72話 闇を抱えるヒカリ その2
「《《敵意》》を向けてくるならば……全員こうしますよ!」
「ちょっとヒカリちゃん、これ以上はダメ!」
カエデはヒカリをなだめようとするが、ヒカリはそれを逆に制止するかのようにカエデの目と鼻の先にあったカフェの看板と花壇を石に変えてしまった。これ以上近づくな、そのサインだ。
「ひゃっ!」
「大丈夫か、カエデ!」
(それにしてもなぜ暴走している? それにあれほどまでの力……まさか、ヒカリもアクセサリーとやらで洗脳を!?)
ユウヤがヒカリの耳元や首元、腕や指先に《《何か》》が付けられていないかを観察していると、後ろからユウヤ達へと足音が近づいてきた。
もしもカフェの客であるなら止めなければならない。大事件がまさに起こっているのだから……ユウヤは振り返り、その逆を静止しようとした瞬間だった。
無難な服装に身を包んだ、長身の男が肩と首を鳴らしながらユウヤの真横に立った。
「……シュウタロウ、か」
「あぁ。ちと恐ろしい夢を見てしもうてな」
「恐ろしい、夢?」
「……ま、説明は今度や」
シュウタロウはまるで何かを知っているかのようだ。それに、いつもの静かな目つきとは違う。ユウヤは悟った。シュウタロウはヒカリの暴走を力づくで止めるつもりなんだと。
ヒカリは息を荒らげなからこちらを睨んでいる。それを気にすることなくシュウタロウはトコ、トコとゆっくりとヒカリに向かって歩いていく。
「さてと、姉ちゃん……色川ヒカリはん、であっとったかいな? ちぃーっとやりすぎやで、これは」
「……いいい、一体何ですか!」
(ヒカリが急にビビりだした……そういやシュウタロウ、この前も同じ様に敵をビビらせていたような?)
シュウタロウは特別強そうな技を今から放とうとなどはしていない。ただヒカリに向かって歩いているだけだ。にも関わらず、ヒカリは落ちつきを取り戻したどころか、シュウタロウにかなり怯えている様子だ。
「……錬力術を悪用するなら始末するのみ。例えそれが赤子や弱った老人であろうとな」
「し、始末だと!? シュウタロウ、あまり変なマネすんなよ!」
「カリカリすんなて兄ちゃん……限度は分かっとる」
「ア、アナタも石像に変えられたいのですか? ほら、本気ですよ!」
「……やれやれ、聞き分けの悪いヤツやわ。《《相変わらず》》」
(ん? 今、相変わらずって?)
ーーーー
色川ヒカリ。彼女の生い立ちは悲惨なものだった。
彼女が生まれたのは人里離れた自然の中。写真やビデオに成長の記録が残されていることもなく、「自分が赤子の頃どんなのだったのか」とか、「物心がつく前は何をしていたのか」ということも一切知らないという。
ただ1つ鮮明に残っているのが、家族団欒なんてシーンはヒカリの人生の中で全く無かったという事実だ。親から浴びせられる言葉は、「復讐」だとか「革命」だとか、そして「使命」とか、そのようなものばかりだった。
ヒカリは子供ながら、親からの「教育」が猟奇的なものであると既に悟っていた。もしかしたら、自分が生まれる前に何かしらの因縁があったのかもしれないが、だとしてもそれを求めてくる親は恐怖でしかなかったのだ。
ある日のことだ。
『父上、母上。私は今から木の実の採集に行って参ります。行動ナンバー、“11”』
『ヒカリ、《《結界》》を破って下に降りることは絶対に許されない。分かっているよな?』
『……当然でございます』
深々と親に頭を下げたヒカリは、いつも通り木の実の採集へ向かった。ただ美味しそうな木の実を探すだけだが、ふとヒカリは「人類の暮らし」に好奇心をそそられた。
ヒカリは親や周りの人々が着いてきていないことを確認すると、崖の手前に防いでいる縄で縛られた大きな岩に手を当てて、念じた。
(ダメなのは分かってるけど……えいっ!)
その瞬間だった。岩が割れ、《《下界》》へと繋がる階段が現れた。一歩一歩、それを踏むたびに階段からは邪念を打ち消すような神秘的な音が鳴り響く。トントントン、とテンポよく階段を降りると、それ天使の歌声のようにも聞こえる。
しかし、ヒカリはその音がどこかとてつもなく恐ろしいものだとも感じた。まるで、自我が何かに塗り替えられていくように。ヒカリは大声を出しながらその階段を駆け下りたが、突如足を踏み外し、階段を転がり落ちてしまった。
『えっ……』
ヒカリが目覚めるとそこは山の麓であった。ヒカリは起き上がって眺める《《下界》》の様子は、自らの環境とは全く異なるものだった。
鉄の塊が灰色の道の上をビュンビュンと走っており、ところどころに赤や青色で彩られた看板が立っている。遠くの方には無数の建物が並んでおり、すれ違う人々は何やら四角い光る板に向かって話しかけたり、またポチポチと触ったりしている。
『これが……外の世界』
ヒカリは感動した。車も、道路も標識も、商業施設にビル、またスマホというものを見たのはこれが初めてだからだ。昔はここで暮らしていたというワケではなく、《《いつの間にか》》持っていた知識でしか存在を知らなかった物を、生で見ることができたからだ。例えるならば、初めて訪れた超有名アーティストのライブやスポーツの現地観戦。足を踏み入れた瞬間の、あの感覚である。
ヒカリはこの文明がどのようなものであるかが気になり、辺りを探索し始めた。知っているはずの物が並んでいるだけなのに、とても新鮮に感じる。自動販売機に誰かの住宅、小さな商店に田んぼや畑。ヒカリはこの世界に興味を持った。
30分ほど歩いただろうか、流石にヒカリもお腹が空いてきてしまった。何か近くに食べられるものはないか、ヒカリは辺りを見渡す。
『木の実、お肉、魚、草、水、何か……口にできるものを……探さなく……ちゃ……』
次第に視界がぼやけ、くるくると回りだす。
『あっ、これまずい……かも……』
ヒカリは、地面にバタリと倒れてしまった。




