7:《暗殺者》
人知れず闇の一族の末裔が住むという村。
その村の長であるという女性ジーナに導かれた場所。
闇の王家の血を引く者にのみに残され、伝えられてきたという文献に目を通したロスは、その瞳に怒りの色を浮かべている。
「……これが、全て、真実なのか?」
文字を追い始める前よりも、さらに一層強くなった震えをこらえようともせずに、ロスはそう言った。その声の先には、彼の妹の遠い遠い子孫であろう女性ジーナの、彼の妹によく似た面差しがあった。
「真実だと、私は思っている。だが、すでに他の国にこのことを知る者はそうそういないだろうな」
「これだけの仕打ちをされるいわれが、 我が国のどこにあった?」
そう言い放ちながらも、ロスは自らの頭が次第に冴えていくことに気づいていた。
これほどの事をしてのけるのだから、昨日目にした、「アールシェピースの封印」にも納得がいく。聖王の武器で封印を施し、「聖王」か、その封印に使われた武器を全て揃えるかしない限り、解かれることのない、強力すぎる封印を施すくらい、国を一つ誠ぼすつもりの者達がしたことならば、当たり前だと言える。
殺されなかっただけ、良かったものだろう。
今更ながら、他国の人間達が闇の王国を滅ぼそうなどと考えていたのだと疑う事もしなかった自分に、 呆れてくる。
自分はなんと甘かったのだろうか、と。
「僕があの時、もっと疑っていれば、兄上やタージュやティーナは、そんなつらい目に会うことなどなかったのか?」
どうして、ツァルガがそこまでされなくてはならないのか。自分たちは、大戦の間も最前線に立ち、みなのために戦ったはずだ。兄上だって、アルだって、そしてタージュだって。
なのに、どうして。
そんな事を思い詰めれば、ロスの魔眼の紅がより一層深い色になる。
だがその怒りをぶつける相手が、いま、この世界のどこにもいないことに気づき、むなしさに胸を掴まれる。すでに、闇の王国ツァルガが事実上滅びてから、六百年近い年月が過ぎてしまっているのだから。
「今でも闇の王国の末商は、大陸の各地に散らばって生きている。最後に受けた呪いのために、故郷である北の大地に還ることもできず、また、人の前に姿を現すことも容易ではな。みな、このような森の奥に、ひっそりと隠れ里を築いて暮らしている。もうどれだけの一族が存在しているのか、私にもわからない」
部屋の中央に灯されている燭台の炎を見つめながら、それでも炎ではなく、どこか遠くを見ているような目をして、ジーナがゆるりとしたロ調で呟いた。
その言集に、ロスがぴくりと反応をする。
「そうだ。ここにも書いてあった。「民と地」に施された「呪い」とはなんなんだ?」
ジーナはまっすぐにロスの目を見つめ、自嘲気味に笑う。
「大地にかけられた呪いは、我々闇の一族の血筋がツァルガの領土であった大地に「定住」することができないという呪い。家を建て暮碁らしたとしても、二年もたたぬうちに、病に倒れたり災害にあったりして、その命を失ってしまうというものだ」
「なっ!」
怒りを通り越して呆れさえ覚えそうなロスであったが、まだジーナの言葉が続く気配を見て、ロを噤んだ。ジーナはそんなロスから数歩離れ、肩で切りそろえた美しい黒髪を右手ですいたのちに、首にかけていたネックレスを、取り外した。
動物の牙の飾りと、銀のプレートとがついたそれを、彼女は近くにあったテーブルに置き、ロスに向けて微笑んだ。潤った唇の下に、今はずしたネックレスの飾りと同じような鋭い牙が覗き、同時に黒髪がざわりとゆらめく。
「もう一つの封印は……我々「闇の民」が、こうして獣の姿に変じてしまうというもの」
その言業と同時に、ロスの目の前でジーナの姿が、一匹の漆黒の豹へと変わっていってしまう。
「今でも、闇の民はこの特殊な生態のために、大陸の中で虐げられた存在となっている。カの強いものはまだしも、カの弱いものが人間の街へと出て、たちの悪い者に捕まれば、奴隷のように売り買いされる。」
黒色の獣に変じたジーナは、ゆっくりとした歩調でロスの元へと歩み寄って、獣の姿のままでそう語ると、床に座り込んだ。
「……闇の……一族全てが……?」
かすれた声で問えば、ジーナは小さく頷く。
「そう、ツァルガの血筋の者全てが、このような獣の姿に変わる。しかも、獣の姿に変わることは、魂と肉体に多大な負荷を与えるために、一族はみな短命となり、より肉体的に劣る女児は生まれても成人するまでに命を失うことも多いため、男児とくらべて極端に数がすくない」
男性よりも女性の数が極端に少ないということが意味することを考え、ロスが口を開く。
