10・傷つけて突き落すだけなら離婚して
今日も三津屋さんと堀内さんは。
私に背中を向けたまま楽しそうにお喋りしている。
最近は挨拶しか返ってこない。
話しかけると聞こえないふりをする。
相槌をうつと、入ってこないでと言わんばかりに背を向ける。
仕方がないので。
ママ友とは少し離れて子どもたちの様子を見ている。
すると今度は口元を隠して。
私ををチラチラみながら、ママ友2人は声のボリュームを落とす。
(私に聞こえないようにコソコソ話か。)
彼女達は「なんであの人ここにいるの?迷惑なんだけど!」を。
体で、態度で、表現している。
気のせい。
と思いたいけど…。
悪口、言われてるんだろうなぁ。
正直いって、落ち込んだ。
そしてこの、ママ友関係が怖くなった。
これまで仲良く付き合ってきたのに。
心の中には「なんで?」「どうして?」が渦巻き、緊張と恐怖で口の中が乾いて乾いて仕方がなかった。
★夫も気付いた異様な雰囲気
あれは夕方16時頃。
私はひらりと一緒に外にいた。
もちろん、三津屋さんと堀内さんには無視されたままだ。
最近は外で会う回数を減らしている。
でも外で声がするとひらりがでたがるので。
その日は無視されながらも、三津屋さん堀内さんと一緒にいた。
すると珍しく、こんな早い時間に車を運転して夫が帰ってきた。
出先から直接帰っていいと言われて、早く帰ってこれたらしい。
夫はしばらく車内でごそごそと荷物をまとめていた。
そして車から降りると、見事な対人用スマイルを浮かべ、三津屋さんと堀内さんに挨拶をした。
(このタイミングでなら、早めに切り上げて家に入ってもおかしくないな。)
私はそう思ってひらりを抱き上げる。
「ひらり、パパ帰ってきたから、お家に帰ろう。」
私も三津屋さんと堀内さんに挨拶して、家族3人で家に入った。
家に戻って一息つくと、夫が言った。
「お前、ご近所さんと何かあった?無視されてるようにみえたぞ。ママさんたちの、ひらりに対する様子もおかしかった。」
「あ…うん。最近、無視されてる。」
あんな数分の間に、普段をよく知らない夫でも様子がおかしいって思うんだ。
私が無視されてるって、見てわかるものなんだな。
…とすると、この無視はやっぱり。
私の気のせいじゃなくて。
かなり露骨にやられてるってことか。
私のことには興味がなく我関せずの夫が、珍しく事情を聞きたがった。
なので。
これまでの経緯をかいつまんで説明する。
よく考えてみると。
こんな状況になるまで、私は夫に何も言ってなかった。
まぁ、言えなかったんだけど。
だってゲームに夢中でさ。
話しかけると迷惑がられるから。
そんな夫に自分の話を聞いてもらおうなんて。
今までこれっぽっちも思いつかなかった。
そして…。
これまでの経緯を聞いた夫が私に放った第一声はこれ。
「へーえ。まあ、あれだな。無視されてんのはお前の性格が悪いからだろ。」
えっ…!?
そう、な、の?
私に問題があって無視されてるの?
何度考えても分からなかった「こうなった理由」が、夫にはわかるんだ。
もっと早くに相談しておけばよかった。
どこが足りなかったのか教えてほしい。
そう思って夫から詳しく意見を聞こうとした。
「ご近所さんがどう思ってるかって話じゃないんだよ。お前はさぁ、生意気なの。いろいろうるさいの。だから俺も普段からむかついてる。嫌われて当然だよ。」
こうも言った。
「無視されて丁度良かったじゃん。この機会に心を入れ替えて、まともな人間になれよ。」
ええと。
要約すると「私が『むかつく人間』だから無視されて当然」ということかな?
心遣いが足りなかったとか、配慮が足りなかったとか、大人としてどうこう、とかじゃなくて、人間としてそもそもダメってこと?
★落ち込んでたら死んでしまう
この時の私のメンタルは最低だった。
ここ数日はかなり落ち込んで、食欲もなく、ほとんど眠れなかった。
心が通っていたはずの、親密だったママ友と。
この先どうなってしまうのかという不安。
無視されているという恐怖と孤独。
ずっと心がざわざわして、落ち着かなかった。
何度考えても、理由がわからない。
ストレスと緊張でおかしくなりそうだった。
そんなドン底で聞いた夫の言葉。
悲しかったし。
ショックだったし。
心が引き裂かれそうだった。
夫の言葉は無責任で残酷だと感じた。
今にも涙がこぼれそうだった。
でも。
その後にもっと強い別の気持ちが浮かんできた。
それは・・・「怒り」だ。
夫よ、困って弱っている妻に向けるべき感情はそれか?
夫よ、そんな事が言えるほどあなたは素晴らしいのか?
夫よ、批判するばかりで助け合わない夫婦がお望みか?
