A どこにもいません
「でも、今日は、ほんのちょっと先輩を知れた気がして、嬉しかったです」
自分が少しでも役に立てた。それは入学して以来、味わっていない気持ちだった。
「オレも知らなかった《普通》っていうのが、なんなのか。少しだけわかった気がしたよ」
先輩の口から出た《普通》という言葉に、自然と顔を下げてしまう。
「みんなすごい才能を持っているんだなって、そればっかり考えてます」
顔を上げることができない。
彼がどんな表情で自分を見ているのか知りたくもない。
なんとなくその空気を察したらしく。
「いまの自分が嫌いなのか」
「……わかりません」
視線を下げたまま、つぶやく。
いまの自分、それは、何もできない《普通》な自分のこと。
「でも、もし私が何か誇れる一番を得たなら、私はきっとあそこには居られない」
自分以外のイチゲー使いを羨ましく思っているのか、それとも軽蔑しているのか、それすらも判然としない。嫉妬か自己嫌悪なのか、自分でもよくわからない感情が渦を巻き、それが焦燥となって急かすように心を駆り立ててはいるが、気づけば足は重くどこへも踏み出せないでいる。
自分は、何かをしなければならないのに、何をすればよいのかわからない。
自分には、何かをなすための使命感もなければ、何かを捨てて進む勇気もなく。
ただ時間を遠いものと考え、漠然と未来が広がっていると考える。
わかっている。
自分は夢を目指しているのではく、夢だけを見ている。
未来に希望もなければ現状に絶望しているわけでもない。それでいて、ゆっくり生きているようでいて、ゆっくりと死んでいく感覚。
纏わり付くような嫌悪感だけが日々、気づかない遅さで胸の底へと沈澱していき泥沼となっいく。
「自分の役割がわからないんです……たぶん、期待してるのかもしれません。本当は自分が背景なんかでなくって、なにか特別なことができるんじゃあないかって」
それに突き動かされ、誰かの役に立とうと行動するが、結局はいつも傍観者で終わってしまう。それは、あの魔術部の時でも、さっきの路地裏でのことでもそうだ。
気持ちに成果が追いつかない。
終始、傍観者で終わってしまう。
「子供の頃からそうなんです。もうずっとわかっていたのに。結局、がんばったって、私よりも努力した人たちが上へといって、私はいつも真ん中でした。努力したことも、努力しなかったことも全部が中間の範囲内、子供の頃から一番なんて一度もとったことなかった。表彰台に立つ子達に拍手を贈るのが私の仕事でしたから」
なんでこんな情けない話をしているのだろう。
こんな話をするつもりではなかった。つもりなどなかった。
「《普通》であることを悲観しているようだが。そんな《普通》を支えているのは《普通》以下の人達であることを忘れてはならない、その中にはきっとオレや他のイチゲー使い達だって含まれているはずだ。また《普通》以上の人間がいるとすれば果たしてそれらを支えるているのは誰かということにもなってくる。どちらにせよそれ以上でも以下でもあることに意味はない」
先輩はさっきの戦利品である景品ぬいぐるみを、前に置いた。
変わらず顔を下げたままだが、動きは伝わる。
「オレにこいつを教えてくれたのは、オマエさんだろ」
淡々と事実だけを述べている口調、そこに不思議と反感は覚えない。
「自分が《普通》であることを恥じる必要はどこにもない。本当に恥じるべきなのはそうでないと人を見下したり冷笑することだ。そして、普通な人間、凡人や非才なんて幻想はさっさと捨ててしまえばいい。そんな人間なんてどこにもいやしない、誰もが何かを抱えている特別な個人でありそれ以上でも以下でもないんだよ。だからこそ《普通》は特別なイチゲーなんだ」
「先輩は、たぶん自分がなんでもできるからそんなに寛容なんだ」
考えていたのとは違う言葉が出た。
「私は自分がなんなのかを知りたい。なにを成すために生きているのかも」
ずっと昔、思い描いていた何かがあった。子供の頃か、それよりも前か、どちらにせよそれはもう想い出せない。
なのに、この先輩と接していると、それが微かによぎる。
まるで誰かが思い出せと言っているように。