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有終のはじまり

作者: 大西洋子

歳をとったと感じるようになったのはいつからだっただろう。髪の毛に白髪が混じるようになった頃か。いやいや新聞や雑誌、注文書を見る際に眼鏡を外し、接眼して読むようになった頃か。はたまた話す言葉が聞き取りにくくなった頃か。

だが、確実に言えることは、今のわしは充分に老人だということ。

今朝早く厨房で転倒。痛みに耐えかね急遽病院へ。骨は折れなかったのは不幸中の幸い。だが、下半身のあちこちの骨にひびがあり、今度同じような転倒すると、最悪寝たきりになると診断がくだされた。

「やれやれ。歳はとりたくないものだ」

わしの城でもある洋食店に戻り、客席の奥の席に腰を下ろす。轟々と吹き荒れる季節変わりの風が、店のあちらこちらを軋ませる。

……無理もない。この店を建てておよそ半世紀。わしも店もボロボロだ。特にこの数年、次から次へと襲いかかった飲食業界への逆風に、よく耐えたものだと自画自賛せざるを得ない。

さて、痛み止めが効いてきたし、今日店に出す予定だった物を処分するとしよう。ゆっくり立ち上がったその時、カランとドアベルが鳴り、

「おじいちゃん! よかった~」

わしの顔を見るなり安堵の声をあげるのは、近くの大学の食堂に勤める孫の結で、

「岩原教授から、臨時休業の貼り紙が貼られてたって聞かされたの」

学生時代から、昼食の前後のどちらかの授業がないと来店する、岩原教授と共に店内に入ってきた。さらに、

「おじいちゃん、大丈夫だった?」

いつもわしの店前で登園バスを待っている親子がやってきた。

「幸い骨は折れとらんよ」

保育園のスモッグを着たままの幼子に、精一杯の笑顔を見せ、母親に救急車と臨時休業の貼り紙の礼を述べ、そういえば、わしが最後に飯を喰ったのはいつだったか。そんな疑問と同時に腹の虫が鳴いた。

「教授の奢り? あざーす!」

昨日から仕込んでいたデミグラスソースと、今日使い切る予定だった食パンは、結の手によってビーフシチューとトーストのセットになり、岩原教授が食材廃棄をするよりもと、呼び寄せた学生達が駆けつけ、競い合うかのように食べる。

「おじいちゃん、美味しかったよ!」

救急車を呼んでくれた親子に、お礼として手作りプリンを振る舞った。

やがて夕方からのバイト学生も廃棄処分回避に協力し、さらに皿洗いに床掃除、店の周りのゴミ拾いをしてくれた。

そうして集まった学生達が店を後にした時には、外はすっかり夜になっていた。

「……おじいちゃん、これからどうするの?」

結が火の始末をしながら、問いかけてきた。

「……潮時だな。結、この店を継ぐなどと言わないでくれ」

口コミで高評価を得ていたとしても、有名店の名を似通わせても、味を再現しても、暖簾分けしたとしても、潰れるときは潰れる。

「お前が管理栄養士になってくれただけで、わしは充分じゃからな」

「……うん。明日はゆっくり休んで。ちょうど定休日だし。あ、その手提げ金庫持つね」

店の鍵をかけ、手提げ金庫を結に預け、わしのねぐらへと歩き出す。

歩数にして百歩程度のその道程が、やけに遠く感じた。

そして翌日の夕方。

「家に居ないと思ったら、やっぱりここにいた」

店の裏口から結の呆れた声に、その手が止まった。

「岩原教授に昨日の顛末をたずねられてね、おじいちゃんが潮時だと言っていたって言ったら、すごく残念がっていたから……」

「わしも仕入れ先の仲間に告げたら、同じことを言われてな。提供する品数を減らして、あと半年やってみようと。な……」

「半年ね。じゃあその間に、おじいちゃんの太鼓判もらわないと」

結は飲食業界への嵐のさなかから、この店の看板であるデミグラスソースの味を再現できないかと挑戦し続けていた。

「その味を再現できたら、おじいちゃんのこの洋食店を想い出してもらえるかなって……」

歳をとると涙脆くなると聞いていたが、その言葉はまことであった。

「いいか半年。半年でやり遂げるんだぞ」

結の力強い返答に、わしの目頭はさらに熱を帯びた。



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