15話 凡人の選択
晩餐が終わり、テーブルの上が片付けられたところで、改めて王様から話しかけられた。
「さて、食事も済んだことだ。ハセガワよ、お主の決断を聞きたい。今日1日過ごしてみて、城の生活はどうであった?」
遂に、この時がきた。緊張で手が少し震える。ここはしっかり答えなきゃいけないところだ。
「はい、本当に素晴らしい経験をさせていただきました。夢に描いたような1日で、まだ夢心地がしています。こんな日が毎日続けば、とても幸せな人生だろうと思います」
「そうか、なら……!」
俺の言葉に、王様は目を輝かせた。対して王妃様は、穏やかに俺の方を見ている。
「ですが、この世界に残れば、家族や友人が心配すると思う……あ、すみません、思います。なので、俺は元の世界に帰ると決めました」
俺のたどたどしい言葉に、王様は酷く残念そうな顔をした。
(オイ、本当にいいのかよ! 王子として生きていけるチャンスが目の前に転がってるんだぞ! モブ顔のお前でも女にモテるぞ! 勿体ねぇ!)
(俺はもう決めたんだ。頼むから黙っててくれ)
(マジかよコイツ……童貞なのは無欲が原因だったのか……?)
(クソ失礼な推測を垂れ流すのも止めろ)
「そうか……そう、か……」
王様からは悲しいですオーラが全開で出ている。
別に悪いことしたわけじゃないけど、なんだか罪悪感が半端ないな……俺も大切な人が死んでしまったとして、目の前にそっくりな人が現れたら、離れがたいと思うのだろうか。
「王、あまり露骨に悲しい顔をするものではありませんよ。しっかり考えた上で、答えを出してくれたハセガワ様に失礼ではないですか」
そこで、王妃様が変わらず穏やかな顔でそう言ってくれた。
「そう、だな。向こうには君を心配する人たちがいるだろう。そして君も、その人たちのことが心配なのだな。……わがままを言ってすまない」
「あ、いえ、ここまでしてもらったのに、こちらこそすみません」
「気にすることありませんよ。今日1日私たちに付き合ってくださって、感謝しています」
そう話しながら、一貫して穏やかな表情をしていた王妃様だが、徐々に悲しげに目を伏せてしまった。うう……気まずい。非常に気まずい。
でも帰りたいのは事実だ。ここでの生活と元の世界の生活を天秤にかければ、こっちのほうが順風満帆で何不自由なく生活できるだろう。
だけど、やっぱり家族や友人が大切なのだ。必死こいて勉強して、大学に受かった努力が水の泡になるのも惜しい。
それに、丸一日豪華な生活をしてみて、やはり俺には合わないのだと痛感した。少しの間ならこの贅沢な生活もいいかもしれない。だが、俺はずっと暮らすなら狭いボロアパートで家族揃って飯を囲んで、暇な時はアニメを見たりゲームをしたり、友人とバカやったりする生活が合っている。
ああ悲しいかな、庶民にはこの生活は憧れのままの方が良い、俺は今日の1日を振り返ってそう思った。
そして、なによりも、提案を受け入れられない大きな理由がある。もしこれからこの国で王子として生きていくとしたら、ハルフィーさんだけでなく王様や王妃様、城のみんなが俺にノエル王子の面影を見るだろう。
俺が、ノエル王子がとらないような行動や言動をしてしまった時、やはり長谷川柊弥という人間はノエル王子ではない、と思われてしまう。ノエル王子は死んだのだと実感させてしまう。つまりは、俺がここにいるだけで、周りを深く悲しませてしまうのではないだろうか。
ハルフィーさんの泣き顔が脳裏に過ぎる。やはり俺には荷が重すぎるのだ。どれだけ容姿が似ていようと、今までの思い出や信頼関係、ノエル王子がノエル王子たらしめる内面は、俺には無い。俺に、代わりは務まらない。
(あーあ、かーわいそ! 王様と王妃様、ホーントかわいそ!)
(うるさいな、俺にこの世界に残って欲しいのかよ。……もしかして俺がいなくなるのが寂しいのか?)
