誘拐
港町大騒動!消えた芋焼きの要
港町の夕暮れどき。波止場に並ぶ屋台の中でもひと際にぎやかなのが、ヴァネッサ一家が営む焼き芋屋台「芋焼きの要」だ。その人気の秘訣は甘くホクホクの焼き芋…だけではない。愛嬌たっぷりの猿、シモンの存在が大きかった。シモンは小さな胴巻きを叩いて客寄せをし、ときには子供に焼き芋を手渡し、屋台の看板“猿店員”として大活躍していた。
だが、その夜――喧騒の最中に異変は起こった。
シモンが忽然と姿を消したのだ。
シモン誘拐事件の幕開け
「シモンが…いない?」ヴァネッサは屋台の周囲をぐるりと見回した。先ほどまで元気に踊っていたシモンの姿が見当たらない。胸騒ぎがして、彼女は父アルフォンスと母クラリッサ、弟レオンにも声をかける。
「さっきまでこのあたりにいたはずなのに…」レオンが屋台の下をのぞき込みながら言った。その顔には不安の色が浮かんでいる。クラリッサは腕組みをして辺りを見渡し、「シモン!返事をしなさい!」と大声で呼びかけた。しかし可愛い相棒の返事はない。
アルフォンスは静かに地面に落ちた一本のバナナの皮を拾い上げた。先ほどまでシモンが大事そうに持っていたおやつだ。「これは…ただごとではないな」アルフォンスが低くつぶやく。詩人然とした父の顔が険しくなった。
「もしかして誰かに連れて行かれたんじゃ…?」ヴァネッサが唇を震わせて言うと、家族の表情が一斉に強張った。常連客たちもただならぬ様子にざわめきはじめ、「猿のシモンがいなくなったらしいぞ」と噂が瞬く間に広がっていく。
そのとき、人混みの中からひそひそ声が聞こえた。「隣町から来たライバル屋台が、シモンを狙ってたとか…」「魚粉天国って店の噂だよ」――“魚粉天国”。聞き慣れぬ名にヴァネッサは眉をひそめた。それは最近、隣の露店街から進出してきた魚介粉末スープの屋台で、ここのところ「芋焼きの要」と客を奪い合っているライバルだった。
「魚粉天国が怪しいですわね」ヴァネッサが小声で家族に告げる。クラリッサは拳をぽきぽきと鳴らし、「もし本当にあの魚粉屋がシモンを攫ったのなら、ただじゃおかないわよ」と怒りをあらわにした。レオンも「許せない!僕が必ず見つけ出す!」と息巻いている。しかし相手の出方も分からないまま突っ込むのは危険だ。ここは一家、それぞれの得意分野を生かして作戦を立てる必要がある。
ヴァネッサはぐっと気持ちを引き締め、冷静な声で宣言した。「家族皆でシモンを取り戻しましょう。お父様は交渉と情報集め、お母様は戦闘準備、レオンは裏通りの探索をお願い。わたくしは全体の指揮を執りますわ」かつて公爵家令嬢だった彼女の凛とした口調に、アルフォンスたちも力強くうなずいた。
アルフォンスの詩的交渉術
まず動いたのは父アルフォンスだった。普段は物静かで詩を愛する紳士だが、娘ヴァネッサから「交渉」を任されたからには誰より頼もしい。アルフォンスは単身、港町の路地を進み、「魚粉天国」の屋台へと向かった。
魚粉天国は暗い路地裏でひっそり営業を続けていた。客足はまばらで、派手な焼き芋屋台と違い少々寂しい雰囲気だ。店主らしき男は強面で、腕組みをしながら湯気の立つ大鍋を睨んでいる。
アルフォンスは穏やかな笑みを浮かべて近づいた。「こんばんは、いい月夜ですね」そう声をかけると、店主は怪訝そうにこちらを見た。「…あんた、客かい?うちのスープは臭ぇぞ」とぶっきらぼうに言う。魚の出汁の濃い香りがあたりに漂っている。
「いえ、月があまりに綺麗で。こんな夜には、人の心も月明かりに照らされるものです」アルフォンスは店主の問いに答えず、詩を吟ずるように話し始めた。「例えば…盗まれた月を探す哀しみをご存知ですか?」突然のロマンチックな語りに、店主はきょとんとした表情になる。
「はぁ?月だぁ?」店主は戸惑いながら眉をひそめた。アルフォンスは構わず続ける。「月というのは、かけがえのない宝の寓意です。今宵、ある愛すべき存在が忽然と消えました。それは我が娘のように大切な――猿のシモンです」
