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コズミック・ドリフター⑥真実の書庫(隠れユートピア "ライブラリア")  作者: naomikoryo


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第一話:存在しない里

老人の言葉が落ちて、広間に沈黙が残った。

紙と木の匂いが濃く、どこかで微かにページが擦れる音がする。

風はないのに、本棚の奥が呼吸しているみたいに軋む。


陸は机の端に置いた手を、そっと握り直した。

爪が掌に食い込む痛みで、自分がまだここにいることを確かめる。

タルタロスの白い光ではなく、柔らかな灯り。

それなのに心臓はまだ速い。

奈落の残り香が、肺の底にこびりついている。


リラは一歩も動かず、老人を見据えていた。

紫紺の瞳は鋭い。

けれど、その奥で何かが忙しく揺れている。

怒り。

警戒。

そして、確かめたいという焦り。


ザインは机から少し離れた壁際に立ち、肩の血を指で拭った。

痛いはずなのに顔色を変えない。

だが呼吸が浅い。

限界は近い。

それでも、この場で弱った姿を見せるつもりはないのだろう。


老人は、三人の沈黙を急かさなかった。

急かす必要がないという顔だった。

必要な時に必要な言葉だけを落とし、それ以外は沈黙に任せる。

それがこの場所の主のやり方だ。


「……質問は?」


リラが口を開いた。

短い。

噛みつくような切り出し。


「三つ」


老人は微笑み、頷いた。


「良い」


「まず」


リラの声が低くなる。


「私の血」


「末裔」


「それは何のことだ?」


老人はすぐに答えない。

机の上の古い航路図へ指を置き、ゆっくりとなぞった。

線は一点に集まっている。

さっき言った名前。

エデン。


「血とは」


老人が言った。


「記憶だ」


「契約だ」


「罪と、義務だ」


リラの眉が僅かに動く。

拒絶の反応。

その三つを自分に押しつけるな、という反応。


「私は契約など知らない」


リラが吐き捨てる。


「知らぬのではない」


老人は穏やかに返した。


「教えられずに育てられたのだ」


その言い方が、リラの喉を詰まらせた。

リラは唇を噛み、次の言葉を飲み込む。

怒鳴れば楽になる。

だが怒鳴ったところで答えは出ない。

そんなことを、彼女は知っている。


陸は横目でリラを見た。

殴られたわけでもないのに、彼女の肩は少しだけ強張っている。

タルタロスでカシウスに呼ばれた時の顔。

あの時の恐怖の影が、まだ残っている。


「次」


リラが言った。


「陸の力」


「鍵」


「それは何だ?」


老人の視線が陸へ移る。

陸の背中に冷たいものが走る。

見透かされる感覚が、肌を剥ぐ。


「鍵とは」


老人が言う。


「扉を開けるものだ」


「だが扉は、ひとつではない」


「星と星の扉」

「記憶の扉」

「そして――」


老人の指が、航路図の一点に止まる。


「終わりの扉」


陸の喉が鳴った。

終わり。

そんな言葉を簡単に口にしないでほしい。

そう思うのに、老人の声には不思議と恐怖だけではない重みがある。

避けられないものを、避けられないと言う声。


「……俺はただ」


陸は言いかけた。


「帰りたいだけだ」


老人は頷いた。


「知っている」


それが余計に怖い。

知っている。

何を。

どこまで。


「だが帰り道は」


老人は続けた。


「同じ扉を、もう一度開くことではない」


「お前の“跳躍”は、ただの移動ではない」


「世界の縫い目をほどく力だ」


縫い目。

ほどく。

陸の右腕の内側が、じくりと熱くなる気がした。

あの感覚。

世界が裏返る感覚。

ただのワープじゃない。

たしかに何かを剥がしているような感覚があった。


「最後」


リラが言った。


「クロノス」


「何を狙っている?」


老人は、机の上の金属板――クロノスの紋章が刻まれた媒体へ視線を落とした。

指先で、それを軽く弾く。

