第五話 回想 (3)
最近では「狂える十代」、「暴走する若者たち」、「抑圧された自我」などの字面が紙面を飾っているが、そういう事を書いている人たちから見れば、僕は理想的な犯罪者予備軍に違いない。
といって学校に爆弾や刃物をもって乱入したり、一家惨殺事件を起こすほど勇気があるわけでもなく、害したいほどの他者がいるわけでもない。
だからカッターやハサミの刃は、もっぱら僕自身の体に向けられている。もっとも手首ではあまりにもベタだし、ためらい傷は傍目にも明らかな上、致死率だって低い。そもそも出血多量で死ぬには時間がかかりすぎ、その間に誰かに見つけられ一命をとりとめた挙句、なんらかの後遺症でも残ったりしたら目もあてられない。
その点、脇…つまり両肩の下、むだ毛が大量に生える部分だが、そこが大動脈を通っていて、しかも、これといった止血方がないため、出血死するには中々、効率的であるそうなのだ。
しかし別に今すぐに死にたいという程、事を急いていたわけでもなかったので、そういう知識は本当に自殺する時までとっておくつもりだった。
手首と脇の中間に位置する肘の内側は、気軽に傷つけられる場所の一つだった。ひょっとしたら死んでしまうかもしれない、というスリルに酔いながら、一本、二本と朱色の線を引いているうちに、嫌な事や辛い事に自分なりの折り合いをつけていく。
その痛みを思い出せば、同じ事が起こっても以前よりは覚悟をもって臨めるような気がした。
してみれば、おまじないだろうか?
そうかもしれない。自傷行為というのは、僕にとっては一種の儀式だった。まず、鬱屈した衝動を満足させてくれる。やがて、可愛そうな自分に陶酔し、こんな行動に追い込んだ人間が悪いのだと自己正当化の一助を担ってくれる。
人知れず血を流し、人知れず自己嫌悪に酔いしれる。卑屈を通りこして、もはや変態的な倒錯である。
だが異常者の心理は、どんな正常者の奥にも潜んでいるというのが僕の持論だ。親切で善良で正しい筈の人間の中に、巧妙に粉飾された利己的で傲慢な横顔を見いだす度に、僕は自分の事を棚に上げて、その醜さを嫌悪した。
自傷行為とは、とどのつまり逃避である。
それを行う事によってのみ息苦しい生は少しだけ風通しの良いものになるのだった。趣味はあっても夢はなく、将来の展望なんて口にするだに、おこがましい。
僕が生きていくことは僕自身を含めて、常に周囲の人間を失望させ続けていくことだった。自分だけとも、周囲だけが悪いとも思えぬまま、自己嫌悪と責任転換を行き来しながら、僕は中途半端な生を……それこそアフリカの飢えた子供達に比べれば、何とも生温い生をむさぼってきた。
どうやって、それを終わらせようか?それだけを考えながら。
あの日から、ずっと。
「ナリタカ?」
食器を持って立ち尽くし、ひとり思考に埋没していたナリタカを、訝し気に見る母親の顔があった。
「ああ。ちょっと、ぼうっとしちゃって。最近、睡眠不足気味だからね」
ありがちな取り繕いだが、別に独創性が求められてるわけでもない。
人は自分が受け入れたい事実を受け入れる。それが、言い訳であろうとなかろうと、それが納得しやすいものなら、大抵はそれ以上は追求しない。
この場合、母親は息子の変な挙動を心配し、息子はその心配が杞憂だと納得させてやる義務がある。
そうでなくとも最近十代による物騒な事件が増えているから。まさか自分の息子が。悩んでいる風には見えなかった。普通の子だったのに。
そういう声が飛び交う中、世間の親は多少、過敏になっている。
誘導しなければならない。自分は至って、健全、正常、悩んでいる事もなければ、怪しい挙動もない。どんな兆候も見られない。
「でも寝不足なんていってられないよ。順位が下がっちゃった分、しっかり遅れを取り戻さないとね。まあ、兄さんみたいな訳にはいかないけど、とりあえず志望校には合格してみせるよ」
明るく、普通に、朗らかに。
声が浮いてる。ちょっと、やりすぎたか?キャラじゃないのは百も承知だ。だが例の事件を期に、ナリタカは自分の性格を矯正した。少なくとも、他者の印象や評価を変えた。
クラスの下層扱いと付き合ってるという点では、前と似たり寄ったりだが、以前より社交的になり、より一般受けする中学生男子になるという目的を多少なりとも達成した。
つまり自分というものを偽り、取り繕うのが、上手くなった。お陰で前よりも生きやすくなったような気もする。その自己変革の動機が死ぬためというのは皮肉な話だったが。
母親は気遣うような微笑みを浮かべて、言った。
「そうね。今度は合格できるといいわね」
今度は。つまり現在通っている中学は第一志望ではなかったということだ。ナリタカは両親が推薦した第一志望の私立中学に落ちた。
これが兄であれば母も多分に衝撃を受けただろうが、ナリタカが落ちたときは、仕方がないなという感じで「大丈夫よ。学校のレベルが全てじゃないわ」などと思ってもない事をのたまったその舌で、「滑り止めの中学だって十分いい学校よ」と今度は正反対の主旨で、ナリタカを慰めるのだった。
ナリタカと同じ学校に通う弟は、両親のすすめをつっぱね、ただ近いという理由のみで現在の学校を選んだのであり、不本意に滑り止めに通うはめになったナリタカとは、その意味合いからして違う。
「がんばってね」
相も変わらず、気遣うような、こちらの心中を伺うような、気がかりを含んだ眼差し。
理解のある親というものは、決して頭から子供を否定することはない。視線で、言葉の端々で、動作の一つ一つで、否定する。真綿で締めるように、緩慢に、柔らかく。
「うん。頑張るよ。中三になってからじゃ遅い。今が正念場だからね」
頑張って頑張って、いつまで、どこまで、頑張ればいいのだろう?
ナリタカが納豆菌やその他の怪し気な趣味に別れを告げ、標準的中学生男子としての仮面をつけ始めたとき、母親は「ナリタカが最近明るくなった」と喜んだ。
自分を殺す術を学び、他者を他者と割り切り、どんな期待も諦めた自分を「優しくなった」と誉めた。
「ああ、もう半だ。寝る前に、もうひと勉強したいし、もう部屋にいくよ」
そういって背中を向ける。
「じゃあね。母さん」