「では、大戦後の六百年の間に、ツァルガの一族は自ずとをの数を減らしていったという事になるのか?」
と。
その時、不意に彼の背後に新たな人物の気配が訪れ、彼の発した間いの答えが、その人物の口から紡がれる。
「そう。すでにこの大陸中を探したとて、我々の一族などほんの一握り。たとえ、ツァルガに伝わる伝説の聖王「月」が現れたとしても、王国再建は夢のまた夢。一族が奮起したところで簡単につぶされ、一族がみな、王国の貴族らの奴隷になり果てて終わりでしょう」
それは、まだ若い声であった。
「ウォルシド!」
背後から聞こえた声にロスが振り向くのと同時に、黒約の姿になったジーナが鋭い声で、その名を呼んだ。そこにはやはり闇の一族の色を受け継いだ黒髪に黒い瞳の、年の頃は十七、八くらいの青年がいた。だが、名を呼ばれたはずのその青年は、声など聞こえていないという様子で、ロスのすぐ目の前まで足音を立てない歩き方でやってきて、床へと膝をついてしまっていたロスの視線にあわせるように、腰を屈める。
「へえ。貴方が、六百年前の魔眼の王子。一族がたどった悲劇もしらず、のうのうと六百年の眠りについてたわけだ」
整った顔立ちを皮肉げに歪め、獣を思わせる野性的な瞳でロスを見やって、そんな言葉を言い放った彼は、最後に「かわいそうに……」と付け加えて、姿勢を正す。
「……なっ……」
ウォルシドと呼ばれた青年が語った言葉に、思わず反発を覚え、何か言葉を返そうとしたロスであったが、それよりも先にジーナがロスとウォルシドの間に入り込み、鋭い視線を投げかけた。
「何か、言いたそうですね、母上?」
「……母? じゃあ、君はユキの……」
「そう。兄ですよ。一番うえのね?」
皮肉げにゆがめた表情はそのままに、ロスに答えるウォルシドであったが、その彼に厳しい声でジーナが言う。
「もう、ここには立ち入るなと、厳命したはずだ、ウォルシド」
「たしかに、そう言われていましたね」
「ここは一族の長とその後継以外が、そうやすやすと立ち入ってはならぬ場所だと、知っているはずだ」
親子だといいながらも、彼とジーナとの間に暗く冷たい影を感じさせる「念」を見やって、ロスは自らの左目の魔眼を手で押さえた。
目覚めてからはじめて目にしたユキは、様々な恨みや妬みにまとわりつかれながらも、不思議とそれらをはねのけるような輝きが存在していたし、目の前のジーナはそれらを払拭するほどに強い念の持ち主であった。
だからこそ、このウォルシドという青年を包む「念」の暗さと冷たさに、ロスは思わず眉を顰めずにはいられなかったのだ。しかも、それが彼自身が発しているものだとすれば、なおさらに。
「ええ、知っていますとも。今となっては、俺は長になる者でもないしね。どうします? 貴女の命令を破った俺を殺しますか?」
狂気を含む笑みを浮かべ、彼はすっとジーナの目の前へと腰を屈めた。
「殺せばいい、俺を。貴女が……いや、貴女がたが俺の「ダーク」を殺した時のように。俺も、殺せばいい」
どす黒い念が彼の周りに渦巻き、今、ジーナの身体をも包み込もうとしていた。
「やめるんだ。なぜ、親子で殺すなんて事を言い合う必要がある?」
あまりの場の空気の重さに、腕に鳥肌が立つのを感じながらロスが問えば、ジーナを射抜きそうなほどだった強い視線を、今度はロスへと向けて、ウォルシドが言う。
「貴方に、何がわかる? 六百年間の一族の苦しみをしりもしない貴方に」
と。
「……っ」
彼の言葉にロスが返すことができる言葉はなく、ロを噤む他なかった。
「ウォルシド……」
ジーナのロから、もう一度彼の名が紡がれたその時、ふと、遠くから一人の少女の声が、かすかであったが、その場に届いた。
「……ド……にぃ…………シド……ん……」
びくりと、ウォルシドの身体が震えた。
「おにいちゃん……シドお兄ちゃん、どこぉ? おにいちゃぁーん」
はっきりと聞こえるようになったその声は、ロスにも聞き覚えのある少女の声で、どうやら泣いているらしいこともわかる。きっと、泣きながら兄の姿を探しているのだろう。
すると、その声が近くなるにつれ、先ほどまでどす黒い念を生みだしていたウォルシドの様子が一変する。今まで彼の周りで渦を巻いていた念が、まるで深い霧が太陽の光で消えていくかのように、消えていったのだ。
「……なぜ?」
そう思ったのはロス自身。
先程まで見えていたものが幻だったのかと疑いたくなるほどの変化に、戸惑いを隠せずにウォルシド自身を見上げたが、彼は先程までの酷く鋭い、憎しみのこもった麦情を消し、苦しげではあったけれど、小さな笑みを浮かべ、瞳に優しい色を宿していた。