カン、と乾いた音。

その音が、この場所の静けさに痛いほど響く。


「救済だと彼らは言う」


老人が言った。


「秩序だと彼らは言う」


「だが本当は」


老人の目が、少しだけ暗くなる。

澄んでいるのに、底の色が変わる。

水が急に深くなる感じ。


「時間を握りたいのだ」


リラの瞳が細くなる。

時間。

砂時計。

紋章の意味。


「時間を握って」


老人は続ける。


「歴史を選ぶ」


「不要な枝を刈り」

「都合の良い幹だけを残す」


「それが、彼らの“調和”だ」


陸の背中が冷えた。

人間を枝だと言う。

いらない枝は刈る。

それは管理だ。

監獄だ。

セレネの搾取と同じ種類の冷たさが、そのまま巨大化したような理屈。


ザインが鼻で笑った。


「くだらねえ」


老人は否定しない。

ただ、静かに言った。


「くだらぬものほど」


「多くの血を吸う」


その一言が、空気を重くした。

誰も言い返せない。

現実はいつも、くだらない理由で人を殺す。


陸は息を吸い、腹の底から声を出した。


「じゃあ、俺たちは」


「どうすればいい?」


老人の答えは、さっきと同じだった。


「学べ」


「そして選べ」


それは分かる。

分かるけれど、陸は焦った。

追跡が来る。

カシウスが来る。

選ぶ時間なんてない。

そう叫びたくなる。


その焦りを見透かしたように、老人は言った。


「焦りがあるなら」


「まず、生き延びる術を身につけよ」


老人が指を鳴らした。

すると広間の奥、棚と棚の隙間から何かが滑るように現れた。

金属の台車。

その上に、古い包帯と薬品、簡易手術キット。

そして、薄い布に包まれた一本の短剣。


「……おい」


ザインが眉を上げる。


「医者でもいるのかよ」


老人は淡々と言った。


「いる」


「この里は、知を守るだけでは成り立たぬ」


「血も骨も、守らねば滅びる」


里。

この場所を老人は“里”と呼んだ。

都市でも施設でもなく。

隠れ里。

リラの構成案にあった言葉が、現実になって目の前に立っている。


「まずは傷だ」


老人が言うと、棚の影から小柄な人物が現れた。

少年とも少女ともつかない。

黒髪で、目が大きい。

無表情ではない。

けれど感情が表に出にくい顔。

手袋をした指先が器用そうだ。


「……治療師」


老人が紹介するように言った。


小柄な人物は、ザインへ近づく。

ザインは反射で身構えかけた。

だが首輪の抑制が薄い今、変に暴れればこの場の秩序を壊す。

それを彼も感じ取ったのだろう。

舌打ちしながら、壁から背を離した。


「触るな」


ザインが言う。


治療師は淡々と返した。


「触らないと治らない」


その真面目な返しに、陸は思わず目を瞬いた。

言い返せない正論。

リラみたいだ。

リラほど刺々しくはないが、逃げ道を与えない感じが似ている。


ザインが鼻で笑う。


「……生意気だな」


「事実だ」


治療師は短く言い、迷いなく包帯を取り出す。

ザインの肩の傷を見て、布を裂き、薬を塗る。

ザインが僅かに顔をしかめる。

痛いはずなのに、呻かない。

それを見て、治療師は一言だけ落とした。


「痛いなら痛いと言え」


ザインが目を細める。


「言わねえ」


治療師は肩をすくめた。


「勝手にしろ」


そのやり取りが、妙に人間的で、陸の胸が少しだけ緩んだ。

タルタロスではあり得なかった空気。

痛みを痛いと言っていい空気。

それだけで救われるところがある。


リラはそれを横目で見つつ、老人に視線を戻した。


「……本題」


「ここで何を学べと言う」


老人は机の上の航路図を巻き取り、別の冊子を開いた。

紙の擦れる音が静かに響く。

ページの間に、薄い結晶板が挟まっている。

古代文明の記録媒体。


「お前たちが追う遺物」


老人が言う。


「“神々の涙”は、餌に過ぎぬ」


陸の胸がざわつく。

餌。

じゃあ、あれはやっぱり罠だった。

罠のために用意された、名前だけの遺物。


「クロノスは」


老人は続ける。