「あ、猿?」店主は目を丸くした。「……知りませんねえ、猿なんて」と視線を泳がせる。しかしその反応は何かを隠しているようにも見えた。アルフォンスはさらに微笑み、少しずつ店主に歩み寄る。
「ご存知ないと?では、失礼ながらこの詩をご一緒に。“月夜に消えた我が友よ その行方を知る者は 心に影を落とす者”…おや、今あなたの心に小さな影が射しましたね?」
「な、なんのことだ」店主は明らかに動揺している。アルフォンスはニコニコと優雅に微笑みつつ、その目は獲物を逃がすまいと鋭く光っていた。「シモンをご存知なら、返していただきたい。彼がいないと私どもの焼き芋はさぞ寂しい味になるでしょうから」
店主はごくりと唾を飲んだ。その額にじっとり汗がにじむ。「…し、知らねぇって言ってんだろ」と強がるものの、アルフォンスの不思議な迫力に押され気味だ。
「ご存知ない。では、あなたではなく他の誰かがさらったのでしょうか…例えばここより繁盛している芋屋台に恨みを持つ誰かが」アルフォンスは悠然と語りながら、わざと大きくため息をついてみせた。「月明かりは真実を暴きます。嘘をつけば、あなたの影は形を変えるでしょう…」その言葉に店主の顔色が見る見る青ざめていく。
ついに耐えきれなくなったのか、店主はドンと鍋を置き「あ、あの猿なら知らねえよ!ただ、裏通りの倉庫で見たって噂は聞いた!」と叫んだ。「倉庫ですって?どこの倉庫でしょう?」アルフォンスが優しく尋ねると、店主は目を泳がせながら答えた。「ここの路地をまっすぐ行った先の古い倉庫だ…そこに行けば分かるかもな!」
「ありがとうございます。疑ってしまい申し訳ない」アルフォンスは深々とお辞儀をした。しかし店主はバツが悪そうにそっぽを向いている。「べ、別に教えたわけじゃねぇぞ。ただの噂だ…!」そう強がる店主に、アルフォンスは最後に一片の紙を手渡した。それは短い詩の一節が書かれた紙片だ。
「今宵の礼に、拙い詩を一編。“人に優しくすれば、巡り巡って自分に優しくなる”…あなたにも良き月明かりがありますように」アルフォンスが微笑んで去って行くと、店主は狐につままれたような顔でその紙を見つめていた。
クラリッサの密林バナナ突撃
一方その頃。母クラリッサは自宅の裏手で何やら準備に追われていた。元公爵夫人である彼女は気品と教養にあふれる女性だが、怒らせると誰より怖い。そして今、愛しのシモンを攫われたクラリッサは怒り心頭。**“密林式戦闘バナナ装備”**とやらを取り出していた。
「ふふふ…こういう時のために秘蔵しておいたバナナたちよ」クラリッサは蔵の奥から、大量のバナナが束ねられた袋や、乾燥させた硬いバナナを加工した即席こん棒などを取り出した。元は南方の密林で暮らす原住民から教わった護身術らしいが、まさか港町で使う日が来ようとは誰が想像しただろうか。
クラリッサはバナナの房を腰に帯び、背中にはバナナの房を矢筒のように背負い、手には「特製バナナブーメラン」を持った。見た目は完全にバナナまみれである。夜の闇にまぎれるどころか逆に目立ちそうだが、細かいことは気にしない。夫アルフォンスから「倉庫に手がかりあり」との一報を受けると、「さあ、やるわよ…!」と気合十分に裏通りへ走り出した。
古びた倉庫の近くにさしかかったクラリッサは、物陰に身を潜めて様子をうかがった。木造の大きな倉庫で、扉には錠が下ろされている。中からかすかに…聞こえる、これはシモンの鳴き声だ!「キキーッ!」という怒ったような声に、クラリッサの胸は高鳴る。「シモン…!間違いないわ、あの中ね」
見ると、倉庫の前には見張りらしき男が一人立っていた。いかにも悪党風のごつい男で、手には棍棒を持っている。クラリッサはにやりと微笑んだ。「正面から叩き潰すだけじゃ面白くないわね…」と呟くと、腰のバナナ房から一本、熟れたバナナを抜き取った。