(ゲェッ、それは無い)
人が真面目に考えてるって時に、なんなんだコイツは。王様や王妃様、ハルフィーさんと別れるのは寂しいが、このオッサンとオサラバできるのだけは心底嬉しい。ホントこいつさえいなければ最高に楽しい異世界体験だったのに。
そういえば、オッサンのことを今王様に告げるべきだろうか。勝手に封印を解いて黙ったまま帰るのは、いけない気がする。
「お、」
(俺のこと話したら今ここで全裸になる魔法かけるぞ)
うさま、と続く言葉はオッサンの脅迫により出てこなかった。なんだ全裸になる魔法って。
「お」と言ったまま固まった俺を不審に思ったのか、心配そうに王様が声をかけてくる。
「なんだ、どうしたハセガワ」
「えーっと、そのですね!」
冷や汗ダラダラで俺は返事をした。とにかくオッサンの件は保留だ。公然わいせつ罪で捕まりたくない。何か別の話題に変えようと、頭をフル回転させた。
そうだ、俺はこの世界に残るのは無理だが、いい代案がある。
「あの、ずっとは無理ですが、たまにならまた召喚してもらって大丈夫です」
この提案に少しは沈んだ二人の顔が晴れるかと思ったが、そんなことはなかった。あれ、俺なんかまずいことを言ってしまっただろうか。さすがに都合が良すぎたかな。
「申し出は非常に嬉しい。だが、今の召喚魔法の技術では、1人の人間を召喚できるのは1回までなのだ。もしこのまま君を元の世界に返してしまうと、もう2度とここへ来てもらうことはできなくなってしまう」
「えっ。じゃあ元の世界に帰ると、もう会えなくなってしまうんですね……」
召喚にも色々決まりがあるようだ。やはり簡単にはいかないな。
他になにかいい案はないかと悩みに悩んでいると、王様と王妃様の笑う声が聞こえた。
「ああ、すまない。悩んでいる顔も息子そっくりでな……私たちは君にじゅうぶんすぎるぐらい幸せな時間をいただいた。君がもし元の世界で、あまり良い生活ができていないのなら、と思ったのだが杞憂だったようだ。帰りたいと思えるほど、元の世界で幸せに暮らしていることに安心したよ。必ず君を元の世界に帰すことを約束しよう」
そう言って、2人は優しく微笑んでくれた。なんて良い人たちなんだ……
これだけ贅沢させてもらって、断ってしまったわけだから、贅沢した分は働いてから帰れ! とか言われるんじゃないかと思ったけど全然そんなことはなかった。どうしよう、元の世界に帰る決心が少し揺らぎそうだ。
「だが、帰ると2度と会えなくなってしまうのも事実。そこでだ」
王様は真っ直ぐ俺の目を見て言った。
「あと1日、ここにいてもらえないだろうか。もちろん明日の夕刻には君を元の世界に帰すことを約束する」
思ってもみない提案だった。それなら家族のみんなにあまり心配をかけないだろうし、どうせ明日から春休みだしな。父さんと母さんには連絡もせず無断外泊したことを怒られるだろうが、あと1日贅沢できるなら安いもんだ。
それに、ハルフィーさんを泣かせてしまったまま元の世界に帰るのは非常に心残りだったので、もう1日伸ばしてもらえて有り難いと思った。明日、できれば彼女とゆっくり話す時間が欲しい。
「はい! 全然構いません。ご提案、喜んでお引き受けいたします!」
多分俺は生きてきて五本の指に入るぐらいの満面の笑みで答えた。俺の返事が本当に嬉しいようで、王様と王妃様は微笑んでくれた。
そうして、俺はあと1日、庶民には手の届かない煌びやかな生活を堪能できることとなったのだ。
------------
豪華な客間の寝室に案内された俺は、上等な寝間着に着替えてベッドの上でゴロゴロしていた。
「うおおおおおおおっ」
(なにしてんだお前)
「いや、もう2度とこんな規格外のベッドで寝ることはないと思ったら転がるしかないと思って」
今この部屋には俺しかいないので、普通に声を出してオッサンと話している。誰かに見られたら気が触れたと思われるかもしれないが、まぁ大丈夫だろう。オッサンも近くに人はいないと言っていた。