彼のロから、少女の名が……声の主の名がこぼれ落ち、彼はロスやジーナに背をむけ、歩き出す。
「なぜ、私は、一番僧いはずの妹を、一番愛しく思ってしまうんだろう?」
そんなつぶやきをその揚に残して、彼は消えていった。
「ウォルシド……」
歩いていく息子の背を見送り、ジーナが深いため息をついてから、名を呟いた。そして、傍らのロスへと視線を向ける。
「何か問いたげな表情だな?」
そう問われ、ロスはなんとか小さく頷いた。
「彼が「ダーク」と言っていたのはやはり、「王」にのみ仕える 「暗殺者」の事なんですか? 六百年近い時が過ぎた今でも、王家には「暗殺者」が存在すると?」
「貴方は「暗殺者」について、知らされているのか?」
意外そうに目を丸くして問うジーナに、ロスははっきりと頷いてみせる。
すると、彼女は獣の変でありながらも、笑ったと分かる仕草を見せて、目を細め
「貴方はよほど、闇聖王の信頼を得ていたようだな。……先ほどのシドの……ウォルシドの無礼を許してほしい。タルシュトゥルシュ王子」
「国が滅びているのだから、僕はもう王子なんかじゃありません。だからジーナ、ロスと呼んでください。それに、僕はしばらくこの村でやっかいになるだろうから」
なにしろ、知らなければいけない情報が六百年分も存在しているのだから。
そんな風に付け加えれば、 ジーナの目はさらに細くなり、
「ああ、よろしく、ロス。貴方も今日からは我が村の一員だ」
と返した。
その後、ジーナに案内されて部屋を出て、家の外へと出てみれば、白銀の髪の少女に……闇の一族の希望である 「月」となるであろう少女ユキに、しっかりと抱きつかれ、泣かれてるウォルシドの姿を見かけることになった。
「一体、どうした? また、いじめられたのか?」
先程の彼が嘘のように優しい声だった。
「大丈夫だよ、ユキ。もっと大きくなったら、お前をいじめていた奴も、お前のご機嫌をとりにくるから」
「なんで?」
兄の胸で一泣きして少しは落ち着いたのか、彼の自銀の妹ユキは、涙で濡れた琥珀色の瞳で、兄を見上げて問う。
「お前が女の子だから。みんなが、お前を護りたいって、言うようになるよ」
優しい仕草で髪きすき、頬に手を当てて言う兄に、ユキは下服そうに頬を膨らませる。
「そんなのやだ。あたしはお兄ちやんと同じくらい強くなるもん。守ってなんかもらわなくたって平気だもん」
「だったら……」
ウォルシドはまだ小さな妹を抱き上げて、にこりと微笑んだ。
「強くおなり。誰にも負けないほどに、強くおなり」
そう言って。
ロスの左の魔眼に、その兄妹の姿は優しい光に包まれているように見えた。それはたとえウォルシドがその心にどす黒い憎しみや恨みを抱えていようとも、彼の腕の中の小さな少女に向けられる心は、優しく慈しみに溢れていることを告げていたのだった。
「強くおなり……か……」
シドの言葉を反芻し、ロスは同じように兄と妹の微笑ましい姿を見やっていたジーナの方へと、視線を向けた。
「あれも、わかってはいるのだ。一族に……、そしてユキに課せられた運命を……」
まさか我が子に……「月」が生まれようとは思いもしなかった故、あれにはつらい思いをさせてしまったがな……。
そんな彼女の言葉を追及しようとも思ったが、彼女の背がそれを拒んでいることが分かったために、追及の言葉を飲みこんだのであった。
****************
闇の中で、いくつもの影がうごめく気配がする。
そこは深い森の中で、月は雲に隠れてその輝きの加護はなく、彼女は、切れた息を整えようと、深い呼吸を何度か繰り返した。
「ダーク、あと、何人?」
右手で剣を構えたその女性は、そばに存在するはずの人物の名を呼んで、そう問うた。彼女の左手は、大戦の最中に失われ、残された右手のみで構えた剣は、に血にまみれていた。
「あと、三人だよ、ティーナ」
どこからともなくそんな返事が返ってきて、ティーナ……闇の王国ツァルガ王家の末子、ティーナ王女は小さくため息を吐き出した。
「まだ、そんなにいたのね。でも、民達の方は?」
「大丈夫。どうやら敵は、君の命だけを目的に絞っているみたいだから。……その証に、みな暗殺者だ」
そんな、感情の起伏を感じさせない声とともに、ティーナ王女の傍らに一人の男性が姿を現した。どこか
ら出現したのか分からない、気配すらも感じさせない奇妙な出現の仕方であっが、それが常の事なのかティーナ王女は驚くことはなかった。
