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長いよ3行、という方宛
こうして我が家は
女神様のパシリになりましたので
教会にチーズケーキ持って行きます
我がノースロード家と女神ウェスティ様を擁する教会との繋がりは今から350年ほど前。まだ伯爵位だった頃である。
時の当主であったタリアン=ノースロード伯爵は大恋愛の末にミリア=ケーレスという侍女として働いていた子爵令嬢と結ばれる。ところが2人が幸せになる事を許せなかった娘がいた。
彼女は魔女となって2人を呪うが、2人には直接的な被害は与えれなかったので小さくて弱い幸せの象徴。つまり子供に矛先が向いて、悲しい事に生後間もなく跡継ぎとして生まれて来た子供は命を落としてしまう。
子供を亡くした悲しみと伯爵家として後継者は必要だという事情と、再び授かったとしてもまた殺されるんじゃないかという不安と恐怖で塞ぎ込んでいた伯爵夫妻を救ったのが、まだ今ほどは勢力を奮っていない、降臨してまだそう日が経っていない女神ウェスティだった。
女神は伯爵夫妻に、女神なので女の子ならば庇護が出来る。魔女の目から隠してあげるから、生まれて来た子供を女の子として育てなさいと告げ、半信半疑ながらも藁にも縋る思いだった伯爵夫妻はそれに従い、生まれて来た女の子は女のまま、生まれて来た男の子は女の子として育てた所、不幸は訪れなかった。
伯爵夫妻は大いに喜んで女神に感謝をし、田舎には似つかわしくない恐ろしく豪華な教会を作り、領地をあげて女神を讃えることにした。
一方女神ウェスティもまたそれに気を良くして、気が変わらない限り2人の血を引く者と、その治める土地を守護することを約束してくれたという。これが始まりである。
女神の加護を受けているノースロード領は、その後一度足りとも不作に悩まされた事は無いが、その豊かさのほとんどを国と教会と領地のために使っているので、伯爵家は決して生活には困らないが、豪遊出来る程ではないという清貧の一族になっている。
女神と教会がそこから勢力を伸ばし、国教となった事で女神様の忠実な信徒であるノースロード家は伯爵家から侯爵家に格上げされてからもお互いの関係は変わらない。
教会が布教したいと言えば、教会建設の為のお金を出し、教典を作る材料と費用を工面し、炊き出しの材料やお金を送り、街道を整備したいと言えばお金を出し、有望な職人を雇い、各地の領主らと話を付けて教会の名の下に道を作ってそれを維持し、女神様があれが欲しいと言えばお金を出し、時には自ら西へ東へ走って品物を手に入れて献上する。
今となっては完全なお財布ではあるが、加護は確かにありがたいのと、350年経つ今でも魔女の呪いが健在なのでこちらから止める訳にはいかないのだ。
決して。
例えそれが朝早くから行列に並んで、大人気店のケーキを買うことであったとしても、である。
登りたての太陽が眩しい早朝の列に並びながら私は思わず遠くを見る。
女神様直々のお願いなのでパシリとしては聞かない訳にはいかない。こんななのに女神様が娘と呼んで可愛がっている聖女様の見習いに危害を加えるはずがないのだ。と夢では無かった昨日の事を思い出してため息の代わりにあくびをする。
堂々とあくびをしても誰の目も気にしなくて良い。とても気楽だ。
王都ゴートの商業地区の中でも貴族達の住んでいる高級住宅街に近い所に店を構えている“仔猫黒猫迷い猫”は元冒険者のオーナーが営業しているらしく、その敷地内に冒険者時代に仲間になったという猫科の魔獣がいる。商品が美味しいという事に加えて、お店のマスコットにもなっているその魔獣は王都にいながら珍しい魔獣を見られると話題性は抜群だった。
実際に並んでいる間も、低い生け垣の向こう側では3匹の巨大な猫のような獣が思い思いに寛いでいる。
真夜中に影を発動させてしまった私は、とりあえず設定上は出て行った事になるので、自室ではなく空いている使用人室の部屋を借りて寝た。
それでも約束通りにモモが起こしに来てくれたので感謝しかない。その後、予備の使用人の服と帽子を貰って眠い身体を引きずるように家を出て、今ここにいる。
私が来た時には既に10人ほど並んでいて、もしかしてこの人達は一晩中並んでいたのか?と恐ろしく感じたけれど徹夜は禁止されているらしいと聞いて安心した。
同じ様に並んでいる人々も似たような格好の男女なので、どこかの家のお使いだろう。
王都で初めて男として外に出たので冷静を装ってはいるが内心は高揚し過ぎて落ち着かない。正直な所、昨日のパーティーの時よりも緊張していたが同時にこみ上げてくる好奇心もある。
「噂には聞いていたけれどすごい行列」
後ろを見る度にどんどん伸びて行く列に思わず声をあげる。
