第五話 回想 (1)
―――お前は招獣だ。
ショウジュウって、何だよ。
―――異界より招かれし獣。召還を通じて術士は異界よりかの者を呼び出し、血の契約を通して、使役する権利を得る。
某有名ゲーム制作会社の売れ筋RPGじゃあるまいし。大体、僕は獣じゃなくて、人科の筈だ。
―――私はイリューシャ・フォン・リーエンヴァイン、ラトギアの皇女であり、お前の主人だ。
主人?僕はペットと同列って訳か?
斜向いの隣人が飼っていた太郎だか次郎だかという秋田犬の事を思い出した。あの犬もペットショップ辺りから自分をつれ攫ってきた人間共から主従関係を迫られたに違いない。
一方的に飼われるはめになった側の気持ちなど考えた事もないだろう連中から、突然主人面をされる。
監禁され、鎖に繋がれ、日に一度か二度食事が差し入れされる。主人の気が向いた時にだけ頭を撫でられ、散歩と称して外に出る時にも、やはり自由はなく綱で束縛されている。本能は彼等の生活スタイルに合わなければ、ねじまげられる。逆らえば、打擲が待っている。
そう考えると、いつも自分が通る度にうるさく吠えていた犬にも同情の余地はあるというものだ。
周囲を見回して、ナリタカは引き攣れた笑いを浮かべた。
自分の今の状況は太郎だか次郎だかに比べれば、恐らくは遥かに、マシなのだろう。
天蓋付きのベッド、丸テーブルの上でか細い湯気を上げているエスニックな夕食、豪奢な家具でやたらと広い部屋……どれも、ナリタカの日常生活からかけ離れている。だからといって、ヨーロッパの古城宿泊ツアーのような雰囲気を楽しめるわけではないが。
鉄格子のはまった窓と、外側から施錠された扉が否が応でも、ナリタカに自分の身の上を思い知らせた。
監禁。良くて軟禁?
「…畜生」
畜生、畜生、畜生。
頭の中を、たった一つの言葉で満たしても、底冷えのするような悪寒は収まらない。
正体不明の狂騒は、ナリタカを捕まえ離さない。何もない空間を自由落下している時の、あの怖気立つような浮遊感が、ナリタカを苛む。
そのたびに、視線を窓の外に送る。
漆黒の夜空に鎮座する異形の月は、何度見上げようと、少しも変わらずにそこにあった。少なくとも、ここは日本じゃない。地球でもない。どこか、まるで別の場所だ。
―――お前にとっては、異世界といった方が妥当か。
屋上から飛び降りると、そこは異世界だった。
まるで、三文小説の導入ではないか。
こんな事って、あるんだろうか?死んだ人間は、地獄ではなく異世界に行くなんて、新説じゃないか。
―――僕を元の場所に返すとでもいうんですか?
あの時はそれなりに真面目に言った筈の言葉が、今はナリタカを笑わせた。返すって、どこに?屋上から自由落下している空中に、か?一秒後には、死ぬんじゃないのか?
そして、今、どういう訳かこんな場所にいて、当て所のない独白を続けている自分が無性におかしかった。
泣きたいのか、笑いたいのか分からずに、ナリタカは顔を覆った。掌に熱い液体と、痙攣のような笑いの先触れを感じた。
ああ・・・・まずい。また、だ。止めようとした時には遅かった。顔面の筋肉は、もはや理性の管轄下を離れていた。ナリタカは、耳障りな笑い声を聞く。自分のものだと分かってはいたが、見知らぬ狂人のように感じる。覆っても、覆っても、笑声は両手の隙間から漏れ、雫は指の隙間から滴りおちた。
ナリタカは、外界から自分を遮断するために、目を閉じた。
瞼をおろし、視界からのインプットを強制終了させる。だが、それも虚しく、暗くなった視界は、元の世界につながっていた。寄せては返す記憶の波。一コマ、一コマ、鮮やかに着色されて、ナリタカの瞼を踊った。