続行しようというわけだ。

 「シンハ、お前もだ」シンハは思わず主人の顔を見返した。「せっかくベルグに来たんだ。大陸に名高い文書館を見るもよし、街に繰り出すもよし。少しは羽を伸ばしてくるといい」

 こちらを見ようとしない横顔に、シンハは皇女の意思を再確認する。

 イリューシャが今までシンハを人払いの中に含めたのは、相手がイリューシャよりも上座に座る人間の場合だけだった。カトルは平民である。

 人払いが必要だとしたら、それはイリューシャ自身の判断、自分に話を聞かせたくないという事に他ならない。

 隠し事。そう取ってしまうのは分不相応な見当違いだろうか。

 イリューシャが、何かを隠している、あるいは故意に話していないことがあるというのは、薄々、感づいてはいた。しかし、ここに至ってその疑念は確定的になり、しかもこうもはっきりと関与を拒絶されるとなれば、それは自分が思っていたよりも深刻な問題なのかもしれない。

 主人が自分に全てを話すなどとは思っていない。だが、それは瑣末な事象や、個人的な事情や、つまり重要でない案件に限っての事だと、そう勝手に思い込んでいた自分を発見する。

 問題があれば、自分にこそ真っ先に相談されてしかるものだと、そういう慢心が心の内にあった事は確かだった。この一抹の苦さは、自分こそが彼女の一の臣と思い上がっていたというつけか。

 「分かりました」

 胸中に渦巻く感情を水面下に沈めて、シンハは主人の命を受け入れた。

 





改名のお知らせ:お気づきの方がおられるかどうかは謎ですが、この度シンハヴィルは諸事情であって、シンハヴァインに改名いたしました。いえ、だからなんだ?って感じですが。

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