6・苦悩を共有したら心が繋がった気がした
夫はそれから、少しだけ変わった。
家事や育児について、何かと文句をつけてくるのは減った。
子どもとも1日5~10分は接触がある。
今までに比べたらだいぶマシ。
会話らしい会話がないのに文句だけは言ってくるって、ホント今までなんだったんだ。
それでもゲーム三昧は変わらず。
「俺は仕事してるから他の事はしない」を貫いていた。
まあ、こういう生活がこの人の望みなんだと思う。
家族としての時間や、子どもの成長、暖かな家庭。
そんなもの夫にとっては無価値なのだろう。
自分がご機嫌でいられれば満足で、自分がご機嫌なら周囲のことなど目に入らない。
妻子と心が通わなくても。
オンラインゲームに没頭していられる今のこの状態こそが「夫にとっての『円満な家庭』」なのかもしれない。
★夫のことは誰にも言えない
夫の事は、ずっと誰にも言えなかった。
私の親に言えば問題になって収拾がつかなくなるし、かといって友人に話せる内容でもない。
夫のあまりの別人ぶりに、自分自身が処理しきれていない部分もあった。
もしかしたら前の夫に戻ってくれるのではないか、もう少し子どもに関心を持ってくれれば私たちはやり直せるのではないか、そんな期待もあった。
でも私たち夫婦は離れてゆくばかり。
心は悲しさと怒りでぐちゃぐちゃになっていく。
自分が口を開けば、感情が入ってついつい夫を悪く言ってしまうだろう。
それはしたくない。
誰のことであっても、悪口は言うものではないと思っているから。
だから誰にも言えなかった。
乳飲み子を抱え、人と関わることから遠ざかった環境のなかで、私は夫に背を向けられていた。
だからきっと。
自分を理解してくれる存在に飢えていた。
本当は誰かに相談したかった。どうすれば良い?って。
だけど。
相談するなら状況を話さなければならないよね。
どう伝えたらいいの?
感情は省いて事実だけ?
私の視点で話した時点で、感情のフィルターがかかっちゃってない?
この話を聞いて、夫が変に思われない事ってあるのかな?
事実だけ上手に伝えても。
悪く言いたくなくても、悪く思われちゃいそう。
悪口は人の心を傷つける。
言ったことはそのうち本人の耳にも入るし、関係を壊してしまう。
悪口は巡り巡って、結局のところ。
自分もまわりも傷つけてしまうものだ。
なので、たとえ夫に失望していても悪く言うべきではないと思っている。
それに自分だって完璧ではないし、夫に感謝するべき部分はあるのだから。
だから・・・難しい。
結局のところ、誰にも相談できないなぁ…。ってのが結論だった。
聞かせて気持ちの良い話ではないし。
この整理しきれない気持ちと夫の問題は、自分1人で処理しなければならないと思った。
幸せな夫婦、幸せな家庭、それってどれくらい現実に存在しているんだろう。
みんなこんな思いを抱えて夫婦やってるのかな。
★もしかして言ってもいいの?と思った日
子どもと2人きり、社会と切り離された環境のなかで過ごす私にとって。
ママ友というのはありがたい存在だった。
久しぶりに味わう、人との楽しい会話。
有益な情報交換。
(あ、私、人間してる。)
そう思った。
ママ友との交流は、カラカラの大地に水をこぼすような。
死にかけた人間が息をふき返すような。
そんな出来事だった。
家庭に希望を見いだせなかった私にとって、ママ友との付き合いはかけがえのないものになっていった。
ママ友とのお付き合いは純粋に楽しいものだった。
話術も巧みだし、話題が豊富。
情報量もすばらしい。
支援センターにちょこちょこ通っていたら、徐々にママ友も増えていった。
そのなかでも一番接点が多く親しくなったのは、ご存知の通り「ご近所ママさん」だった。
関係が深まるごとに、プライベートな話題も増えていく。
そこで私はある事に気付く。
子育ての悩みは、私たちママ友の共通の話題。
それは納得でよくわかる。
でもそれと並行して、夫に関する悩みや、姑、職場とテーマが増えてゆく。
「子ども関係の悩み」から、悩みつながりで他の悩みも話すようになるのだ。
パパさんの話やお姑さんの話も。
はじめは面白可笑しく、本心は上手にぼかしながら進んでいた。
でもいつの頃からか、だんだん内容がヘビーになっていく。
なかなかプライベートな話もあって、私それ聞いてしまってもいいのかなと思うこともあった。
・・・あれ?もしかして、こういうのアリなの??