「まずは…おやつの時間よ!」クラリッサはバナナの皮を素早く剥くと、見張りの足元めがけてひょいと投げ捨てた。黄色いバナナの皮が月明かりに照らされ路上に横たわる。その存在に気づかない見張りは、巡回の足を進め――
「おわっ!」バナナの皮を踏んで盛大に滑った。ドサン!と尻もちをついた男は、何が起きたか分からず慌てふためく。「なんだ今の…?」と立ち上がろうとした瞬間、クラリッサは茂みから跳び出した。
「シモンを返しなさいっ!!」怒りの雄叫びとともに、彼女はバナナブーメランを力いっぱい投げつける。ひゅるるる…と回転するバナナは曲線を描き、見張りの後頭部に**ゴチン!**と直撃した。「ぐへっ」と情けない声を出して男は再び昏倒。バナナブーメランはきれいな弧を描いてクラリッサの手元に戻ってきた。
「よし、クリア!」クラリッサは親指を立てて一人満足げに頷いた。素早く男を縛り上げると、倉庫の扉へと近づく。錠前はかかっているが、夫から預かった細工道具ですぐに開けられそうだ。彼女が鍵に手を伸ばしかけた、その時――倉リッサの背後にさらなる人影が現れた。
「おい、何してやがる!」別の見張りが戻ってきたのだ。どうやら交代の時間だったのか、タイミングが悪い。しかしクラリッサは冷静に振り返った。「まあ、ごきげんよう」優雅に一礼してみせる。
「て、てめえ何者だ!」男は仲間が倒れているのに気づき、警戒して棍棒を構えた。クラリッサはゆっくりと立ち上がり、背中から巨大なバナナを一本取り出した。そのバナナは通常の3倍はあろうかという特大サイズである。「私は通りすがりの主婦…いえ、怒れる母親ですわ」ニコリと微笑むクラリッサ。その笑みを見た男は一瞬怯んだ。
「くらえ、特製バナナこん棒!」クラリッサは特大バナナをぶん!と振り回す。見張りの男は「な、なんだそのバナナ!?」と驚いたものの、すぐに構え直して襲いかかってきた。「ひゃあっ!」クラリッサは紙一重で相手の棍棒をかわし、逆にこちらのバナナを男のみぞおちに叩き込む。「ぐふっ…」と男はうずくまった。
しかしタフな男はそれでも立ち上がり、今度は渾身の一撃を振るってきた。クラリッサは再度かわそうとしたが、背負っている大量のバナナが引っかかりバランスを崩す。「しまった…!」と思った瞬間、棍棒がクラリッサに当たろうとして――
「お、お母さーーーん!!!」間の抜けた叫び声とともに、上から何かが降ってきた。**ドサーン!**とすさまじい音。見張りの男の頭上に、一人の少年が落下してきたのだ。そう、彼こそクラリッサの息子レオンだった。
レオンの潜入と迷子、そして奇跡の合流
レオンはヴァネッサの指示で単独行動し、シモンを探すため港町の裏通りに潜入していた…はずだった。しかし生来の方向音痴が災いし、暗い路地を曲がるたびに道に迷ってしまっていたのだ。「おかしいな、さっきから同じ看板を見てる気がする…」と何度も同じ角を回り、ついには倉庫の屋根に上ってしまっていた。「高いところからなら場所が分かるかも…って、降りられなくなった!」彼は泣きそうな顔で屋根の上を右往左往していたのだ。
そんな時、下から母の叫び声が聞こえた。「シモンを返しなさいっ!!」――クラリッサだ!レオンはハッとして声のする方を見ると、下の路地に母の姿を発見した。どうやら敵と戦っているようだ。「大変だ、助けなきゃ!」そう思ったはいいが、屋根から急いで降りる術が見当たらない。焦ったレオンは周囲を見回し…屋根から少し下に梁が突き出ているのを見つけた。
「よし、あの梁にぶら下がって…ってうわああ!」レオンは勢い余って梁ごと崩し、そのまま真下へ真っ逆さま。先ほど母を襲おうとしていた見張りの頭上に落ちてしまったのである。
