A 迷わず立ち向かうためにです
(この国の空気は肺腑を湿らせる)
雨上がりの湿気を感じながら、《早撃ち(クイックドロウ)》は考える。
目標は首尾良く分断した。《死の商人》は彼女を実験にうつし《モンスター》と戦わせるだろう。本当に彼女が資格者なのかは知らないが、彼は確信を持っている。それでも、彼女がそうでなかった場合はどうするのか。その先を考えている余裕があるのかについては懐疑的にならざるを得ない。それでも《モンスター》の驚異に対抗するための手段を模索する。そのための手段を選ぶ余裕がないことも《早撃ち》は理解していた。
初めて《モンスター》と出会った頃の恐怖と危機意識はいまも《早撃ち》の心に根付いている。異形なそれを目にしたとき《早撃ち》はその当初、心が震え足がすくんだ。できることなら忘れておきたいがそうもいかない。それがこれまでの自身の勝利に結びつき、切っても切り離せないものとなっていたからだ。
因果なものだな、
胸中でひとりごちる。
命懸けで自身のイチゲーを駆使し何度そいつらの脳髄に弾丸を撃ち込もうとも、それは消えることなくこびりついている。
「オマエ達はこんなものを殺傷するために闘っているというのか」
最初の頃、その死体を前にして《早撃ち》はなかば逆上気味に《死の商人》に問いかけたことがある。
彼の口調はその思考と同等に冷え切っていた。
「殺す? 違うな。こいつらは不治にして不死。だから切除する。それだけだ。それが長針短針の持つ本来の意味でもある」
作業に近い理屈、それは自分の美意識にそぐわないものだ。が、彼とは不思議と気が合い、会話に嫌悪感を覚えることは終始なかった。
なんのために《死の商人》が長針短針に加入しているのか聞いたことがある。
「中東、アフリカで《死の商人》をしていたが、あの方に出会うことでようやく自分の使命に目覚めることができた。オレは全ての《モンスター》を無くすため、仲間達に闘う力を与えるためにあるとな」
つくられた握り拳。そこに手に込められた力は彼の覚悟をそのまま代弁していた。
闘い続けた。理由は使命感ではなく、なんとなく自分の居場所が欲しかったからという、簡単でいて案外言葉にしづらい感覚があったからだ。
《死の商人》が与えてくれた武器と彼らの仲間達。それもその気持ちを助長させた。得たいの知れない《モンスター》達と死闘を繰り広げているうちに、いつしかその行為が父とともに失った誇りを思い出させてくれたのかもしれない。
《モンスター》それは既存の生命から大きくかけ離れた魔に近い生命体。古来より空想で語られてきたような幻獣や魔獣の類。
既存生物からかけ離れた異形の生物がまだ地上のいたるところに生息していることを、どれだけの人が認識しているのだろうか。この国の動物園にいる動物達とサバンナの動物達の間に天と地ほどある違いをどれだけ理解しているのだろうか。親から狩りを教わっていない猛獣はもはやなんでもない、コミュニティを持たないただの生き物だとわかっているのだろうか。
人間に育てられた動物は動物に育てられた人間ほど違う。別種だ。
この国にきたとき、自分はそう思った。
本質が違うのに姿が似ているというだけで同一扱いする。
だが、自分も他人のことはいえなかった。なぜなら、自分も《モンスター》への認識の甘さに関しては相当だと気づかされたからだ。
《モンスター》もまた生物であって生物ではなかった。それを知るのは彼らが持つ大きな特徴を知ったあとだった。
《早撃ち》はチームを組んで闘ったが、自分以外のイチゲー使いには興味を持たなかった。
自分はただ決められた仕事をすればいい。
引き金をひく意志は常に自分が持っている。
条件が整えば躊躇わずに構えて誰よりも速く撃ち抜けばいい。
そのシンプルな考え方が勝利の礎となってきたのだ。
ある日、チームは戦いの中、予測不能の自体に陥った。
誰もがそれまでの認識を改めた。戦いの最中の周囲で不可思議な現象が起こったからだ。
