第18章 マリンカ
ミッチは、いつもの音楽学校のレッスンを終え、
坂道を下りながら胸の奥に残る余韻を抱えていた。
(今日のダンス……先生に褒められた。
少しずつだけど、身体が動くようになってきた)
毎週通うこの教室は、
ミッチにとって“もうひとつの夢”へ続く大切な場所。
誰にも言えない、家族にすら秘密にしている夢。
今日はその帰りに、月に一度の“約束”があった。
――シュプールで、シュートと会う日。
ガラス張りのケーキ店の中に、先に来ているシュートの姿が見えた。
ショーケースを覗き込み、真剣な顔でケーキを選んでいる。
(……そんなに真剣に選ばなくてもいいのに)
ミッチは思わず笑ってしまった。
「お待たせ、シュート」
振り返ったシュートは、少しだけ照れたように言った。
「今日もケーキを楽しみにきた」
「また、素敵な女の子を忘れちゃって。 照れ隠しかな??」
ミッチがふっと笑う。
二人は席に座り、ケーキと紅茶を注文した。
ケーキが運ばれてくると、
シュートはフォークを置き、静かに話し始めた。
「中体連に向けて顧問に部活動の改革を相談しに行った」
「どうだったの」
「俺個人のためにやり方を変えるのはでき無いって言われた」
「そうなの」
「でも、チームメンバーが自主的に改革するのであれば喜んで
後押ししてくれるみたい。」
「宝梅中学にビデオが寄付されたのしっている?」
「うん。しっている」
(……そのビデオ、私が言ったことがきっかけなのだけどね)
もちろん言わない。
「しっちゃんが感動した西ドイツワールドカップの試合をみんなで見て
宝梅中学が目指すサッカーをみんなで確認できた。日々のミーティング
も始まったし」
「しっちゃんはやっぱり頼りになる」
シュートは続けた。
「しっちゃんが中心になって、練習メニューも変えている。
あいつ、すごいよ。説明が分かりやすいし、
みんなの動きが本当に変わってきた」
ミッチは嬉しそうに頷いた。
「しっちゃん、頭いいもんね。
でも……シュートが動いたから、みんな変わったんだよ」
シュートは照れたように視線を落とした。
今度はミッチが話し始めた。
「今日のレッスンね、ダンスを先生に褒められたの。
身体の軸が前より安定しているって」
「へぇ……すごいじゃん」
「ブラジル体操のおかげだよ。 しっちゃんが教えてくれたやつ」
「バスケでもね、パスやドリブルが前よりスムーズになったの」
シュートは驚いたように目を見開いた。
「そんな効果もあったのか」
「
私の二つの夢をあとおしてくれるなんて。しっちゃんに感謝だよ!」
ミッチはくすっと笑った。
シュートはバッグから漫画を取り出した。
「これ……返す」
「えっ、もう読んだの?早いね!」
ミッチは素直に喜んだ。
その笑顔は、春の光のように柔らかかった。
「“マリンカの花”……あれ、すごくよかった。小さいけど、強くて」
ミッチは一瞬、息を呑んだ。
(……そんなふうに感じてくれたのだ)
「やっぱり、早く未来のボーイフレンドになりたくて、
急いでハイカラさんを読んでくれたの?」
シュートは我に帰ったように答えた。
「そんなんじゃないよ。ただ思ったことを伝えただけ」
ミッチは照れ隠しに、シュートの腕を軽くつついた。
「もうっ、シュートってば…… ほんと、たまにズルいんだから」
二人は照れ笑いしながら、
シュプールの窓から見える宝塚の街を眺めた。
その午後、二人の間に流れた静かな時間は、
誰にも言えない“秘密”として胸の奥にそっとしまわれた。
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