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後編

 思ったよりも線が細くて若そうだ──などと考える暇もなく。

ムツは虎之助に腕を引かれて孝幸の背後に押しやられてしまった。


 錆びた門扉の開閉音と共に足音が遠ざかっていく。


(ちょ、見えない見えない!)


(……徒歩か。駅とは反対に向かったな。タカはどう見る?)


(流石に鞄とカジュアルスーツの情報だけでは何も分からないな)


 男性が完全に遠ざかったのを確認し、ようやく自由の身となったムツは意味深な発言を続ける二人に不満をぶつけた。


「もー、さっきから何なのさ。勿体ぶらないで教えてよ! アホがいくら考えた所で時間の無駄だなんだからね!」


「自覚があったのか」と白い目を向ける虎之助の腕を小さく小突き、孝幸はやれやれと(かぶり)を振る。


「まず話を聞いた時の違和感についてだ。田島さんによると、夫婦は完全にすれ違った生活を送っているよな」


「そうだねぇ。毎日奥さんが仕事行って、ご主人帰宅。ご主人が仕事行って、奥さん帰宅、の繰り返しだもん」


「確かにそういったすれ違い生活の夫婦もいるだろう。しかし、それならばいつDVやモラハラを行うタイミングがある?」


 それは、とムツは口ごもる。

流石に隣家の内部事情を田島が完全に把握出来る筈ないだろう──

そんな否定を口にするより早く、虎之助が孝幸の言い分を肯定するように肩を竦めた。


「田島って奴はそれらしい音声を聞いた訳でも、ましてや奥さんが怪我しているのを見た訳でもねぇんだろ?」

 

「で、でもさ。よく考えたら近所の人に『人見知りだから放っておけ』ってのもおかしくない? 普通なら『人見知りだけどよろしく』とかじゃない? まるで奥さんを孤立させようとしてるみたいじゃん」


 ムツの苦し紛れの一言に二人の目が丸くなる。

私、何か言っちゃいました? とばかりに首を傾げる彼女の仕草を皮切りに孝幸が吹き出した。


「そうだな。ムツの言う通り、ご主人は奥さんを孤立させようとしている可能性も高い」


「え、そうなの!?」


「ただでさえ周りを拒絶してるブアイソ女だ。その旦那を名乗る奴がそう触れ回ってたら、誰も声なんざ掛けなくなるわな」


 虎之助の妙な言い方が引っ掛かり、ムツはこれでもかという程眉根を寄せる。


「ちょっと、その言い方じゃまるで……」


「まぁ聞け、ムツ。田島さんは『ゴミ出しの時に旦那さんを見かける』と言っていたそうだが、『ゴミ捨てをしている旦那さんを見た』とは言っていなかったんだろう?」


「う、うん」


 ただのニュアンス違いでは──そう言いたいのに言葉が出ない。

絶句する彼女に構わず、孝幸は畳み掛ける。


「例えばこうは考えられないか? 早朝、出勤ついでにゴミを捨てる女性。その女性が捨てたゴミを、さもネットを直すフリをして漁る男がいたとしたら……」


「はぁぁ!?」


「……しかもソイツは何食わぬ顔で近所には夫を名乗り、堂々と女の家に入っていく、と。信じらんねぇ話だがあり得ない話でもねぇだろ」


 まさか夫婦ですらないなんて、そもそもの前提が崩れる話ではないか。

流石に妄想が過ぎると頭を抱えるムツだったが、彼らの話はそこで終わらない。


「空き巣の件もそうだ。もしムツに夫が居たとして、帰宅した室内が荒れていたらどうする?」


「え、そりゃ心配して中を探すか、本人に連絡を……あ」


「まぁそれが普通だわな。だがその人は違ったろ。叫んで、外に避難し、通報した。中に身内が居る可能性よりも、犯人がまだ中に居るかもしれねぇ可能性を優先した訳だ」


 もし夫婦で暮らしていて玄関が荒れていたとしたら、相手が何かしたか、何かあったと疑うだろう。

しかし一人暮らしとなると話は違う。

すぐに空き巣を疑い、迷わず警察に通報するのも頷ける話だった。


「初めは俺もまさかと思っていたんだがな。実際に現地を見た事で疑惑は確信に近付いた」


「確信って?……っていうか、まさか話を聞いた時から夫婦じゃないかもって思ってたの!?」


 未だ混乱するムツに対し、虎之助は「外れて欲しい予想だったけどな」と苛立たしげに空を仰いだ。


「夫婦で車が無い事は別に変じゃねぇけどよ。自転車が一台分しかねぇのは不自然だろーが。さっきの奴もデカい鞄持ってんのに徒歩で出掛けてたしな。もしかしたら別の所に車でも停めてるんじゃねぇの?」


