婚約者が前世を思い出したらしい
「……今からおかしなことを言うんだが、前世が何者だったのかを思い出したんだ」
婚約者のダレン様はテーブルに両肘をつけて両手を組みながら、神妙な面持ちでそう静かに言った。
目の前にいる婚約者ダレン様は、寡黙で無骨で強面で、騎士というよりは一般兵のような方だ。
か弱い令嬢だったら、ぴゃーっと逃げてしまいそうな風貌ではある。
左眉の上の傷が特に怖く見える要因だろうか、…それがかっこいいのだけれどね。
私はテーブルに手をついて、ガタリと立ち上がった。
「そ、それは一体どういうことでしょうか…!?」
前のめりに訊いてしまって、ダレン様はびっくりしたように顔を上げた。
「お、落ち着いてくれ。…えっと、信じてくれるのか?」
不安そうに揺れている瞳が懐かしくて、私は思いっきり頷いた。
「ダレン様がそうおっしゃるのなら、きっとそうに違いありません!」
「私のことを信じすぎではないか…?」
「あら、対話はまず相手のお話を聞くことからですよっ!それで、ダレン様はどなただったのですか!?」
「そんなに楽しげに聞いてくれるとは思わなかった…」
ははは…と乾いた笑いとともに髪を掻き上げて、ダレン様は私を見た。
「実はな、この国に現れた勇者だと思い出したんだ」
この国の英雄は誰かと聞かれたら、勇者だとみんなが答えるだろう。
彼は田舎生まれの青年で、素朴でありながら、剣の腕前は当時の騎士団よりも強かったという。
遥かに長い時間、鞘から抜くことができなかったという竜の剣を使えた伝説の人物だ。
下町の子どもたちが勇者ごっこをしているのを見たことあるくらい、ポピュラーな存在でもある。
「ダレン様は、勇者様だったのですねぇ」
「……私がこんなことを言うのもなんだが、変な壷を買わされないようにな?」
「あら、ロマンのある話ではないですかっ!私、そういうの大好きですよ!」
「ああ、それは知っている。だから、君なら聞いてくれるかもと思った。君ならと思って話しているのだから、私はずるいな」
そう言って困ったようにはにかんでいる彼を見て、泣きそうになった。
そっか、今世はちゃんと私が見えているのですね。
「勇者といえば、…その時の第一王女とご結婚されましたよね?」
聞くべきことはもっとあるかもしれないが、結局は自分が一番気になっていることが口に出てしまっていた。
ああ、いまさらまだ未練があるなんて、情けない…。
「よく知っているな。歴史の本にも国の姫としか大体載っていないけれど」
「ええ、あの頃の歴史の話が好きで、よく読んでいたので…」
「そうか。そう、彼女と…王女殿下と結婚させていただいたんだ。私には…、いや、俺には不相応だったのだけれど、断れるものでもなかった」
一人称が『私』から『俺』に変わったことに、息が詰まりそうだった。
悲しげに目を細めているダレン様を見て、余計に苦しくなった。
そんなこと、私が一番よく知っている。
あなたは生涯、私のことを好きになってはくれなかった。
いつまでも姫と騎士のような態度で、私に笑ってくれなかった。
ダレン様が荒唐無稽な話をしているように、私にも前世の記憶がある。
それは、この国の伝説の勇者である彼の伴侶となった、かつての王女だったということだ。
つまりは目の前にいるダレン様の前世の妻であり、愛されなかった王女でもある。
勇者を国に引き留めたかった父王が取り決めた婚姻だったために、勇者様の心はずっと私にはなかった。
そのことを思い出して、胃がキリキリする。
「それに俺には故郷に残した幼馴染がいたから、彼女にも王女殿下にも悪いことをしてしまった」
「そう、でしたか」
「ガッカリしたか?」
「え?」
「華々しく書かれている勇者が、結婚した相手がいながら、余所の女を心に置いていたなんて。…女性からしたら、虫唾が走るようなことではないか?」
伺うような目線が、あの頃の彼に似ている気がして、自嘲気味に笑ってしまいそうになった。
あなたはいつもそうやって、私の様子を伺っていましたね。
「それは、勇者様が悪かったわけではないのではないですか?」
「え?」
「国のための結婚なら、貴族社会における結婚となんら変わりないはずです。愛人として迎えたのなら、また話は変わってくるのでしょうが、想っているだけなら罪にはならないかと思います」
やけにはっきりと、そしてするりと言葉が出ていって、ああ…私が伝えたかったのはこれだったのかもしれないと思った。
「そうか…」
「ふふふ、ダレン様は嘘がつけませんね。その心に、私以外の人の居場所ができてしまったのですね?」
私がそう言うと、弾けたように表情が変わった。
こんなに表情豊かなダレン様はこれまで見たことがないから、前世を思い出した影響かしら?
「な、んで…」
「わかりますよ。お話ししてはくださらないのですか?」
「……先日、兵の訓練で出かけた先の街で、かつての、あの頃の幼馴染に偶然出会ったんだ。…そしてら、急に過去のことまで思い出して」
「まあっ、その方独身でしたか?恋人はいらっしゃいました?」
「いなかったと思うが…」
「でしたら、なぜ結婚を申し込まれなかったのですかっ!引き留めて、愛していると伝える場面ではありませんかっ!」
「……いや、俺には君が」
「また今度もそうやって後悔されるのですか?」
「……っ!」
一層揺れる瞳を見て、この人の不安定な優しさは変わっていないのだなと心が喜んでしまった。
今回こそ間違えずに、私はこの人の背中を押したいんだ。
「ダレン様、私たちは婚約してそんなに日も経っていません。戻るなら、今です」
私のその言葉に、ダレン様は少しずつ項垂れていって、長い沈黙が続いた。
前世であまり会話がなかった頃のように、私たちは静かだった。
「……すまない」
秋の空気によく似合う寂しげな一言だった。
「では、今回はご縁がなかったということで!ダレン様の恋、応援しておりますね!」
私はパチリと両手を合わせて、穏やかに、元気に見えるように笑った。
かつての素朴だった青年のように泣きそうな顔で、ダレン様は無理矢理笑顔を作った。
「……ありがとう」
そうして、昔のように彼の背中を見送った。
あの時は手放すことはできなかったけれど、少しは罪滅ぼしになったかしら。
あの眉の傷は、勇者様も同じ場所にあった。
だから、ダレン様とはじめて出会った婚約取り決めの日、私は彼だとすぐに気がついた。
今世でもやっぱり、私では気づいてもらえなかったようだ。
「……お慕いしておりましたわ、勇者様」
了
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276日目。