「餌で異邦人を釣り」

「檻で慣らし」

「最後に、扉の前へ連れていく」


「エデンへ」


リラが低く呟く。


老人は頷いた。


「そうだ」


「だからお前たちは」


「逆に、餌を使え」


陸が目を見開く。

餌を使う。

クロノスの用意した餌を、こちらの釣り針に変える。

それはリラのやり方に近い。

情報と状況を利用するやり方。

でも、老人がそれを言うのが意外だった。

この老人はただ守る人じゃない。

戦う人だ。

静かな戦い方で。


「……協力するのか」


リラが問う。

少しだけ声が柔らかくなっている。

協力してくれるなら、道が増える。

だが同時に、条件が付く。

リラは条件を読む。


老人は答えた。


「協力ではない」


「導く」


言い方が違う。

対等ではない。

上下でもない。

教師と弟子の距離だ。


リラの眉が僅かに動く。

反発。

でも今は飲み込む。

飲み込めるほど、彼女も追い詰められている。


老人は最後に言った。


「今宵は休め」


「朝になれば」


「お前たちの“授業”を始める」


朝。

この場所には朝があるのか。

タルタロスにはなかった。

朝があるだけで、胸が少しだけ軽くなる。


だが安心は続かない。

老人が視線を上げた。

本棚の上。

いや、もっと遠い。

天井の梁の向こう。

まるで外の空気を読んでいるように。


「……来たな」


その一言で、空気が凍った。


リラが即座に身構える。


「追跡?」


老人は頷いた。


「まだ遠い」


「だが、匂いは届いた」


匂い。

情報屋が使わない比喩。

でもこの老人は、匂いで世界を捉える。

知の匂い。

血の匂い。

敵意の匂い。


「動け」


老人が言った。


「この里の扉は」


「開け方を知らぬ者には見えぬ」


「だが、見える者がいる」


陸の喉が鳴った。

見える者。

カシウス。

クロノス。

奴らは見える。

だから来る。


「……どうする?」


陸が問うと、リラが先に言った。


「隠す」


「痕跡を消す」


「追跡の糸を切る」


いつものリラだ。

冷静な優先順位。

その声に、陸の心が少しだけ落ち着く。


老人は頷き、短く言った。


「良い」


「では試せ」


試せ。

まただ。

この老人も試す。

だがカシウスの試し方とは違う。

折るためではない。

立たせるための試しだ。


老人が指を鳴らす。

広間の床の紋様が淡く光り、三人の足元に円が浮かび上がる。

その円は文字でできている。

古い言語。

でも意味が、肌に伝わる。


――沈め。

――偽れ。

――閉じろ。


「今から」


老人が言う。


「この里を、存在しないことにする」


リラが一歩前へ出る。

紫紺の瞳が光る。

その目が言っている。

やってやる。

できる。


陸は息を吸った。

右腕に意識を向ける。

跳躍ではない。

今は“縫い目”をほどくのではなく、縫い合わせる。

隙間を塞ぐ。

痕跡を薄める。


(……できるのか)


不安が浮かぶ。

だが、やるしかない。


ザインがぽつりと言った。


「面倒くせえ」


その一言が、逆に陸を少し笑わせた。

生きている。

まだふざけられる。

それだけで、強くなれる。


老人が低く告げる。


「始めよ」


光が、三人の足元から立ち上がる。

本棚の匂いが濃くなる。

紙の記憶が、空気を厚くする。

世界の輪郭が、静かにぼやけていく。


陸は右腕の内側で、微かな熱を感じた。

跳べる。

封じられていない。

そして、跳べるだけじゃない。

この力は――もっと別の形にもなる。


(学べ)


老人の言葉が、胸の奥で反芻される。


(選べ)


まだ選べない。

でも、選ぶための場所に来た。

その事実だけは確かだった。


遠くで、何かが壁を撫でるような気配がした。

クロノスの“匂い”が、里の外をかすめていく。

それが通り過ぎるまで、三人は黙って、息を揃えた。

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