★相談なんだけど、悩んでるんだけど
この「相談なんだけど」「悩んでるんだけど」という言葉は、ある意味魔法だ。
この言葉がついていると、ちょっと内容がひどくてもドン引きしないで聞ける。
相手が友人だと思えば、むしろ親身になってしまい助けたいとさえ思う。
だから一緒に解決策を考えてみたり、「つらかったね」「きついよね」と気持ちを共有して、なぐさめようとする。
そうすると今まで以上に心が繋がった気がして、仲間意識が増してゆくのだ。
夫の悪口は言わないと決めていたけど、相談なら良いのかも?
この人達になら、話して問題ないのかも?
私は次第にそう思うようになった。
それに、自分だけずっと聞き役というわけにもいかなかった。
だって私たちは仲間だから。
私は。
うちの夫はこんな風だよ、というのを面白い感じに加工して軽めに話していた。
でも本当は私も。
皆のように夫の事をぶちまけて相談したいと思っていた。
もうどうしていいか分からなかったから。
いいのかな、大丈夫かなと思いながら、小出しにして話してゆく。
でもなかなか、これだという解決策はみつからない。
結局、受け止め方を変えるとか、そんなもんだと思うとか、いないものだと思おうとか。
まぁそうなるよね、という結論。
ただ。
人に話して「救われたな」と思ったのは、共感してもらえたこと。
私の話を聞いてくれた。
私の話に理解を示してくれた。
それが本当に大きかった。
夫の事を悪く言ってしまったように思って、後味が悪いときもあった。
夫の評判を悪くしてしまったのでは、と話の内容を振り返ることもあった。
でもね、話したら少しスッキリしちゃってたのも事実。
あんな夫のこと、少しくらい悪く言ってもいいでしょ、って思ったのも事実。
夫の事、喋ったって本人にばれても別に構わないって思ったのも事実。
自分の夫よりも、ママ友とのほうが心が繋がっている。
私は純粋にそう感じていた。
★嫌悪感を抱いたとき
三津屋さんは、そろそろ第2子出産のために実家へ帰るそうだ。
前回は3ヶ月だったけど、今回は1ヶ月で戻ると言っていた。
この、実家へ戻るという部分でお姑さんともめたらしい。
桃亜ちゃんもまだ小さいし、近くに住んでいるのだからこちらで産むのはどうかとか、桃亜ちゃんをお姑さんのところに預けていけば、とか。
そんな内容で。
いろいろ協議した結果、桃亜ちゃんを連れて1カ月の里帰りになったわけだが、三津屋さんにしてみたら話し合いになったのが負担だったらしい。
お姑さんとは、子育ての方針で意見が食い違うところも多いそうだ。
たまに桃亜ちゃんを預けたりしてお世話になってはいるものの、口を出してほしくないと三津屋さんは言っていた。
「うまく断るのが難しいの。遠まわしに言っても伝わらなくって…。」
関係を壊したくないからこそ遠まわしなのだが、はっきり言わねば伝わらないところがストレスらしい。
そこのところをパパさんが上手く汲み取って、嫁姑間をとりなしてくれればいいのだけど、パパさんは知らんぷり。
だから結局「生意気な嫁って思われてる」と三津屋さんは嘆いていた。
お姑さんにしてみたら善意だし、よかれと思って言ってくれている。
でも自分の意向もあるから、なんでも言う通りにはできない。
里帰りの話し合いの時、お姑さんと少し険悪になってしまったそうだ。
そんな話の後だったか。
三津屋家のパパさんを見かけた。
(ああ、三津屋家のパパさんか・・・。)
「あー、あの人かぁ。」とか、「あー、会っちゃった。」とかそんな気分になった自分に驚いた。
話を聞いて相談にのっていただけのはずなのに。
気が付けば(頼りないパパさんだなぁ)と軽い嫌悪感を抱いていた。
私は違和感を感じた。
こういうのは、なんか違う。
これってさ、これってやっぱり…。
あんまり良い事じゃないんじゃない…?