「今日はまだ少ない方よ」
隣に並んでいる三編みおさげの女の子がぽつりと拾ってくれた。さっき徹夜は禁止されていると教えてくれた子でもある。
「そうなの?」
「ええ、いつもだったらもっと早くからいっぱい並んでるの」
「そんなに並んでるの?」
「もう、こーんなに!」
彼女は小さな身体をめいっぱい伸ばして説明してくる。私としてはそれを知るくらい並んでいるのかと回数で気になったのだけれど、彼女には列の長さを伝える事の方が重要らしい。
「すごいね。大人気なんだ」
生け垣沿いに並んでいる列は、誰に言われるわけでもなく自然に整っていて大変にお行儀が良い。
その横を騎士団の馬車が数台連なって通り抜けて行くけれど全く邪魔にならない。危なげなく駆け抜けて行く。
たまに何処かの家の馬車が慌てた様子で通って行ったりするけれどそれも何の問題もない。むしろまだ朝早いと言うのにもう街は活気づいているのかとのんびりと感心した。
父も朝早くから登城しなければならないと言っていたので、多分こんな感じで活動しているのだろう。
「すごぉく美味しいんだって。ウチのお嬢様がとても好きなの」
私は食べたこと一回も無いんだけどねーとつまらなそうに言う姿が自然体で微笑ましい。
「今日は特にお祝いだからって絶対食べたいんだって」
「そうなんだ。じゃあ頑張って起きたんだね」
「へへ」
私が褒めると彼女は一瞬きょとんとしてから照れた様にはにかむ。彼女達にはそれが普通であって褒められるのは意外らしい。前にモモがそういう感じの事を言っていた。
「そ、それにしても今日は本当に少ないわね。いつものこの時間だったらあの曲がり角まで行くのも珍しくないのよ」
「へー」
ひょっこりと後ろを振り返って、顔を出して確認する。軽く数えて30人くらいはいるだろうか。その曲がり角まで行くとしたら50人、60人は居そうだと思う。
「こんなに少ないんだったらもうちょっと寝れば良かった」
「あはは」
結果論でしか無いが気持ちはとても良く分かる。
「あ、ほらお店から人が出て来た。もうすぐ開くわよ」
彼女の言葉に促されて視線を向けると、従業員らしき人が看板を掛けている。開いた扉からふわりと焼き立ての甘い香りが漂って来る。これは確かに美味しそうだ。
「お待たせいたしましたーごゆっくりお進みください」
誘導が始まって、列が動き始める。
こうして、初めての王都でのお使いは終了した。
「転ばないように帰るのよ!」
「お互いにね。色々とありがとう」
話し相手になってくれた少女と、手は塞がっているのでお互い声を掛け合って別れる。
手に持った包みの中には噂のチーズケーキが3箱ある。購入制限の最高数だ。最初は1箱だけ買うつもりだったのだけれど、侍女長が気が変わった時の為に3箱分用意しておいてくれたので正解だった。流石としか言い様が無い。
少しだけ悩んでまず家に帰る事にした。まだ並んでいる人達を横に来た道を戻って行く。私では無く私の持っている袋に注目されるのが何だか擽ったい。
商業地区を抜けて、高級住宅街に入る。大きなお屋敷が並ぶ向こうに見える王城の屋根が太陽に当たってとても綺麗だった。
天気が良くて気持ちが良い。時折、何処かのお屋敷から微かに聞こえて来る活動している音が、何だかとても愛おしく感じた。
「ただいまー」
正門を通してもらって、庭を抜けて裏口から入る。
正面玄関付近に馬車が止まっていたのが見えたけれど、我が家のなのか他家の馬車なのかまでは見えなかった。
父が予想するに、朝早くにルーフォス家から何らかの使者が来るだろうと言っていたのでその可能性もある。が、その場合馬車で来たということなら大物だろうと考えると冷や汗が出そうなので違いますようにと願う。
「おかえりなさいませ」
「これお土産。1つはお母様に。もう1つは侍女長とモモ達で分けて食べて」
「……っ、ありがとうございます」
出迎えてくれたモモに、袋から箱を2つ取り出して渡す。
冷静な侍女が僅かに息を呑んだのが分かったので、買って来て良かったと思った。
「それじゃあ、教会に行って来るね」
「はい、行ってらっしゃいませ」
モモに見送られて再び外に出た所で、モモは寝直さなかったんだなと気付いた。
少し離れた所から誰かに見られている気配がしたけれど、気付かない振りをする。
上級貴族だからね。上は王族、下は冒険者対象の情報屋まで、何処の誰に探られているか心当たりがあり過ぎて分からない程度には探られるのも宿命の様なものだ。
だけど、対象に気付かれるのは未熟なのか、わざとなのかどちらなのだろう。と思うが考えても仕方が無いので、今の私はその人にどう見えているんだろうと、少しドキドキしながら門を通って家の敷地を出る。
視線は付いて来なかった。