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レクサンドラ -闇の章-   作者: 桜餅 大福
13/14

12:《魔導士・後編》

 魔の森と呼ばれた場所の中心部に、一軒の家が建っている。

 そこには、「真名(まな)」を持ち、大陸最強と畏れられている魔法使い「羯羅(から)」が住まっていた。数日前、その魔法使い羯羅(から)は、とある拾いものをした。

 その捨いものは三人の人間……つまり、ロスとダーク、そしてその二人が護っいたユキであった。

 羯羅(から)が拾った時には満身創痍、死も間近という三人であったが、ロスとダークの二人は、ほぼ半日をかけた魔法での治癒により、もう起き上がって自由に行動ができるほどに回復していた。


 ただ、ユキだけは焼印を押されたダメージと、数日にわたって与えられた体への傷、そして心に負った精神的なダメージにより、いまだにその目を覚まさずにいた。

 そのため、羯羅(から)は彼女を保護した部屋に誰も入ることを許さず、日に何度も彼女につき、魔法での治癒を行っていた。


「……王……大丈夫かなぁ……」

 ユキのいるはずの部屋がすぐ隣であるために、本来であるなら部屋に出入りするための扉の前に座り込み、かりかりと扉をひっかきながらダークが言う。

 中に入ることは羯羅(から)に禁止され、しかもしっかりと魔法による結界に守られているために、折角助け出した王の容体を見に行くこともできないのだ。

 羯羅からは命を失うような危険はなくなったと知らされていても、心配で仕方ないのだ。


「……羯羅が大丈夫だというんだから、信じるしかないだろう?」

 すでにいろんな意味で諦めたロスは、部屋のソファに腰をおろして本などをめくってはいるが、それでも内心は心配で仕方がないらしく、綴られている文字を目で追いかけてはいるものの、まったく頭に入ってはいないようであった。


「だぁってぇ……」

 心配なんだよ?

 などと言っている間に、いつの間にかダークの身体が魔法によって扉から引き離され、今までダークのいた場所に羯羅が立つ。

「あ、羯羅! お願いだから僕も入れて! 部屋の中に入れて!」

 懇願するダークであったが、羯羅はそんな彼をちらっと見ただけで、すぐに視線を戻し、、

「ユキが目覚めたらな」

 扉をあけながらそれだけ言い残して、扉の向こうへと消えてしまう。

 追いかけようとしたダークの目の前で容赦なく、部屋の扉が閉じてしまう。


「王~」

 なんとも情けない声で言い、再び扉をかりかりとひっかきはじめるダークであった。


*****


 羯羅(から)がその部屋へと入った時。

 部屋の窓辺に置かれた寝台の上で眠る女性の、枕元にいた小さくて白い生き物が、真っ赤な瞳で羯羅を見上げて、器用に言葉を口した。

「ナントカ、イキテルゾ」

 と。そして羯羅の肩に飛び乗り、すぐさまそこで丸くなって眠ってしまう。いつも彼の肩に存在している小さな生き物が、寝台の上で眠るユキに、今まで「治癒」の魔法を使っていたのである。


 羯羅は自らの肩の上の獣を一度だけ見やった後に、ゆっくりとした足取りで寝台に近づき、傍らに置かれた椅子へと腰を下ろして両腕を組んだ。すでに肉体的な治癒に関しては出来る限りのことをしてあるため、ユキがいつ目覚めてもおかしくはない状態であったために、彼はそこで彼女の目覚めを待つつもりなのだ。


「まあ、精神のほうの傷はこれ次第だな……」


 そんな風に呟く羯羅。

 その視線の先で眠るユキは、胸の焼き印の治癒のために、その上半身には何もまとっていない。ゆえに、掲羅が自らのまとっていた漆黒のマントを、彼女の身体の上にかけてやっていた。

