10話 逃走劇
勢いのまま魔法を使ったが、改めてこの状況を振り返り、俺は冷や汗が出た。なんとかなったけど、どう考えてもこれは完全に目立ちすぎだろう。見下ろすと沢山のギャラリーがこちらを見上げていた。
「すげーぞ兄ちゃん! ありがとな!」
「オニーサン、とてもかっこよかったわよ~!」
「わ~! 浮いてる~! すご~い!」
「ウチの店も壊されるところでした! ありがとうございます!」
さっきまで悲鳴が響いていたとは思えないほど、辺りは楽しそうな声で賑やかになっていた。こんなに沢山の人に称賛されるなんて初めての経験だった俺は、なんだか照れるやら恥ずかしいやらの気持ちでいっぱいになる。
(ま、ぜーんぶ俺様のおかげだけどな! 人の褌で相撲を取ったってことを肝に銘じとけよハセガワ!)
(はいはい、アリガトウゴザイマス)
オッサンが言ってるのは正論だが、素直に認めるのは癪なので適当に返事をする。もっと敬え! とうるさいが無視することにした。
抱えていた女の子がギュッと服を引いたので、目線を女の子に向ける。
「おにいちゃん、ありがとう。私ね、かくれんぼしてたの」
「そっか、次隠れる場所は気をつけないとな」
「うん!」
女の子が荷台に乗ってたのは、そういうことだったのか。無事泣き止んだ女の子は、ニコニコ笑っている。この子が助かって本当によかった。
しかし、この状況をどうするか……と考えていると、頭にちょっとした痛みが走る。上から何かが落ちてきたようで、手に取るとそれは元の世界でいう勾玉のような綺麗な石だった。見上げると、獣に跨った少女がこちらに向かって何か言っている。
「おにーさん、おにいさーん! やっと気付いてくれた! そろそろ降ろしてー! あとお礼させてよー!」
なんとも呑気な声でこちらに話しかけてくる少女は、興味深げにこちらを見下ろしていた。逆光で顔はよく見えないが、特に怪我をしたわけでもなさそうなので安心する。
「ああ、ごめん! 今降ろすから!」
確かにずっと宙に浮いたままでいるわけにはいかない。そして俺も顔がバレるわけにはいかない。
ひとつ、うまくいくかは分からないが、案は出た。
(オッサン、もう一度魔法を使わせてくれ)
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俺と女の子、そして獣と獣に跨った少女はゆっくりと地上へ降りた。抱えていた女の子を下ろすと、女の子は母親と思しき女性へ駆けていったので俺はホッとする。
「ねぇ、お兄さん! 格好からして冒険者だと思うんだけど、どこから来たの?」
「あとで俺の店に来な! お礼に、好きなだけ飯食わせてやるよ!」
「名前は? もしかして、有名な魔術師さん?」
隙ができた瞬間、ワッと人集りが俺の周りにできた。
ちなみに獣と少女の周りにも人集りができている。「弁償しろ!」「許さん!」など、俺とは真逆の言葉をかけられているようだ。うん、これだけ派手に暴れたのだから仕方ない。頑張れ、と心の中で合掌した。
そして、俺はフードを深く被りなおし、絶対に顔が見えないよう構える。
「すみません、先を急いでいるので!」
大きな声でそう言いながら人集りを掻き分けて、噴水の前で呆然としているハルフィーさんの元へ向かう。
「トウヤ様……あの、これは……」
「今は早く、ここから逃げましょう」
これは逃げる為に必要なことだから、と何度も心の中で復唱する。そう、決して邪な気持ちで実行するのではない。
やれ、俺! 根性見せろ、俺!
「し、失礼します!」
そう言って俺はハルフィーさんを抱えた。俗に言うお姫様抱っこと呼ばれるものだ。
「え、えっ!?」
驚くハルフィーさんは予想以上に軽かった。抱えている背中と膝裏の柔らかい感触、温かい体温、甘いような良い香り、全てが思考を乱してくるが、ここで集中できなきゃ逃げられない。
(行くぞオッサン!)
(今度、絶対大衆浴場に連れてけよ! 混浴に入れ! 絶対だからな!)
(わかった、わかったから!)
