信仰
私は集落の長の家で歓待を受けていた。
目の前には食事として芋と雑穀を煮たものに、茹でた数種類の葉物と瓜っぽい漬物、あとは私が集落に訪れた際に手土産として持ってきた獣肉の焼き物が並んでいる。
最後に飲料として果実が溶かされた水が配膳されたタイミングで対面の長に軽く礼を伝えると会話が始まる。
「このような辺鄙な集落にわざわざ何度も足を運んでくださりありがたい限りです。獣まで狩ってくださって」
「いえ、以前の件がありますから」
私が申し訳なさそうにそう告げると場の雰囲気が少し悪くなったような気がした。
あ、この飲み物すごく美味しい。溶かしてある果実は果汁を保存が効くように丁寧に煮詰めたものだろうか。しっかりとした甘さがある。
「守護竜……失礼、竜ではないのでしたな」
「……ええ、はい。存在が精霊に近づいた大変有り難い獣ではあるのですが、竜はそれとはまた違う存在ですから」
「そうでしたな。あれからずっと巫女様のご提案の通り、守護霊獣オロチ様として祀らせて頂いておりますよ」
私は初めてこの集落に訪れた際に、集落で守護竜として崇められていた大蛇を討ち取ってしまった上に、大蛇は竜ではないと信仰の否定をしてしまっていた。
「もっとも、今では巫女様がお仕えされている赤竜様を信仰する者がほとんどですが」
そして私は訪れる度に赤竜様の鱗を見せびらかしている訳で、形としては完全に外部から教化しにやってきて既存の信仰を踏み荒らしたならず者である。
しかし、それは私としては本意ではなかった。
まず、討ち取ってしまったのは大蛇が襲ってきたからである。そもそも集落の人間も意思疎通は取れてなかった上に、時々人も襲っていたらしく、集落では蛇避けのための香を焚くことが習慣として根付いていたくらいだ。
とはいえ、大蛇が居なくなると遠ざけられていた中大型の獣が現れ、集落の人々が未知の獣への対応を余儀なくされてしまったことは私の負い目であった。そのために以後、定期的な巡回と狩を贖罪も兼ねた自主的なアフターケアで行っていた。
残りの信仰の否定と教化については、竜が実存することに加えて修験者という素性の知れない人間を最低限取り繕うのに便利な肩書きを名乗る都合で行ってしまったのである。
「して、巫女様。本当のところ、赤竜様は我々を救ってくださるのでしょうか?」
「いいえ、竜は易々と人をお救いになりません」
適当に相槌を打つ中の急な質問に、流れで正直に答えてしまった。
場を沈黙が支配する。控えている家中の人たちが息を呑んでいる気がする。
長は何処か張り詰めた様子で、ゆっくりと躊躇うように口を開いた。
「……それではオロチ様と、あまり変わりないということでしょうか?」
「言葉が通じて、ある程度の情がございます」
「……」
「あと、竜は人を食べません」
「くふっ、フアハハハハハッ。失礼しました。その通りですな」
何か良い感じに話がまとまった風だが、赤竜様はこの集落近くに住まうことがないため防獣効果はまったくない。デメリットもないがメリットもない、この集落ノーガード。
いや、もちろん既に考えがあり、対策は行っている。
この世界、前世の世界よりも野生動物は強いが人々もまた屈強なのである。そこで私は武器となる弓の鏃や槍の穂先などを自然の恵みと物々交換という形で既にそれなりの量を供給していた。申し訳ないが自分たちの身は自分たちで守って欲しい。
この世界、軍が出なければ勝てないようなファンタジーな化け物は実在するがめったに生まれないのか、幸い個体数は多くない。オロチ様もこれに該当するがどれほど貴重な生物であっても鳥獣保護の法はないし、そもそも人食いの害獣なので討伐やむなしである。私無罪。
その後も得体の知れない酒を断りながら歓待を乗り切り、翌日には集落をたった。
よくわからないが、お土産に歓待で出された果実を煮詰めた飴の入った陶器の瓶をもらった。漆林檎と呼んでいる果実から作っているらしい。かぶれそうな果物だ。嬉しかったからお礼に恒例の物々交換では野菜の種を少しおまけした。
そろそろ文明の香りが恋しくなってきたため辺境巡りを切り上げたい。
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見送りに来ていた他の者が次々と生活に戻る中、俺は巫女を名乗る怪物の姿が完全に見えなくなるまで見送っていた。
その存在が恐ろしくて仕方がなかったからだ。
完全に去ったことを確認した俺は父親である長に確認するべく家に戻ることにした。
怪物がこの集落に初めて姿を見せたのはちょうど季節が一回りする前くらいだった。
