エンカウント
なんとはなしに棟へとたち入り、実験室らしき場所をのぞきこむ。そこにはバーナーと三脚台の上に乗っかり沸騰したフラスコの姿。フラスコの中はなにやら黒い液体が煮たっており、それが香りを出していたのだろう。
「やぁ、いらっしゃい。そろそろ見学がくるころだと思ってたよ」
室内から爽やかに声をかけたのは、どこからどう見ても理系のやさ男。
白衣の似合う出で立ち。
科学教諭で間違いないだろう。
彼はどうぞと、こちらに入室と着席を同時にすすめた。
それに従うと、彼はフラスコの液体それを机に並べた四つのビーカーへと手慣れた手つきで注ぎ込んだ。横には角砂糖とミルクが添えてある。
もてなすようにして、こちらに差し出してくる。
もしやこれはコーヒーなのだろうか?
「実験とは別に美味しいカフィを入れるのが趣味でね」
カフィーだそうだ。
ふと見た半分からとなったフラスコ、その表面に人影が映えていたのに気がつく。
それとほぼ同時、背後から若さを力強さを感じさせる声がした。
「アキラ、その子達は新入生か」
振りかえった先、教室ドアに背中を預ける長身男の姿があった。
「ハジメ、ここでは先生と呼べと言っただろう」
ここでは、という言葉ひとつに彼らが親しい間柄なのだと悟る。
気のせいか、隣でビーカーをちびちび飲む小説の目が光って見えた。
彼は早足で教室に踏みいると、残った最後のビーカーをつまみあげた。
「アキラ教諭、さっさと活動を説明してあげたらどうだ」
教諭はやれやれとビーカーに口をつけた。
ハジメと呼ばれたその男、覚えがなく、記憶にもない。
ただなぜだろうか妙な警戒心が働き、反射的にイスごと小説の後ろへと隠れてしまった。
彼はその動きを目端にとらえ不然と感じたようだ、向こうにとっては勝手な理屈なのだろうが、それはこちらにとって意外なことのように思えた。
不思議に思えたのだろう(当然だが)、気遣うようにして伺ってきた。
「いえ、ちょっと既視感が」
我ながら演技がかったしぐさと思いながら、めまいでもするかのように額に手をあてた。
「既視感は脳の情報整理が似た状況、それをフラッシュバックする時に起きる現象さ。よく起こりえることだよ」
アキラ教諭(名字不明)がいかにも理系のごとく、当を得ていてどこか的外れな補足を行う。
気がつくとコナイの両手の内のビーカーはすっかり冷めている。捨てるのももったいないなと思い、
「いただきます」
飲み込んだ瞬間、その口内に生涯味わうことのない様な刺激を感じ、咄嗟にかつ盛大に吹き出した。
洗浄台にかけよりひたすらにむせる。
そんなこちらを尻目に教諭はあっけらカントのデカルトみたく。
「しまった、どれかひとつに砂糖と間違えてミョウバンの結晶をいれたかもしれない」
男はずっと口をつけず持ったままでいたコーヒーをそこで一気に飲み干す。
「一日に一回は間違えるんだ。君らが入ってくれるとなるとこれから助かる」
「ゲホッ、その言い方はなんかズルです」
むせて涙目なこちらに対して、先輩らしき男はやれやれとこちらの背中を軽く叩き。
「千引ハジメ。あだなは「先輩」なぜか一年の頃からそう呼ばれていた。アキラ教諭以外は教師も生徒もオレをそう呼ぶ。二年四組出席番号三六番。富士山麓で覚えてくれていい」
一番どうでもいいはずの部分が実に覚えやすかった。