不意打ちを食らった見張りは棍棒ごと地面に叩きつけられ、そのまま気絶してしまった。尻もちをついたレオンは頭に星を飛ばしながらも、「い、今の声…レオン!?どうして空から!?」と呆然とするクラリッサに気づいて手を振った。
「や、やぁお母様…ちょっと道に迷っていたら、いつの間にか屋根の上に…あはは…」レオンが苦笑いすると、クラリッサは額に青筋を立てながらも安堵のため息をついた。「全く、心配かけるんじゃありませんよ。でもちょうど良かったわ、一緒に来てちょうだい」クラリッサは倒れた見張りたちを指差し、「あなた、これ片付けておきなさい」とレオンにロープを渡す。
「え、えぇっ!?僕が縛るの!?…はい…」母の鬼気迫る勢いに逆らえず、レオンは急いで男たちを縛り上げた。こうして偶然にもしっかり母のピンチを救い、レオンは合流を果たしたのだった。
ヴァネッサの冷静な指揮と秘めた想い
その頃ヴァネッサは、港町の広場で情報収集と待機をしていた。父と母、弟がそれぞれ動いている中、彼女は自分に課した役目――全体の指揮と状況把握に努めている。常連客や近所の人々にシモンの行方について聞き込みをしつつ、家族からの合図を待っていた。
心は焦るが、ヴァネッサは必死に冷静さを保っていた。公爵家の令嬢として培った判断力と統率力で、この危機を乗り越えねばならない。しかし、ふと一人になった瞬間、彼女の胸にぽっかり穴が開いたような寂しさが広がる。
(シモン…無事でいて頂戴…)ヴァネッサは心の中で祈る。焼き芋屋台を始めた当初、慣れない商売に落ち込むことも多かったヴァネッサにとって、シモンは癒しであり励ましだった。没落したとはいえ元公爵家の娘が屋台に立つ苦労は並大抵ではなかったが、シモンが傍らで楽しそうに太鼓を叩いたり芸を披露したりする姿に、どれだけ救われたことか。シモンは単なる看板猿ではなく、家族の一員であり、ヴァネッサの大切な友だった。
「ヴァネッサ!」遠くからアルフォンスの呼ぶ声がした。ハッとして顔を上げると、父が小走りでこちらへ向かってくる。「倉庫の場所がわかった。裏通りの古い倉庫だ」アルフォンスの言葉に、ヴァネッサの表情がぱっと明るくなった。「まあ、それでお母様とレオンは?」周囲を見回すが二人の姿はない。アルフォンスは肩をすくめて微笑んだ。「君のお母様ならもう向かっているさ。レオンも…まあ大丈夫だろう」少し不安げだが信頼を込めた父の声に、ヴァネッサも力強くうなずいた。
「では参りましょう、お父様!」ヴァネッサはドレスの裾をたくし上げ、アルフォンスと共に裏通りへ駆け出した。冷たい夜風が頬を打つ。しかし彼女の心はシモンを助け出せるという希望で熱くなっていた。
裏通りの対決
古びた倉庫の前に着くと、クラリッサとレオンも丁度そこに集結したところだった。扉の前には見張り二人が転がっており、クラリッサは鼻歌まじりにバナナを片付けている。レオンは「母さん強すぎるよ…」と呆れ顔だ。ヴァネッサとアルフォンスが駆け寄ると、クラリッサは「待ってましたわ!」と微笑んだ。
「シモンはこの中なのね?」ヴァネッサが問いかけると、クラリッサがうなずく。「ええ、さっき鳴き声が聞こえたわ。間違いないと思うの」と鍵のかかった扉を見据えた。アルフォンスは見張りから奪った鍵束を差し出し、「これで開くかな?」とヴァネッサに渡した。
「では開けますわよ…」ヴァネッサが慎重に錠前に鍵を差し込み、ゆっくり回す。カチリ、と金属音が響き、扉が開いた。中は薄暗いが、確かにシモンの鳴き声が近い。「シモン!」ヴァネッサが先陣を切って中へ踏み込む。他の三人もすぐに続いた。
倉庫の中は埃っぽく、木箱や樽が乱雑に積まれている。その奥、ランタンの明かりに照らされて小さな檻があった。中を見ると――震えるシモンがいるではないか!「シモン!」ヴァネッサは駆け寄り、檻の鉄格子に手をかけた。「大丈夫?今助けるわ」シモンもヴァネッサに気づき、「キキーッ!」と喜んだように手を伸ばしてくる。