このまま落ち込んでいたら、私死んじゃう。
夫とご近所さんに心を壊されて死んでしまう。
私はひらりの母。
こんな所で。
こんな事で。
死んでたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
強い強い怒りが、私を突き上げて生かした。
「・・・。まともな人間になれ?それ、あなたが言う?」
毒々しい笑みを浮かべて、私は顔をあげた。
「あなたは私の夫だけど、困ってる時や弱っている時は絶対に助けないよね。むしろ突き落としてくれるよね。」
出産した時もそうだ。
体もがたがた、眠れなくてくたくた、忙しくてへろへろ。
そんな私に「俺は仕事、お前はそれ以外全部」と言って突き放し、ゲームに逃げた。
暴力をふるったのもそうだ。
暴力の件でお義母さんと電話した後も。
夫は本当に反省した様子がなかった。
私が少しでも何か注意すれば、暴力をふるう素振りをみせる。
私を黙らせるために腕を振り上げて。
拳を握って勢いよく私の顔めがけて動かす。
それを顔に当たる直前で寸止めして。
これ以上俺に関わるなら殴るぞ。
この拳をお見舞いしてやろうか。
痛い思いさせてやる。
どうだ怖いだろう。
そういう姿勢にでる。
そうやって逃げる。
今だって。
私がご近所さんとのトラブルを抱えて、困っていても。
助けるどころか、更なるドン底に突き落として自分の力を誇示しようとする。
夫はそんなことができる人。
・・・もう、ここまでだな。
夫との関係と、この家庭を維持するために。
ずっと言わずにきたことをぶちまけた。
夫はもともと口数が少ないタイプ。
私にまくしたてられたら、なかなか言い返せない。
だから暴力がでる。
また拳の寸止めをしてきた。
でも私、今日はひかない。
「気に入らないなら殴ればいい!警察に電話してやる!」
私は携帯を手に握りしめて抵抗した。
社会的立場を重んじる夫は。
暴力をふるうメリットとデメリットを計算したのだろう。
大人しくなった。
その代わりこう言った。
「お前!誰のおかげで生活できてると思ってるんだ!」
何かと思えば。
伝家の宝刀とでも言わんばかりの、どうだ!という顔。
おいおいおい、そんなの「あなた」と「わたし」と「ひらり」、みんなのおかげでしょう!!
★良い子はマネしないでください
あー。
お腹がくすぐったい。
あまりの幼稚な物言いに、笑いがこみあげてくる。
「・・・あ、あは。あははは。」
凄い事を言ったはずなのに笑われてしまった夫は。
珍妙で気まずそうな顔をしている。
「お前なんか、どうせ昼寝ばっかりして毎日夏休みじゃねーか!」
夫が次の一手を繰り出した。
なるほどね。
そう思ってたわけか。
この人は一緒に子育てしてこなかったから。
だからなーんにも知らないんだね。
なんの苦労も知らないから、そんな事が言えるのね。
放っておいたら子どもが勝手に大きくなるとでも?
毎日自動で「風呂・メシ・寝る」ができたとでも?
何もしないで健康な生活がおくれてきたとでも?
夫のお花畑ぶりにサプラーイズ!
ふとテーブルの上のお茶が目に入る。
一息ついたときに飲んでいたお茶だ。
にっこりと笑みを浮かべながら、私はそのお茶を口に含む。
飲み込まない。
鼻から少し息を吸い、唇を突き出す。
「ぶぶぶぶっっーーーーーーー!」
私の口から勢いよく、霧状にしたお茶が吹き出される。
夫の顔へ、キレイにお茶を吹きかけて差し上げた。
う~ん、我ながらエクセレント!!
(※危険です。良い子はマネしないでください)
夫はあっけにとられて。
ぽか~んとしている。
さて。
正気に戻られる前にやることがある。
この隙にと、ある書類を棚から取り出す。
前から準備してたアレ。
それを突きつけたら。
お茶をポタポタさせたまま、夫はまた更に一層ぽか~んとした。
数カ月前。
私はお役所から「離婚届」をもらってきていた。
その場で書けるところは書いて、不明な点は役所の人に聞きながら欄を埋めた。
あとは夫のサインと、証人のところだけ。
ティッシュボックスとペンを夫に差し出す。
「今すぐ離婚してください。サインしてもらえる?」
「・・・・・。」
夫は顔をティッシュで拭きながら、離婚届と私の顔を交互に見る。
沈黙。沈黙。沈黙。
おーい、どうした??
「離婚しよ。サインお願い。もちろんひらりは私が連れていく。」
「・・・・り、離婚はしたくない。ほかの方法にして欲しい。」
え?
まじで?
そうなの??
離婚する気がないのに、妻にそんな態度とってたんだ?
意味わかんない。
「そう?じゃあ、あなた今から会社辞めてきて。私が稼いでくるから。あなたが私と交代して、家事も育児もやってね。会社に行く以外、他の事は全部やってね。それならいいよ。」
そう。
会社に行って稼いでくる。
それだけで、あなたのように暮らしていいなら。
私もそれやらせてもらいたい。
稼ぐのって大変、それは分かってる。
私の実家はお金がなかった。
だから私は高校生の頃からアルバイトだなんだって働き続けてきた。
青春なんてなかったから、辛さも大変さも身に染みてる。
でもね。
もう覚悟はできてるんだ。
幸い前の職場から、復帰の打診が来てる。
離婚して母子家庭になって働くつもりなら。
今から夫に替わって働いたって同じこと、大差ない。
夫が家庭に入ってくれるなら、むしろそのほうが助かるかも。
我ながらいい提案だ。
「本当に…。す、すみませんでした。俺に考える時間をください。」
「えー!サインしてくれないの??」
それだけは勘弁してくださいと。
夫はうなだれてふらふらしながら自室へ消えた。