それどころか、彼女は少しだけ困った表情をする。
「いいの? 姿を見せても」
と。
だか、それに応える男性は、端正な顔立ちに冷たい笑みを浮かぺて、「いいんだ」と頷いた。
「だって、みんな私が殺してしまうからね。ティーナの……我が王の命を狙う者は、何人であろうと生かして返したりしないよ」
闇の王国の王家にあって「暗殺者」は「王」に仕えるただ一人の「暗殺者」である。ゆえに、自らの王の命を守るためであるなら、彼はどのような事をもしてのけるのだ。その存在を知るものは極端に少なく、またその姿を人前に表すことも殆どない。
「じゃあ、任せても大丈夫かしら?」
「もちろん、我が王よ」
夜の闇の中によく透る声で答えた暗殺者は、木々の影でうごめく、ティーナの命を狙う暗殺者を見やった。
「命を捨てる覚悟ができた子から、かかっておいでよ。それとも、怖くて出てこれない?」
そう告げたダークであったが、彼らの敵はその姿を現すことはなかった。
「そう はずかしがりやさんなんだねぇ」
黒目がちな黒曜石のような目を細め、にっこりと笑った彼は、次の瞬間にその顔から感情を消し、再び言葉をロにする。
「じゃあ、私の方から出向いてあげよう」
その途端に彼の姿はその揚から消え、代わりにいくらか離れていたはずの木々の影から、暗殺者達のものだと思われる悲鳴が聞こえてくる。
「なんとか、なったみたいね……」
悲鳴が……いや、斯末魔の叫びが、きちんと三つ聞こえた事を確認すると、ティーナは脱力したようにその場に座り込んだ。同時に彼女の影の中から、ダークがその上半身を現して心配そうな表情をする。
「大丈夫よ。でも、たまには、ゆっくりと眠りたいものね……」
力なく無理やりに笑ってつぶやくと、彼女はダークの胸へと倒れ込む。
大規模な追っ手の恐れのなくなったツァルガの民達は、あらかじめ闇聖王トゥラースの選出してあった数人の者をそれぞれの統率者として、いくつかの集団へと別れ、それぞれが大陸の各地へと散らばっていった。
ティーナ王女はそんな彼らを守るために、自らの所在を常に明らかにして大陸を移動しているのだが、いつの頃からか、毎晩のように暗殺者が彼女の元を訪れるようになった。
たとえグークや、選りすぐりの騎士達が披女の守護についているとはいえ、毎晩のように命の危機にさらされては、さすがに気丈な彼女とて、精神的にも肉体的に限界が近づいてしまう。
「ティーナ……」
「あ、大丈夫よ、ダーク。ちょっと、疲れているだけ。明日には、元気になるわ」
にこりと笑って、「ありがとう」と、自らを守ってくれたダークに伝えた彼女は、そのま意識を失ってしまう。
グークはそんな自らの王をしっかりと胸に抱きしめて、呟くように言う。
「そろそろ……かな?」
これ以上こんな状況が続けば、きっと彼女は目に見えて衰えていくだろう。
そう判断したダークは、ある決心をする。
「君が知ったら、たぶん非難するだろうけれど、私にとって君に代わるものなどないんだから、仕方がないよ」
蒼白な顔にかかる漆黒の髪をはらってやりながら、ダークはそう呟いてティーナを抱き上げた。
「すべては、我が王のために……」
ようやく顔を出した月の光の中に、その声は消えていった。
それから数日後。
ツァルガ王家の生き残りであるティーナ王女の暗殺を命じていた者達の元に、一体の死体が届けられた。それは、漆黒の髪を持つ美しい女性の死体であった。左腕が切断された跡があったが、その傷口が癒えていることから、それがつい最近切されたものではなく、ずいぶん前に切断されたものだということを知らせていた。
身につけた衣装は闇王家特有の衣装で、指にはめられた指輪にはツァルガの紋章が刻み込まれている。
それはまさしく、ティーナ王女の死体であり、彼女の暗殺を企てた者達はみな一様に安堵の息をもらす。
「これで、闇は滅びた」
けれど、彼らはしらなかった。
その死体が、ツァルガの民が国を離れるよりも前からすでに用意されていた、ティーナ王女の身代わりの女性の死体であったことを。
ティーナ王女の身代わりをある程度の期間が過ぎたら、身代わりをティーナとして暗殺者に差し出すと、すべてはトゥラース王とティーナの守護をする「ダーク」との間で決められていた事であった。
そのために、ダークはずいぶんと前からティーナに似たツァルガの女性を捜しだし、その女性をティーナ王女と同じにするために、腕を切り落とし、少し違う顔までも変えていたのであった。
「暗殺者」は、自らの王を護るためであれば、どのような事をもしてのける存在でった。