「おい、何者だ貴様ら!」突然、倉庫の暗がりから怒号が響いた。ランタンを掲げ現れたのは、見覚えのある男…魚粉天国の店主だ。さらにその背後にごろつき風の手下が二人控えている。「勝手に入り込みおって…ここは俺様の倉庫だぞ!」店主は頬を引きつらせながら叫んだ。アルフォンスとの交渉で居所を知られてしまったため、慌ててここに駆けつけていたのだろう。
「やはりあなたが黒幕でしたのね…!」ヴァネッサが毅然と睨みつける。店主は悪びれもせず鼻を鳴らした。「チッ、焼き芋屋の小娘か。あの猿がいなくなりゃ、お前たちの店も終わりだと思ってな。港町で一番人気の座は頂くはずだったんだ…」恨みがましい口調で吐き捨てる。
「だからって猿を誘拐するなんて卑劣極まりないわ!」クラリッサが怒りに燃える目で睨むと、店主はたじろぎながらも「う、うるせぇ!商売は戦争だ!何をしても勝てばいいんだよ!」と開き直った。
「そんな道理、通りません!」ヴァネッサはシモンの檻を背に庇いながら言い放った。「シモンは家族同然ですの。金儲けの道具じゃありません!」
店主はニヤリと嫌な笑みを浮かべると、手下二人に「やっちまえ!」と号令した。手下たちは棍棒やナイフを構え、一家にじりじりと迫ってくる。
「皆さん、お気をつけて!」ヴァネッサが叫ぶ。するとアルフォンスが一歩前へ進み出た。「ここは私に任せなさい」穏やかながらも芯のある声。手にはいつの間にか一冊の小さな詩集が握られていた。
「おや、あなた方…」アルフォンスは薄暗い中でも悠然と立ち振る舞い、詩集を開いて朗々と語り始めた。「“真実の愛に殉ずる騎士ありき 剣ではなく言の葉を武器に戦えり”…」
「な、なんだ!?急に…」手下の動きが止まる。不意打ちのポエム攻撃に面食らったのだ。アルフォンスは構わず続ける。「“その騎士の言葉は魔法のごとく 敵の心を惑わせん”…どうです?心当たりはありませんか?」にこやかに問いかけられ、手下たちは顔を見合わせた。「お、おい何言ってんだこいつ…?」と困惑している。
「今ですわ!」ヴァネッサが合図を送る。次の瞬間、クラリッサが「せぇーい!」と雄叫びを上げながら飛び出した。手には再びバナナブーメランが握られている。ひるんだ手下Aの額にそれを容赦なく投擲!ゴツン!「ぶげっ」と男は白目をむいて崩れ落ちた。
「な、何しやがる!」もう一人の手下Bが怒ってクラリッサに飛びかかろうとする。しかしその目前にヒュン!と細いロープが降ってきて、男の足に絡みついた。「うわっ!?」ロープの先を持っていたのはレオンだ。彼は先ほど見張りを縛ったロープを一本手に、影から飛び出してきたのだ。「僕だってやるときはやるんだから!」渾身の力でロープを引っ張ると、手下Bは足を取られて転倒した。
「よくやったわ、レオン!」クラリッサが笑顔で親指を立てる。レオンも得意げに「えへへ」と笑った。しかし安心するのはまだ早い。店主自身が怒りのあまりか、懐から拳銃を取り出したのだ。「てめぇら、調子に乗りやがって…動くな!撃つぞ!」薄闇に銃口がぎらりと光る。
ヴァネッサははっと息を呑んだ。家族を庇おうと身構える。しかしアルフォンスは微塵も慌てず店主に向き直った。その目は静かな怒りに燃えている。「銃など捨てなさい。あなたには似合わない」穏やかながらも有無を言わせぬ声音だった。
「う、うるさい!撃つって言ってんだ!」店主の声が震える。アルフォンスはそっと一篇の詩を口ずさんだ。「“闇夜に咲く一輪の花 その優しき香りは 人の狂気を鎮めん”…」不思議なことに、その声を聞いた店主の手がかすかに揺れた。
「お父様、危ない…!」ヴァネッサが止めようとした瞬間、バナナの皮が宙を舞った。クラリッサが再び放った熟れたバナナの皮が、店主の足元にひらりと落ちる。気づかぬ店主は踏みつけ…「うわっ!?」見事に滑った。バランスを崩した隙にアルフォンスが素早く突進し、店主の手首を掴む。パン!と拳銃が床に落ち、大きな音が鳴り響いた。
