第11章 ブラジル体操
朝のグラウンドには、冬の名残の冷たい空気が漂っていた。
サッカー部の朝練が始まる前、しっちゃんはいつものように一人で
ストレッチをしていた。
股関節をゆっくり開き、背中を伸ばし、呼吸を整える。
その動きは、誰に言われたわけでもなく、ただ自分の身体を整えるための習慣だった。
ふと視線を上げると、ベンチでスパイクを履き替えているシュートの足が目に入った。
(……あれ?)
右足のくるぶしのあたりが赤く擦れて、少し腫れている。
昨日の練習は人工芝だった。
こんな怪我をするような場面はなかったはずだ。
しっちゃんは近づいた。
「シュート、その足……どうしたんだよ」
シュートは一瞬だけ動きを止めた。
そして、わざとらしく肩をすくめる。
「ん? ああ……ちょっと転んだだけ」
「昨日の練習で?」
「いや、帰り道でさ。段差につまずいて」
言い方が雑だ。目も合わせない。
(嘘だな……)
しっちゃんの胸がざわついた。でも、理由はわからない。
ただ、何かを隠しているのは確かだった。
「まあ、気をつけろよ」
「おう。大丈夫、大丈夫」
シュートは軽く笑って誤魔化した。
本当は、ミッチを庇って転んだ。 でも、それを言うつもりはなかった。
練習前、しっちゃんがストレッチをしていると、シュートがじっと見ていた。
「しっちゃん、それ毎日やってんの?」
「まあね。身体硬いと怪我しやすいし」
シュートは少し考えるように眉を寄せた。
(ミッチ……音楽学園で悩んでたよな)
ミッチが言っていた。
「もっと“柔らかい筋肉”をつけなさいって言われた」
「可動域が足りないって……どうしたらいいんだろ」
その言葉が頭に残っていた。
(ミッチに必要なのは……こういう動きなのか?)
「なあ、しっちゃん」
「ん?」
「柔らかい筋肉って、どうやってつくんだ?」
しっちゃんは一瞬驚いたが、すぐに答えた。
「えっと……ストレッチとか、ブラジル体操とかかな」
「ブラジル体操?」
「サッカー選手がよくやるやつ。全身を大きく動かして、筋肉を柔らかくするんだ」
「……それ、サッカー部でもやった方がいいよな」
「まあ、やって損はないよ」
シュートはしばらく黙り、そして言った。
「キャプテンに言ってみるわ」
放課後。
サッカー部の部室でキャプテンが新しいメニューを発表した。
「来週から、ウォーミングアップにブラジル体操を取り入れる。
佐伯が提案してくれた」
部員たちがざわつく。
「佐伯が?」「珍しいな」「あいつ柔軟とか興味あったっけ?」
しっちゃんは横目でシュートを見る。
シュートは何事もなかったように、黙ってスパイクの紐を結んでいた。
翌週
ミッチは山本洋子宝塚音楽教室でのレッスンを終えて、
少しめげて教室を後にした。
「今日はシュートとのデートもないし、レッスンはうまくいなっかたなぁ」
と思いながら、逆瀬川に向かって歩き出す。
ひょいっととシュートがあらわれた。
ミッチが驚いて、笑いながら
「今日はケーキ奢れないよ!」
「わかっているよ。ちょっとシュプールでお茶しよう」
二人はいつもの喫茶店のシュプールに入って席についた。
ミッチが
「素敵な女の子に会いてくて迎えに来てくれたの?」と聞く。
それを聞き流して
「今日のレッスンはどうだった?」
「うーん。やっぱりダンスで先生に色々指導された」
「ちょっと、めげていたんだぁ」
シュートが問いかけた
「ブラジル体操って知っている?しっちゃんに教わったんだけど
柔軟な筋肉をつけるにはいいみたい」
「ミッチもやってみたら?」
「ブラジル体操。聞いたことはあるけど。やり方がわかんないなぁ」
「サッカー部の練習に取り入れることになったので、それを伝授するよ」
「えっ。本当。じゃあお願いする」
「ナイショの話でけど、私、朝新聞配達のバイトをしているんだ。
その時に、できないかしら?」
「わかった。俺も朝ランニングで付き合うよ!」
「ありがとう。早朝デートね」
「早朝トレーニング。明後日から始めよう」