 言われてみれば確かに、と彼女は改めて杉山邸を観察する。

駐車場はピンクの自転車一台と多少の荷物が雑多に置かれており、他に自転車が置けるようなスペースは全く無い。


「そして物干し竿が無い件だ。恐らく杉山さんは室内干しか乾燥機派なんだろう。外に干さない理由は花粉対策の可能性もあるが、女性の一人暮らしなら防犯対策の可能性が高そうだ」


「出かける予定があったにしても、全てのカーテンを締め切ってたのが気になったしな。俺らが長々と喋って見張ってる間、中で何をしてたんだか」


 彼らの推理を聞いていると「もしかしたら」という考えが強まってしまう。


「じ、じゃあどうする? 今すぐ警察に通報する!?」


「落ち着け。とにかく確認しない事には始まらないさ」


「だな。面倒臭ぇけど時間潰すしかねぇな」


 どことなく悪い顔をする幼馴染み達の顔を、ムツは訳も分からず見上げるしか出来なかった。





 およそ一時間半後。

すっかり日が落ちてしまった時間帯に、杉山邸に入ろうとするスーツ姿の女性が現れた。

まるでモデルのような体型の女性だ。


「あの人が奥さん(仮)か」と咀嚼していたアンパンを飲み込むムツを押しやり、孝幸と虎之助が小走りで駆け寄る。


「すみません。先日この家の前で学生証を落とした者ですけど」


 女性は大袈裟な程に肩を震わせて振り返った。

少し痩せすぎなものの確かに美人である。

女性は背の高い二人に警戒したようだが、学生服である事とムツの姿を確認して僅かに力を抜いた。


「学生証なんて見てませんけど」


 つっけんどんな女性に臆す事なく、孝幸は笑みを絶やさない。


「あ、いえ。お宅のご主人が拾ってくれたお陰で助かりました。登校前だったのでゆっくりお礼が出来なくて。後でお礼を伝えておいてくれませんか?」


「!? 私は独身です! 主人なんていません!」


 突然怒鳴りだす女性に驚き、ムツの体がビクリと跳ねる。

それを隠すように虎之助が前に出た。


「それはおかしいな。ここの隣の……田島は俺らの後輩なんですが、『隣の杉山さんの旦那さんはゴミ捨て場の整理や落ち葉掃きをしてくれるマメな人だ』って褒めてましたよ?」


「は? 何それ……気持ち悪い事言わないで!」


 悲鳴に近い声を上げ、女性は逃げるように門扉に手をかける。

それに待ったを掛けたのは孝幸だった。


「落ち着いて下さい。もしお姉さんの話が本当なら、僕に学生証を返してくれた人は誰なんでしょう? その人は間違いなくこの家の中に入っていったのですが」


「……そ、それって、いつの……いつの話ですか?」


 女性の足が止まる。

孝幸はやけに穏やかな口調で考え込む素振りを見せた。


「はて、何日前だったかな。トラ、覚えてるか?」


「さぁな。平日だったのは覚えてっけど。それより問題なのは、この家に心当たりのない人間が出入りしてるって事じゃねぇか?」


「確かに。よく見かける位には出入りしているようだし、もしストーカーだとしたら盗聴や盗撮をされている可能性もあるな」


 まるで綿密な打ち合わせをしていたかのように話を繰り広げる二人に付いていけず、ムツは完全に空気と化してしまう。

女性の顔色はかなり悪い。

どうやら孝幸達の話を真剣に受け止めているようだ。


「大きなお世話かもしれませんが、掃除や模様替えをする振りをして、一度調べてみた方が良いかもしれませんね」


「ちなみに盗聴器の探知機なんかはネットでも買えっけど、業者に依頼した方が確実だ……です。もし自分で見つけても下手に外さねぇで、家の外で警察に通報した方がいいですよ」