「やはり、珍しい色だな」

 眠るユキの髪を一房すくい、そんな風に呟く。

 ずいぶんと前……彼女がまだ幼い頃、髪の色の珍しさと、彼の弟子であるサクセス王の願いによって、その命を救ったことがあるのを思いだし、小さな笑みを浮かべる。サクセスの話によれば、あの時、彼女は故郷の家族に裏切られ、売り払われ、故郷からはるか遠く離れたこの国へと連れてこられたのだという。しかも、獣に姿を変えるということで、見世物同然、奴隷同然というひどい扱いであったという。

 サクセス王により保護されたといえ、自らの境遇に絶望していた彼女は、羯羅の支配する「魔の森」の近くにある湖にその身を沈めようとしたのだ。

 保護したはずの少女が消え、不安に思ったサクセス王がわざわざ羯羅の名を呼び、探してくれと、助けてくれと懇願したのだ。いつも冷静な判断を下すことのできる弟子の焦る姿に、羯羅は少女に興味を覚えたのであった。

 この気むずかしいという評判の魔導士は、自分の気に入らない事には全く見向きもせず、ただその時の気分で、行動を起こしているために、彼を動かすにはよほどの強い信念の表示か、もしくは、彼の心をうごかすような何かが、必要であった。

 あの時、幼い少女の命を救ったのは、普段取り乱すことのないサクセス王の感情をあらわにした願いと、少女本人の珍しい髪色のため。


 そして今回、魔の森に入り込んだロスとダーク、そして瀕死の状態のユキを再び救ったのはロスとダークの強い信念と、彼女の持つ珍しい容姿、そしてユキがもとより歩むはずであった運命とが、彼に行動

を起こさせた。


「なかなか、面白そうだ」

 これから先の事を思い、そんなことを呟いた時であった。差し込んでくる朝日を受けながら、寝台の上でユキが目を覚ます。

「ここは……?」

 そう言って上半身を起こし、部屋の中の様子を不思議そうに見やって、右へ左へと視線を巡らせた後、羯羅の存在に初めて気がつき、琉印色の瞳を見開いた。

「貴方が、助けてくださったのか?」

 少しの驚きはあったが、それ以外の感情が表れない表情と落ち着いた声とで、彼女が言う。

 内心少し感心しながら、羯羅が小さく頷いた。普通、こんな状況に置かれた女性であるならば、取り乱したり変な誤解をしたりで面倒な事が起きるだろうが、彼女はいたって冷静であったからだ。

 しかし、冷静すぎるというのも、少し困り者である。

「胸くらい、 隠した方がいいぞ……」

 気づいていないのかと思い、一言だけ声をかけてやれば、彼女はその言葉に自分がどんな姿を羯羅にさらしているのか気づくが、しかし慌てた様子もなくかけられていた黒いマントを胸元まで引き上げた。


「……すまない。気分を害したか」

 そう言ったのは、羯羅ではなくユキの方であった。

 いったい、どんな教育を受ければ、この様な場所でこの様な態度が取れるようになると、言うのだろうか?