ギャラリーの一部から「見せつけてくれるなぁ!」とか「熱いね~」とか、俺たちを茶化す声が聞こえる。柄にもないことを仕出かしてると自覚しているので、すごく恥ずかしい。顔が熱いから、多分耳まで真っ赤だと思う。フードを被っててよかった。
ハルフィーさんも、俺なんかに抱えられて恥ずかしいからだろう、顔が赤い。本当にすみません、少しの間我慢して下さい……
そして俺は「待ってくれ!」「少しでもお礼をさせてくれ!」という声を振り切るように駆け出した。
1、2、3、で魔法陣を展開させながら踏み込み、高く飛ぶ。途中、俺とハルフィーさんが透明になるイメージをしながら屋根へと飛び移っていく。すり抜けていく風が、少しでも顔の熱を冷ましてくれないかと心の片隅で思った。
「おい、消えた! 消えたぞ! すげぇ、透過魔法を使えるなんて、かなりの魔術師なんじゃないか?」
「え~……顔すら見れなかったよ~」
「ねぇ、誰かさっきの人について知らない?」
残されたギャラリーは、正体不明の冒険者が消えていった方角を見ながら、口々に残念そうな声をあげた。
「絶対、絶対恩返しする……! きっとあの人は、私の運命の人に違いない……!」
そして、獣に跨った少女は固い決意を表明したのだった。
「その前にウチの店を修繕してくれよな!」
「あと弁償もしろよ!」
「ご、ごめんなさい~!」
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「本当に、すみませんでした」
人気の無い広大な草原の木の下で、俺は深々と頭を下げていた。ここは町から少し離れた所にある、家畜を飼っている施設……いわゆる牧場だ。逃げる途中、人がいないところをハルフィーさんに聞いて、ここまで来れた。
「いえ、顔を上げてくださいトウヤ様。謝るべきなのは私です。私が対処しなければならないところをトウヤ様にお力添えいただき……危険に晒してしまい、誠に申し訳ございませんでした」
ハルフィーさんがとても沈んだ顔で俺に謝ってくれた。そんな顔をさせたいがためにしたことではないので、俺はブンブンと顔を横に振る。
「いや、俺が勝手にしたことなので気にしないでください! ハルフィーさんを守れて本望っていうかなんていうか……」
(こんなかわいい嬢ちゃんを姫抱きして触りまくったんだから、そりゃあ本望だよな? な?)
オッサンの言葉を無視しながら、しどろもどろに答える俺に、ハルフィーさんは微笑んでくれた。
「そう言ってもらえて、嬉しいです。ありがとうございます、トウヤ様」
この笑顔を見れただけでも、魔法で何とかできてよかったと思う。
「おかげで、あの獣を細切れにせずに済みましたし」
「え?」
……今すごく怖いこと聞いた気がする。いやまさかハルフィーさんがそんなことするわけないだろう。
(なんだ、俺と嬢ちゃんは気が合うかもしれねぇな)
(お前なんかとハルフィーさんを一緒にするな)
護衛の人が、そうしたかもしれないってことだな。うん、きっとそうだ。本気で魔法が使えて良かった。血の海を見る羽目になるところだったかもしれない。
「さて、トウヤ様のお顔を民衆に見られてはいませんが、風貌は覚えられてしまったかと思いますので、これ以上町をご案内するのはリスクが伴います。今から城に戻っていただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
「あ、はい。たくさん町を案内してもらったので全然だいじょ「見つけたー!!」
俺の言葉を掻き消すように、甲高い声が辺りに響いた。声のした方へ振り向くと、さっき暴走していた獣と少女がこちらに突撃してきている。ハルフィーさんが剣に手をかけたので、俺はあの獣が細切れにされるんじゃないかと内心焦った。
しかし今回は暴走していないようで、俺たちの前で土煙を上げながら止まり、少女が獣からジャンプした。クルクルと回りながら着地した少女は、ドヤ顔でこちらを見つめてくる。なぜここが分かったのか、と疑問が湧いたが、そんなことよりも少女の顔が大問題だった。
「私はアキナ! この子は相棒のメェメ! 結婚を前提に、私とお付き合いして下さい!」
満面の笑みでそう言ってのけた少女の顔は、俺の妹にそっくりだったのだ。




