第六話 司書 (2)
カトルは深く、息を吐いた。
あの時、あの禁断の書物を開いた時から自分の内に根ざした、底深い恐怖が少しでも薄れた訳ではない。いや、むしろ、そこに書いてある事の信憑性が増すごとに、恐怖は比例して大きくなっていった。
きっかけは、確かに半ば偶然だった。だが、カトルは自分の意思で禁を犯し続ける事を選んだ。
日一日、人目を盗んで、めくった頁。読み進めるほどに、自責の念は深まり、煩悶は増した。それでも、読まずにはいられなかった。
―――――私にとっての魔は、すなわち知か。
物心ついた時から、知る事への渇望が、カトルの行動規範だった。
平民である自分が、今ここでこうしているのも、家族を捨て、宗教を捨て、学び舎の手を取ったからに他ならない。そうしてみて初めて、自身の中にあった酷薄さに気がついた。
そうだ。もし、今この時、あの瞬間に戻ったとしても、自分は同じ道を辿ったに違いない。
ただの司書であれば到底触れ得ないような秘密を、罪の重さにおののきながらも、カトルは嬉々として受け入れた。
人の知り得ぬことを知り、まだ見ぬ思考の地平を眼の辺りにする瞬間。それは真実を知りたい、という壮大な気宇などとはおよそ無関係で、もっと無目的で本能的な衝動なのだ。
ただ、知ること。それだけが、カトルを満たし、充足させる。
それでも、自分一人の問題にしておけば、まだましだった。だが自分は、それを他者と分かち合い、話し合いたいという欲求に負けた。
そこに書かれた事を、教会やギルドの枠に捕われずに評価し、有意義な意見を期待出来る人間。また、平民の出自のカトルを相手に聞く耳を持っている。そんな人間が、この学院内に置いて一体何人いることか。
結局、自分は彼女を巻き込み、その危険性を薄々承知していながらも、翻訳した草稿の二部の内、一部を渡してしまった。
自分は知った事を後悔はしない。ただ、彼女の道を誤らせてしまったかもしれない可能性、そしてそれによって生まれる潜在的な脅威、それをこそ恐怖する。
カトルは全ての元凶である文書から視線を引きはがし、顔を上げた。夜明けの名残は、もうどこにもない。
「・・・・もうずぐ、第二の鐘がなるな」
自分は確かめねばならない。
思い過ごしか、そうでないかは、会えば分かるだろう。
そして、まだ間に合うなら、あの怜悧で孤独な目をした共犯者に、己の不誠実を謝り、もう一度はっきりと念を押すのだ。
カトルは羊皮紙の束を宙に放り上げた。それは放物線を描いて床に着地するのを待たず、空中で青い火を吹いて、燃え上がった。
床にふりそそぐ赤い火の粉が灰色になるのを見届けると、カトルは部屋を後にした。