第7章 新たな獲物の予感
夕方、俺とティナは街の城門に立っていた。
荷物はそれほど多くない。
俺は宿屋で買った簡単な旅装と、最低限の食料。
「本当にこれだけでいいのか?」
「はい。身軽な方が動きやすいですから」
ティナが微笑む。
その表情は清々しくて、まるで新しい冒険に胸を躍らせているようだった。
だが俺には分かる。
この子の本当の気持ちは、もっと複雑だ。
「お疲れ様でした」
城門の衛兵たちが俺たちに声をかけてくる。
昨日とは態度が全然違う。
完全に「厄介払い」モードだ。
「ああ、色々ありがとう」
俺は愛想よく手を振る。
(まあ、最初の『実験場』としては悪くなかったかな)
「レイジ様、どちらに向かいましょうか?」
ティナが俺を見上げる。
その目にはわくわくとした期待が込められている。
「そうだな……」
俺は街道を見回す。
「帝国の方はどうだ?」
「帝国ですか?」
ティナが首を傾げる。
「どうしてそちらを?」
「なんとなく。色々な『冒険』がありそうじゃないか」
俺がそう答えると、ティナの目がきらりと光った。
「確かに、帝国は……色々と問題があると聞きますね」
「問題?」
「はい。貴族の腐敗が酷いとか、民衆の生活が苦しいとか」
ティナの声に、微妙な期待感が混じっているのを俺は聞き逃さなかった。
(この子も、そういう『悪』を狩るのが好きなのかな)
「じゃあ決まりだね。帝国に向かおう」
「はい!」
二人は北の街道を歩き始めた。
夕日が背中を照らし、長い影が道に伸びている。
しばらく歩いていると、向こうから荷馬車がやってくる。
商人らしき男性が御者台に座っていた。
「お二人とも。こんな時間に旅立ちですか?」
商人が声をかけてくる。
「ええ、急用で」
「帝国の方向ですね? 気をつけなさい」
商人の表情が急に暗くなる。
「帝国はな、今大変なことになってるんですよ」
「大変?」
「ええ。貴族どもがやりたい放題でね。税金は上がる一方、民からは搾り取るだけ搾り取って」
商人が憤慨するように語る。
「特にバルドール侯爵ってのが酷い。民衆を奴隷同然に扱って、気に入らない奴は公開処刑だ」
俺とティナが顔を見合わせる。
「公開処刑?」
「ああ。見せしめにな。子供だろうが老人だろうがお構いなし」
商人の話を聞いていると、俺の中で何かが蠢き始めた。
(バルドール侯爵? 面白そうな名前だな)
「それに、帝国の騎士団も腐ってる。民衆を守るどころか、貴族の手先になって搾取に加担してるんだ」
「ひどい話ですね」
ティナが心配そうな顔をする。
だがその目の奥に、別の感情が宿っているのを俺は見た。
(この子、内心でワクワクしてるな)
「お二人も気をつけなさい。特に可愛い嬢ちゃんは危険だ。帝国の貴族は美しい女性を見ると、手段を選ばず手に入れようとする」
商人がティナを心配そうに見る。
「ありがとうございます。気をつけます」
商人が去った後、俺とティナは再び歩き始めた。
「酷い話でしたね」
「ああ、本当に」
俺は同情するような顔をする。
だが内心では、全く違うことを考えていた。
(バルドール侯爵か。どんな『絶望の表情』を見せてくれるかな)
「レイジ様」
「ん?」
「もし、そういう悪いことをしている人たちに出会ったら……」
ティナが意味深な質問をしてくる。
「どうするつもりですか?」
「どうするって?」
俺は首を傾げるフリをする。
「困ってる人たちを助けてあげたいですね」
「助ける……」
ティナが俺の言葉を反芻する。
その表情に、満足そうな笑みが浮かんだ。
「レイジ様らしいです」
「そうかな?」
「はい。レイジ様は正義感が強いですから」
ティナがそう言うと、俺は心の中で笑った。
(正義感? まあ、そう見えるように演技してるからな)
夜が更けてきて、二人は街道沿いの小さな宿場町に到着した。
「今夜はここで休もうか」
「はい」
宿屋で部屋を取り、食堂で夕食を取る。
他の宿泊客たちの会話が聞こえてくる。
「帝国の税金、また上がるらしいぞ」
「マジかよ……もう払えねえよ」
「バルドール侯爵のやりたい放題だ」
「誰か止めてくれりゃいいんだが……」
俺とティナは顔を見合わせる。
「やっぱり、帝国は大変みたいですね」
「ああ、困ってる人がたくさんいるようだ」
俺がそう答えると、ティナの目が輝いた。
「レイジ様なら、きっと何かできますよね」
「何かって?」
「その……困ってる人たちを助けるような」
ティナの声に、期待感が込められている。
(この子、俺に何をさせたがってるんだ?)
「そうだね。できることがあれば、手を貸してあげたい」
「素晴らしいです!」
ティナが嬉しそうに手を叩く。
「レイジ様って、本当に優しい方なんですね」
(優しい? 俺が?)
俺は心の中で苦笑する。
ティナの表情を見ていると、何か別の感情を抱いているのが分かった。
(この子、俺の『本性』を見たがってるな)
食事を終えて、それぞれの部屋に戻る。
俺は窓から夜空を見上げた。
星が綺麗に輝いている。
(帝国か……楽しくなりそうだ)
隣の部屋からは、ティナの小さな歌声が聞こえてくる。
とても幸せそうな声だった。
だが俺は知らなかった。
ティナが歌っているのは、とても恐ろしい内容の子守唄だということを。
そして、彼女の頭の中では既に、帝国で起こるであろう『楽しい出来事』のシナリオが組み立てられていることを。
翌朝、二人は帝国への道のりを再開する。
そして数日後、彼らは帝国の首都で、想像を絶する『悪』と出会うことになるのだった。