この集落は遠い昔に、今も戦が絶えないらしい島から逃げ出した生き残りが少しずつ、同じような境遇の者を迎え入れながら築いてきたらしい。
俺はそれを先代の長である爺様に聞かされた。
ご先祖様は竜が治めるらしいもう一つの島も選択肢としてあったが、誰かに支配されるのはこりごりだといまの集落がある未開の島へと海の獣がひしめく海を渡ったんだとか。
ただその先には自然の支配があるのみで、ご先祖様が求めた自由なんてものはなかったと悲しそうに語る爺様の姿は当時子どもだった俺から見ても何だかとても小さく見えた覚えがある。
その象徴こそが代々集落の人々が守護竜と崇めていた大蛇だった。
胴の太さは成人男性の背を優に超え、全長に至ってはどれほどあるのかわからない。その巨体が誇る力は凄まじく、ひと暴れすれば地を削り、揺らす。長い胴体が無防備に伸びていても強靭さ故に傷つけることはできない怪物。
気休めに守護竜などと呼んでいることなど多くの者は分かっていたが、心から守護竜だと思い込む者がいるくらいには人の力が及ばない存在だった。
けれども俺にとっては生まれた時から生活にその存在が当たり前にあったし、先人たちが見つけてきた数々の対策があって十分な共存もできていた。恐ろしくはあったがそれは明日を不安に思うようなものでもなく、生活もそう悲観するようなものじゃなかった。
それがある日、胴と頭が泣き別れた姿で俺たちの前に現れた。
初めは皆、普段よりも激しい狩りをしているのだと思った。俺も共に狩猟に出ていた者たちと早々に集落に戻り、念のために偵察を出すのか、出すならいつにするのか長と狩猟衆で頭を突き合わせていた。
しかしそれは門番の悲鳴によって遮られた。
異音の主が集落に向かってきている、いつものようにたまたま近づいてきているのではない明確な異常。
俺は長の息子として外に慣れた狩猟衆と異音の元へ向かった。
気をそらすなりして、何としてでも集落から遠ざけなければ。俺たちに気が付いたのか、異音は止まっていた。
そして犠牲を覚悟した俺たちは目にする。
最初は奇妙なとぐろを巻いているのかと思ったが違った。それは首を無くした胴が結ばれまとめられた姿であり、落とされた頭部が上に乗せられている無残な姿だった。
そして巫女を名乗る怪物と出会った。
大蛇の尾の端を持つ、妙に周りから存在の浮いた白い髪の女。
近づけばよりその異質さがわかった。
常人の倍はありそうな背丈に、汚れのない衣服、肩に担いだ刃の部分が大きすぎる薙刀。そして女の周りは常に不自然な風が吹いていた。顔立ちからして異国の血が混じっているのは確実であったが、それだけでは説明がつかない不自然さだった。
整い過ぎたその輝くような容姿も作り物めいていて、逆に不気味に思えた。
女は異国から竜と共に渡って来た巫女なのだと名乗り、竜に捧げるための獲物を綺麗に解体したいため、人手を探しているのだと言った。
俺は姿だけが人に似た得体の知れない存在を集落に招くのは避けたかったが、どういうわけか集落の位置を知っているかのように移動してきたこと、そして移動してきたのだろう破壊痕でできた道を見て諦めた。
それは俺たちのおかげで破砕する木が少なくて済むと喜びながら木を破砕し、手前に倒れてくれば一蹴りで退ける姿ですぐに証明される。
集落は当然騒ぎになった。日常が崩壊したのだから。
事前に危険性を伝達したにも関わらず、錯乱した者が巫女を刺激する言動を行ったことには肝を冷やした。
幸い暴れだしたりはせず、悲し気に大蛇の頭骨を譲ると言い出しただけであったが二度とないように危険性の周知に努めた。
それから巫女は月が3度ほど隠れる間隔で集落に訪れるようになった。運んでくる鉄器や作物の種はありがたいが、集落の人間は徐々に警戒心を忘れてしまっているのがいただけない。
それは集落の長である父親も同様で、昨晩の何の意味があるのかわからない試し行為は度し難かった。
あの日解体の際に見た大蛇の首の切断跡は半ば千切れ飛んだような荒々しいもので、巫女の持つ力を示していた。到底人が為したとは思えない。
目的もわからない、常人を超えた力を持つものなど例え本当に人であったとしても怪物と変わらない。
幸い、集落の外で仕事をする狩猟衆の者は俺と同じ考えだ。巫女が訪れる度に荒れる森と破壊痕を見ていれば警戒をしない方が難しい。
嘆いてばかりもよろしくない。できることをしなければ。
まずは父に苦言をていすることだろう。
そうして俺はやっと見つけた父を逃しはすまいと捕まえたのだった。
本日あと1話投稿予定です