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「モモ、悪いけれど3時間後に起こしてくれる?起こしてくれた後はまた寝て良いから」
目録をテーブルに置いた私はとりあえず今の時間を確認して控えている侍女にお願いする。このままだと彼女の睡眠時間はほとんど無いだろうからそこは後で侍女長に半休をあげるくらいは頼んでおこう。
「承知いたしました」
「私はお父さまの部屋に行って来るけれど、先に休んでくれて良いわ。いつもありがとうね」
「ご厚情痛み入ります」
ぺこりと一礼して、侍女は部屋を出て行く。
私は軽く髪を手で梳かした。結んでいた所が少しだけ引っ掛かったけれどそれもするりと直ぐに解ける。肩に付くかどうかくらいまでの長さになった髪が軽い。
ベッドの上に残されたネックレスと黒い塊を拾い上げて、私は部屋を出る。
夜も遅いとはいえ、先ほどまで晩餐をしていた家だ。父はまだ起きているだろう。
父の部屋まで歩く途中で何人かの使用人とすれ違った。私を見て、廊下の端に避けて一礼する。
数人は去り際に驚いた反応を見せていたので、恐らく髪が短くなったことは直ぐに広まるだろう。
父の部屋の前に執事がひとり居た。私の姿を見て一礼して来ると、扉をノックしてくれる。
「旦那様、お嬢様がお越しです」
「通せ」
返事が返ってきたので、扉を開けてくれた。
どうぞ、と促してくれる。
「失礼します」
私が入ると背後で静かに閉まる気配がした。
父は机で何か書類を書いていて、母はソファで何かを飲んでいたようだ。私の方を見て、驚いた声をあげる。
「女神様がいらっしゃいまして、これを私にと」
手に持っていた2つを両親と執事長に見えるようにした所で、目録も持って来るんだったと少し後悔する。
「ネックレスに付いては父に聞けと。黒いのは何か、息を吹きかけると代わりに死んでくれるらしいです」
「そうか、いらっしゃったか」
静かにそう言うと、父は執事長にメイド長を呼ぶように指示して、執事長が部屋を出て行く間に机の上を軽く整理する。
「そのネックレスは御守りだ。肌身離さず身に着けておくように」
「御守りですか」
「あぁ」
そう言って父は自分の身に着けているネックレスを引っ張り出して軽く見せてくれた。
「我が家が呪われている事は知っているな?」
「はい」
基本中の基本である。子供の頃から何度も聞かされた御伽噺のような本当にあったらしい話。
「魔女の呪いで命を落とさないように姿を偽って少年期までを過ごす。しかし、それが過ぎたからと言って狙われないわけではない」
自分のネックレスを仕舞いながら父は語る。
その先の話は初めて聞く。
「実際に悪夢を見たり、良くないことが身辺に起きたりすることもある。直接殺されることは無くなるが、という感じだな」
「なるほど」
「その御守りを身に着けていれば魔女の怨念から姿を隠してくれるらしい。女神様はアフターケアと仰ってくださっている」
「なるほど」
「流石に私ほどの年齢ともなれば必要は無いと思うが、女神様の加護を受けた者である証拠でもある。不要になるということは無かろう」
「なるほど」
話を聞きつつ頷きながらそういう事ならばと、ネックレスを身に着ける。一瞬ひんやりと冷たかったが直ぐに馴染んで違和感が無くなった。
「その黒いのに付いては知らないが」
「代わりに死んでくれるってさっき言ってたわよね?」
ネックレスの話が終わったからか、母が入って来たので私は頷いて返す。
「何か、影だって言ってました。適当に出て行って適当な所で死んでくれるらしいです」
「ほぅ」
「……使って、みますか?」
「……んむぅ」
好奇心はある。
「確かにさっさと退場しておいた方が都合は良いが」
「でもいきなり知らない子がお屋敷内をウロウロしているのも不自然よね」
「そこはまぁ、どうとでもなるだろう」
「長くても数日程度でしょうからね」
ソファと机と扉付近。それぞれで顔を見合わせてどうしようかと探り合う間に私の背後で扉がノックされる。
「旦那様、お待たせいたしました」
「入れ」
執事長が侍女長を連れて戻って来た。
侍女長の手には大きなカゴがある。
「あらあら、これはまぁ思い切りましたね」
侍女長は私を見て、驚いた声を上げながら「旦那様、奥様失礼いたします」と言ってカゴを床に置く。
中から大きな敷物を取り出して、勢いよく広げた。
「坊っちゃん、こちらへ」
「はーい」
「カペラ、少し待て」
私を呼んだ侍女長を父が止める。
父は2人に私の持っている黒い塊について、軽く説明をする。と言っても全員軽くしか知らないのでほとんどは私が伝えた通りだ。
「2人の意見を訊きたい。どう思う?」
「恐れながら申し上げますと、それを影だと言うのであれば陽が昇る前にお使いになるのが良いのでは無いかと」
「先程、呼ばれる前に侍女が数人、お嬢様の御髪について話しているのを耳にいたしました。機会としては問題ないと思われます」
「さすが早いわねー」
母が感嘆の声を上げる。父は2人を見て少しだけ考えるように目を閉じると、目を開けて私を見た。
「良いか?」
「はい」
特に異論はない。どうせ数日、もしくは数時間程度の違いでしかないのだ。
「では」
全員が見守る中、私は手のひらの上にある黒い塊にふっと息を吹きかける。
ぶわっと広がった闇が室内を満たしてから、勢いよく窓から外へ出て行った。
「なっ!?」
執事長が父を。侍女長が母を庇う。身構えていたとは言え咄嗟に動けるのは流石だと何となくのんびり思った。
窓を突き破って外へ行った、と見えたのだが、室内が正常に戻った時には何とも無かった。
執事長が窓を開けて外を見ようとしたので、全員で開いた窓から顔を出して外を見る。
窓の外、正面玄関の前の石畳に真っ黒な馬車がいた。
ヒヒヒィン!!と馬が鳴くと勢いよく走り出して、馬車なんて引いていないかのような速さで正門へと駆けて行く。真夜中なのと石畳なので物凄く音が響く。
誰もが無言で、遠ざかる馬車の音を見送った。
「……なるほど」
「……王都の門、どうするんでしょうねあれ」
王都と外の間に門があって、一応検問みたいなことをしているはずだが強引に駆け抜ける画しか想像出来ない。
それか都の何処かで消えるのか。
「怪我人と破壊さえ無ければ、事情説明で大丈夫かしら……?」
「陛下には明朝、登城した時にお伝えするとしよう」
「まぁ、女神様の御厚意なのですから、恐らく悪いようにはならないでしょう」
「そうだな」
「そうね」
あれを追い掛けるのは不可能だ。発動しちゃったものはどうしようもないので、それぞれが希望も込めて頷いて室内に顔を戻す。
その後は、侍女長に私の髪をキレイに整えて貰って、モモの半休をお願いして部屋に戻った。
夢の中で馬車を引いた馬が峠を攻めている姿をみたような気がしたけれど、起きた瞬間に無事に出たんだなと思っただけで直ぐに忘れた。