「そう、なのね……」


 ここでようやくムツが絞り出せた一言は「えっと、大丈夫ですか?」という間の抜けた言葉であった。

どう見ても大丈夫ではない顔色である。

それでも幾分か気を取り直したのか、女性は弱々しい声で「大丈夫。ありがとう」と呟いた。


「ちょっと……まだ信じられないけど、心当たりもあるのですぐに調べてみます」


「そうですか。犯人を刺激しないよう、暫くは普段通りの生活をした方が良いと思います」


「今の状況で普段通りの生活ってのも難しいだろーがな。いざとなったら周りにも助けを求めた方が良いです。田島も『隣のお姉さんが元気ない』って心配してたので。だろ? ムツ」


 急に話を振られ、ムツは慌ただしく姿勢を正した。


「そ、そうです! 田島ちゃん、凄く優しい子なので!」


「……そう……ありがとう」


 女性は改めて礼を告げると、今度こそ家の中に入っていった。

これ以上留まる理由もない。


 三人は杉山邸を離れると各々疲れた様子で肩の力を抜いた。


「っていうかさ。お姉さんに声かけるなら私にも打ち合わせしといてよ! 何だよ学生証って。ビックリしたじゃんか!」


 ムツの文句など気にも留めず、虎之助と孝幸は煽るようにハイタッチを交わしている。


「俺らだって別に打ち合わせしてねぇよ」


「とりあえず声をかけたらトラが合わせてくれただけだ」


「マジかよ。阿吽じゃん」


 詐欺師の才能でもあるのではと慄きながらも、ムツは何だかんだで付き合ってくれた二人の背中にラリアットの如き感謝のタックルをしたのだった。





 数週間後。


 ムツは田島から「隣人が引っ越した」と知らされた。


「なんとお隣は女性の一人暮らしだったんですよ! ご主人だと思ってた人はストーカーだったみたいで、もうビックリしました!」


「へ、へぇー」


 知っている、と水を差すのは憚られるテンションだ。

既に幼馴染み達の推理が当たっている事を知っているムツは大人しく相槌を打つ。


「前に住んでた所でも付きまといがあったらしくて、それでこっちに越してきたそうです。それがまさか、合鍵作られて夫のフリしてたなんて……怖すぎですよねぇ!」


「あぁ、心当たりってそれ……いやぁホント怖いねー」


「お巡りさんとウチに話を聞きに来た時に知ったんですけど、お隣さんは付きまといのせいで人間不信になって、近所付き合いを避けてたみたいなんです」


「なるほど、それで素っ気なかったんだ」


 田島の話はさながら答え合わせの補足である。


「また急に引っ越されたんで、その後どうなったかは分からないんですが……今は杉山さんが無事に逃げられた事を祈ってるんです」


「そっか……そうだね。新天地で平和に過ごせてると良いね」


 その辺に関してはムツも本心からそう思う。

しんみりと話がまとまった所で、田島が「そういえば」と首を傾げた。


「『格好良い先輩方にも『心配してくれてありがとう』って伝えておいて』って言われたんですけど、矢那瀬先輩、まさか彼氏でも居たんですか?」


「彼氏じゃないけど、まさかって何だよ。別に彼氏居たとしてもおかしくないでしょーが」


「いや、だって矢那瀬先輩だし」


 意外と失礼な後輩の発言に、ムツは子供のように拗ねる。

ちなみにこの日のコラムのテーマは「防犯意識について」に決まったのだった。









 まだ荷解きの済んでいない部屋の中心で、やつれた女がほくそ笑む。


 元が美人とは思えないような醜悪な笑顔だ。


 まさか不法侵入までされていた上、夫のフリまでされていたとは思わなかったが、最終的には全て上手くいった。


──これでもう自由だ。


──これでもう怯えて暮らす必要はない。


 そう簡単にアレ(・・)が見つかる事は無いだろう。


「フフ、ククク……」


 ほんの一瞬、心配そうに声を掛けてくれた高校生三人組が頭をよぎる。

しかし胸が痛んだ気がしたのもまた一瞬の事で、女は再び歓喜に震えたのだった。


──さぁ、私はここからだ。


──邪魔な男はもう居ない。この世のどこにも。


──嫌な事は全部忘れて、この新天地で幸せになろう。


 この後、暫く女の笑い声が止む事は無かった。

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[良い点] 本格推理なところ 優しさ出発でそれがいい意味で踏みにじられていないところ。彼らに危険が及ばないところが素敵です。 [一言] すごく面白かったです!本格推理ですね! わぁ、怖い〜気を付けなく…
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