《早撃ち》が放った弾丸が思わぬ形で撥ね、直線でなく弧を描いたり。空気抵抗を忘れたように初速を追い越し、何段にも加速したりした。
周りの連中にも似たような現象が起こり悪戦苦闘していたらしい。
一時現場は騒然とした。なにせイチゲー使いは自分達の技量、強いては法則への理解と自らの経験を頼りに闘うのだ。その根本を失えばイチゲー使いの根本は瓦解する。
《早撃ち》はここにきて自らの間違いを思い知る。なるほど自分はわかっていた気がしていただけだった。
彼らは姿形が異形なのではない。自分達を支えてきたロジックが全く通用しないから異形なのだと。
飛び交う弾丸は《モンスター》が狂わせていたものだが、支配まではされていなかった。
弾丸は幸いにして仲間と自分には当たらず、《モンスター》の頭部に着弾、その脳髄を破壊した。多分偶然だろう。
《早撃ち》達は難を逃れたが、指揮官は不幸だった。
守勢に回っている間に《モンスター》の牙にかかっていた。
「捕獲した実験体から《モンスター》が歪みを発生させていたことが確定した。今後、彼らの特徴は異形であることより、歪みの量が着目されるだろう」
歪み、それはその近くにあって光速は最速とせず、音は音速でなく、リンゴは地面に落ちはしない。それは誰もが強制的に支配されてきた逆らいようのない法則。それをねじ曲げるような暴虐たるものだった。
それは他の個体からも散見されていたらしい。
「いくつか事例があるなら、なぜオレ達に教えておかなかった」
演技で怒気を孕ませた。
彼にはこれが意味がないことを知っていても、建前上はしておかなければならない。
「歪みに関してはこれまでも仮説はあった。実証されていなかっただけだ。もちろん歪んでいるわけだから正確な意味で実証とはいえないがな。今回の彼はその仮説に対して懐疑的だった。それで余計な混乱をはぶくため、君らに資料を渡さなかったのだろう。結果論としては皮肉だがな」
亡くなった指揮官、彼は実践的で理論派のリアリストだったから余計に相性がわるかったのだろう。
相手は法則の外に身を置く者。こちらの条理が通じる相手ではなかった。
どれだけ《モンスター》の危険性を知っても、《死の商人》が戦いを放棄することはなかった。《早撃ち》には理由がある。戦い続ける理由が。
彼にはそれがない。少なくとも自分はそう思っていた。
彼の性格なら命惜しさに真っ先に抜けてもおかしくはないと思っていたし、彼はしばし談笑の合間に我が身かわいさを露呈するような発言をしている。
そう彼は本気で誰よりも何よりも自分の命を惜しむ男だった。
「なぜ、オマエはわざわざ《モンスター》と闘おうとする。金や道具がオマエの全てではないのか」
ある日、とうとう問い詰めた。彼のことをキライになれなかったが、同時に信用することもできなかったからだ。
「金に意味はあっても価値はない。それは手段であって目的とはなりえないからだ」
《死の商人》という二つ名からは正反対の言葉が飛び出た。意表はつかれたが、それはこちらの質問を煙に巻くためでなく彼の赤心であると受けとれた。
「オマエは金も道具も信じちゃあいないな。ならなぜ命を賭けられる、宗教的理由からか」
「キリスト教において神は六日で入力を終えた優秀なプログラマーだ。信仰はしていないが尊敬はしているよ」
彼が命を賭ける理由はどこにもなかった。
信じるものさえ何もないように思えた。
「オマエは一体、なにを信じて戦っているんだ」
核心をついた質問に、彼は毅然と答えた。
「イチゲー使いが信じるものはただ一つ、自分自身の他にない」
このとき理解する。彼は最初から金も道具も法則すらも信じてなどいなかった。ただ自分の能力と判断のみを拠り所にしていたのだと。
だからだろう、彼は歪みを憎悪していたのだ。自分の認識を汚すものとして。
そのため今は失われたあの方を必要とし、現在は彼女を必要としている。