第12話「恋と辞書とオフィスと」
朝。
いつものように辞書の前で腕を組む大山。
「昨日“器用”が刺さったからな……今日は“余裕”いっとくか」
意気込みとともにページをめくる──が、
「“世論調査”…ちがう!」
慌てて別のページを──
「“鎧”…いや、かっこいいけど違う!」
ようやく“よ”の項を開く。
「……あった。“余裕”!」
ぱあっと辞書が光り、大山の身体にじんわりと魔法が染み込む。
今日の自分は、“余裕のある男”。
(これで、結衣さんの前でも慌てず自然体を装える……!)
⸻
出社。
「おはようございます、大山さん!」
「おはよう、佐倉さん。今日も清々しい朝ですね」
「な、なんか……いつにも増してダンディですね!?」
社内のあちこちでも、
「大山さん、なんか雰囲気違わない?」
「落ち着いてるというか……デキる上司感あるな」
と、地味に評価急上昇中。
そして昼休み、給湯室で水を汲んでいた大山の背後に、ふと結衣が現れる。
「大山さん」
「……あ、結衣さん」
「今日は……なんだか、すごく自然体ですね。昨日までと全然違う」
「えっ、そ、そうですか?」
(余裕、効果抜群すぎる……!?)
「なんというか……ずっと昔から働いてたみたいな空気感。すごいなって思って」
「あはは……まあ、長く無職やってた分、空気読むのだけは……」
「ふふっ、なんですかそれ」
結衣が笑った。自然な、柔らかい笑顔だった。
その時。
「大山さん!こっちのパソコン、またフリーズしましたー!」
佐倉さんの声が給湯室まで響く。
「わっ、ちょ、ちょっと行ってきます!」
慌てて水を持ったまま走り出す大山。
しかし──
結衣はその背中を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……あなた、何か隠してるよね」
⸻
午後。
“余裕”魔法は絶好調。フリーズしたPCを淡々と復旧し、上司からの理不尽な指示にもにこやかに対応。もはや「社内の救世主」。
その背後では──
「大山さん、何者なの?」
「転職組?いや経歴空白だったらしいぞ」
「大企業に引き抜かれないかな……」
噂が飛び交う。
(……バレてない、よな?)
結衣のほうを見ると、また彼女と目が合った。
「……」
ニコッと笑ってくれるけど、目が鋭い。
たぶん、鋭い女の子だ。
(あの目……たぶんちょっとバレかけてる……いや、気づいてるけど確証はないパターン!?)
不安がよぎる中──
「大山くん、来週、社長の娘とちょっと同行してほしい案件があるから」
「えっ?」
「君なら安心して任せられるからな!」
──社長の命令で、結衣との“外回り”が確定した。