「勝負あったわね」クラリッサが高らかに宣言する。店主は地面に組み伏せられ、アルフォンスがしっかりと押さえつけていた。取り逃がさないよう、レオンが持っていたロープで店主も縛り上げる。「離せ、この俺が負けるなんて…!」店主はもがくが、大の大人二人がかりでは歯が立たない。
「これが商売の勝者の姿かしら?」ヴァネッサが静かに歩み寄り、冷たい眼差しを向けた。「あなたは何もかもお間違いですわ。商売は戦争ではありません。お客様あってのもの。卑怯な手段で得た一番なんて虚しいだけです」その毅然とした声に、店主は返す言葉もない。ただ悔しそうに顔を背けるだけだった。
「さあ、シモンを返してもらいますわよ」ヴァネッサは檻の錠前をこじ開け、中のシモンを優しく抱き上げた。「キキーッ!」シモンはヴァネッサの胸にしがみつき、安心したように頬をすり寄せる。ヴァネッサの目にじわりと涙が浮かんだ。「もう大丈夫よ…怖かったわね」ぎゅっとシモンを抱きしめると、家族も安堵の笑みを浮かべた。
家族の絆と大団円
こうして港町を騒がせた猿のシモン誘拐事件は、ヴァネッサ一家の見事な連携によって解決した。縛り上げられた魚粉天国の店主と手下たちは、駆けつけた港町の自警団に引き渡されることになった。店主は連行されながらもしょんぼりとうなだれており、アルフォンスが小声で「月夜に悪事は似合わない」と諭すと、何も言えず涙を一粒こぼしたとか。
一方、無事救出されたシモンは大人気の英雄となった。翌朝、「芋焼きの要」にシモンが戻ってくると聞きつけた客たちが殺到した。屋台の前には長蛇の列ができ、人々は口々に「よかったねえ」「シモンちゃんお帰り!」と声をかけていく。シモンは照れくさそうに太鼓を叩いて応え、元気な姿を振りまいている。
ヴァネッサは家族と並んで店先に立ち、いつものように笑顔で焼き芋を配っていた。しかしその表情は昨日までとは少し違う。胸のつかえが取れたように晴れやかで、生き生きとしているのだ。シモンが隣にいる――ただそれだけで、彼女にとってどれほど心強いことか。
「ヴァネッサ、本当によかったな」アルフォンスが娘の肩に手を置いた。ヴァネッサははい、と破顔する。「皆のおかげですわ。お父様、お母様、レオン…家族の力を改めて感じました」そう言ってシモンの頭を優しく撫でる。「そしてシモン、あなたが戻ってくれて本当に嬉しい」
「キキッ!」シモンも嬉しそうに鳴き、ヴァネッサの頬に自分の小さな頭をすりつけた。クラリッサがそれを見て微笑む。「家族が揃ってこそ、ですものね。シモンも我が家の大事な息子みたいなものだわ」
レオンもシモンの横で胸を張る。「これからは僕ももっとシモンの面倒を見るよ!迷子になったりしないで、ちゃんと守らなきゃ!」それを聞いて家族全員が思わず吹き出した。「あなたが言うと説得力ないけど…まあ頼もしくなったわね」ヴァネッサがくすくす笑うと、レオンは頬を赤くして照れた。
アルフォンスは満足げに頷き、ふとポツリと詩を口ずさんだ。「“嵐過ぎ 月照らし出す一家かな”…やはり家族とは尊いものだ」
「お父様たら、また即興の句ですの?」ヴァネッサが微笑ましく尋ねると、アルフォンスはウインクしてみせた。「もちろん。今宵ほど我が家の絆を誇らしく思ったことはないからね」
港町の空には朝日が昇り、昨夜の騒動が嘘のような穏やかな光が降り注いでいた。ヴァネッサ一家の焼き芋屋台「芋焼きの要」は今日も大繁盛だ。看板猿のシモンが戻り、家族の笑顔も戻った。ドタバタの大騒ぎはあったものの、その分家族の絆は一層強く深まったのである。
「いらっしゃい!甘くて美味しい焼き芋はいかが?」ヴァネッサの明るい声が港町に響き渡る。その隣ではシモンが元気に太鼓を叩き、客たちの笑い声が広がった。こうして今日もまた、港町には幸せな香りと笑顔が満ちていくのだった。