月見・地球見
月見をしようと誘われて、紗衣の家に来た。昭和時代に建てられた豪邸で、錦鯉が泳ぐ庭園がある。樹木は常任の庭師が手入れをしていると紗衣が言っていた。
俺が氷結レモンとたこ焼きが入った袋を持ってぼんやりと庭で立っていると、使用人がビニールシートを敷き、水と氷が入ったクーラーボックスを持ってきた。その中には各種のアルコールが浮かんでいる。
「よく来たな、鷹」
背の低い紗衣が走ってきて、俺に抱きつく。袋の中を見て、
「おっ、氷結があるではないか。気がきくのう。飲みたかったんじゃ」
「たこ焼きも好きだろ?」
「おう、たこ焼きも好きじゃ」
俺と紗衣は並んで座り、プシッとプルタブを開ける。俺はよなよなエールをのどに流し込み、紗衣は氷結レモンを飲む。たこ焼きをつまんでいるうちに、使用人が料理をシートの上に並べる。のどぐろの塩焼き、松茸の土瓶蒸し、刺身の盛り合わせなんかが並ぶ。貧乏な俺には、紗衣と一緒でなければ食べられないものばかりだ。
紗衣とは大学で知り合った。学費を払えなくてやめるしかないかと悩んでいたところを救われた。以来、俺の生活は一変した。お嬢様の紗衣に引っ張り回されている。俺なんかのどこを気に入ったのかわからない。
クーラーボックスをのぞいてプレミアムモルツを選び、月を見上げながら飲む。
紗衣は酒豪だ。ビール以外のあらゆる酒を飲む。ビールの苦みだけは受け付けないらしい。氷結を飲み終え、純米吟醸を水のようにごくごくと飲む。
秋の夜風が心地いい。スーパームーンを見たり紗衣の童顔を見たりしながら、俺も日本酒を飲む。ペースは紗衣の半分以下だ。
「バイトで忙しいようだのぉ」
俺は複数のバイトを掛け持ちしている。居酒屋の厨房や道路工事やビルの警備。
「生活費を稼がなきゃならんし、だれかさんに学費を返さなきゃならんからな」
「返さなくてもよいと言っておろう」
「そういうわけにはいかないだろ」
「なにをやっても使い切れないほどの金があるのじゃ」
紗衣はストレートで芋焼酎を飲む。
月は黄金色に輝いて、庭園にはすすきも生えている。
紗衣はガンガン飲んで、芋焼酎のボトルをひとりで空けてしまいそうだ。
「天体を見ながら酒を飲むのはいい。どこまでもつきあってもらうぞ、鷹」
地球見をしている。
月のドームの中には地球とほぼ同じ組成の空気がある。
俺と紗衣は赤ワインを飲みながら、地球を見ている。
「体が軽いのぉ、鷹」
「重力が6分の1だからな。月で半年以上暮らすと、地球に再適応するのがかなり大変らしいぞ」
「それは気をつけねばならんな」
「いつ帰るんだ?」
「予定は未定じゃ」
地球から見る月は美しいが、月から見る地球の印象は言葉では表しがたい。美しいという言葉では明らかに足りない。
俺はあそこで生まれ、あそこで育った。海があり、陸があり、大気があり、動植物が生きている。奇跡の天体という感じがする。
「氷結が飲みたいのぉ」
氷結はきのう飲み終わってしまって、在庫がない。
いかに紗衣が巨大な財力を持っていようと、地球から取り寄せるには時間がかかる。純米吟醸も芋焼酎もなくなって、今日は洋酒ばかり飲んでいる。
ワインのボトルを空にして、紗衣はウイスキーをストレートで飲み始める。俺はハイボールを飲む。紗衣と同じ飲み方をしたらつぶれてしまう。
かなり飲みつづけて、紗衣はようやく酔ったみたいで俺にしなだれかかる。
「天体を見ながら飲む酒はいいのぉ。鷹、どこまでも連れていくからな」
俺と紗衣はエウロパにいて、木星を見ながらテキーラを飲んでいる。
エウロパの重力は月よりさらに小さいが、紗衣はもう「体が軽いのぉ」とは言わない。俺たちは地球再適応がむずかしいほど長く旅をしてしまった。
木星は美しいというより、不気味な天体という印象だ。吸い込まれてしまいそうな迫力がある。
エウロパからは地球は青みがかった小さなひとつの星にしか見えない。
「明日の便で氷結が届く。よなよなエールもじゃ」
紗衣が嬉しそうに言う。
「それはいいな」
俺は答えて、テキーラを流し込む。のどが熱くなる。