存分に転がったので、俺はベッドに腰掛けた。
(今も昔も、ニンゲンはよく理解できない行動をする)
お前は性欲しか頭にないから理解できないんだろ、と思ったが、またうるさくなりそうなので黙る。
「なぁ、オッサン。もう外に出てこれるんじゃないのか。まだ魔力ってやつがもどってないの?」
(あ~そうだな、試しに出てみるか)
オッサンはそう言うと、俺の胸からフワリと出てきた。あれ? なんか見た目が変わっている。
「……おい、なんだそれ。なんでオッサンが羽生やしてんだ」
「元々生えてるんだよ、あの空間じゃだいぶ力を押さえつけられてたしな。まっ、俺の本来の姿はこんなもんじゃねーぞ」
スゲーかっこいいからな! とは言うが、俺の中でコイツのイメージは居酒屋で飲んだくれて女性店員さんにセクハラしてるオッサンなんだが。
あぁそう、と俺は興味なさげに流したが、オッサンは全く気にした様子もなく喋りかけてくる。
「これで俺は晴れて自由の身だが、念のためにもう一晩お前の中にいるぞ」
「なんでだよ、どっかいけよ」
「まだ大衆浴場に連れていってもらってないからな。明日絶対行くぞ。あと、お前が俺を外に出した対価も、俺は払ってないだろ」
「対価?」
大衆浴場はともかく、そんなものあっただろうか。思い当たる節がない。疑問符を浮かべた顔をする俺に、オッサンは心底呆れていた。
「お前を大魔術師にしてやるって言っただろうが。もう忘れたのか、このボンクラ」
そういえばそんなことを言っていたが、今日一日慌ただしくてすっかり忘れていた。しかしそんな口約束、よく律儀に叶えようとしてくれているな。俺は意外に思った。
「お前のことだから、そんな約束は反故にすると思ってたぞ」
「そうはいかねぇよ。人間とは違って、妖精や精霊、魔物なんかと言葉で交わした約束はかなり重要な意味を持ってるんだぜ。見えない契約で縛られるからよ。お前もこの世界にいる間は気をつけた方がいい」
ニンゲンを誑かそうとするヤツばっかりだからな! と言われて、なるほど、とオッサンを睨む。こいつと出会う前に知りたかった。
「で、明日元の世界に帰るなら、それまでにお前を大魔術師にしなきゃならねぇ。約束を反故にしたら俺がしっぺ返し食らうからよ」
「いや、こんな短期間じゃもう無理だろ。大人しくしっぺ返しとやらを食らっとけ」
「ハッ! この大妖精サマに不可能は無ぇ! 今日お前の中にいて、魔術回路をどれだけ強化してやったと思ってる!」
あとちょっと仕上げがな~、とブツブツ話すオッサンに、「は?」と言葉が漏れる。非常に嫌な予感がした。そういえば魔術師も魔術回路がどーのこーの言ってた気がする。
「ずーっと俺の中にいると思ったら、なに勝手に人の体いじくり回してるんだよ! もう俺の体に入ってくんな!」
「残念でした~もうお前の体は手遅れだ、ほぼ完璧に強化が終わってる。あとは今夜中に仕上げれば完成だな。ちゃんと知識さえ入れればスゲー魔法が出せるぞ」
よっ! 大魔術師! と調子のいいことをオッサンは言っているが、とんでもないことをされたような気がして焦燥感が湧いた。これ元の世界に戻っても大丈夫だろうか。変な副作用とか出たりしないだろうな。
頭を抱える俺のデコに、オッサンが突撃してくる。デコピンぐらい痛くて俺は「痛っ」と声が出た。
「明日でこの世界とはお別れだ。どうせなら魔法ってやつを楽しんで帰れ」
オッサンはそう言って、俺の中に入っていった。途端に、急激な眠気に襲われて視界が暗くなる。
起きたら魔法が自由に使えるようになっているのだろうか。オッサンのおかげだと思うと複雑だが、ほんの少しだけ楽しみだ。
この時俺は、異世界に来たことを一生恨み、呪い、後悔に苛まれることになるとは夢にも思わず、深い眠りへ落ちていった。