 言葉一つとっても、なかなかに新鮮だなどと思う羯羅。

 今まで、こんな態度をとる女性には出会ったことがなかった。そのために、彼のこの女性に対する興味は、ますます強いものになり、やはり『面白い』と心の中で呟く。

「お前、名前は?」

 本当は名を聞かされていたし、 彼女が今までどこでどんな存在であったのかも知っている羯羅であったが、彼女自身がなんと答えるのか知りたくて、そう問う。

 すると、 はじめて彼女の表情に感情がうまれる。

 それは悲しみと困惑とをないまぜにした表情であった。

「私はユキ。ユキ・ファーデルだ」

 姓の方を名乗る時に、少し躊躇したのに気づきながらも、羯羅はその事をロにはしなかった。そんな彼に、今度はユキが問う。

「貴方のことは……なんと呼べばいい?」

「俺は羯羅(から)。 この森に住む魔導士だ。そして、「お前達」を一応、助けた者だ」

 言葉にロスやダークの存在を含ませてやれば、彼女ははっとした表情となって、羯羅を見やる。

「やはり、あの人達がいたのか? 夢ではなかった……」

 意職が混濁している時に、ロスともう一人の存在を目にしたような気がしたのだが、その後に意識を失ってしまったために、夢かとも思ったのだ。


「ああ。城からお前を連れだし、この森まで連れてきたのが、そのニ人だ」

 そう聞かされ、ユキは全てが現実であったと、思い知る。王妃の策略も、自分が投獄されたことも、そして胸に刻まれた刻印も。

 知らず知らずの内に、言棄を失い、自らの胸に手をやるユキ。指先に伝わる感触で、痛みはないがそこに刻まれた傷跡があることがわかる。

 羯羅はそんな彼女の壕子を見やって、

「お前が、セジアス王家の者に追われていることは、わかっている」

 と言えば、びくりと彼女の肩が震え、琥珀の瞳が掲羅を見つめる。

「何があった?」

 静かに羯羅が問い、ユキは自分の胸にくっきりと焼き付いた印を一度見下ろした。もう、自然に消えるなどという事はないだろうその印は、王妃が彼女に焼き付けた、セジアス王家の紋章であり、王家の隷属である証であった。


「私はこの国に仕える騎士の一人だった。だが、王妃の策略にはまり、私は王妃殺害未遂で投獄され……」

「拷問まがいの暴力を受けたあげく、焼印を押された……か」

 彼女に起こった事実を淡々と言われ、ユキが驚きをあらわに羯羅を見やった。

「なぜ、それが」

「知ろうと思えば「視る」ことは簡単だ。当事者が目の前にいるのなら、なおさらな」

 お前の魔力を通して全て視ることができる。

 そう説明してやれば、彼女の瞳から驚きの色は消える。

「セジアス王国国王サクセスの腹心の部下であり、将軍ユーサー·ファーレングロウの養女。名前はユキ·ファーレングロウ。白銀の髪に琉拍の瞳、そして、獣に変わる美しい女剣士であり、唯一国王サクセスの寵愛を受けた者。王都アージスでは知られ名だな」

 そんな言葉を並べながら、掲羅はその場で立ち上がり、ゆっくりとした歩調でユキの元へとやってくる。

「知っていたのか」

 琥珀の瞳を伏せ、呟くように言う彼女はもう一度自らの胸の焼き印を見て、焼けた肉が赤く浮かび上がっているそれを指でなぞる。

「私は確かにサクセス陛下に忠誠を誓っていた。ただそれだけだ。なのに、その心さえ私は奪われた……。この焼印は私を「セジアス王国」に隷属させる印。「私」の心も体も命も縛り付けるための……」

 王の元にあって仕えることすら気に入らないのだと、そういった王妃の顔が浮かぶ。

 苦しげにユキが言葉を紡ぐ中で、羯羅は彼女の頬に手を当て、その顔を自らにむけさせる。そうすることによって、ユキの琥珀の瞳と羯羅の薄紅色に近い色の視線がぶっかりあった。


 しばらくの沈黙の後、羯羅がゆっくりと口を開く。


「その印、消せないことはないぞ。ただし、お前がファーレングロウの名前を……その傷にまつわる自らの過去の全てを完全に捨てる事が出来るのならば」

 驚きと疑間とをあらわにしてユキが瞳を見開くのに、羯羅は静かにう頷いて、言葉を続ける。

「傷を癒す事自体は難しい事じゃない。傷を負ったという事自体をなかった事にすればいいのだから。だが、お前のその印には単に怪我を負ったという事実があるだけじゃない。その裏側に、いろいろな人物との関係がからんでくる。だから、その傷の裏側にある、お前のこだわりを捨てる事が出来るなら、俺にはその印を消す事が出来る」

 ユキは黒いマントの端をぎゅっと握り締め、何もない宙に視線を飛ばす。その唇が、少しだけゆがんでいる。

「私に全てを忘れろと?」

 唯一信じ、忠誠を誓った人間の元に在ることを阻まれ、命まで脅かされた王妃への恨みも、サクセス王への忠誠も想いもすべて。この国で「ユキ・ファーレングロウ」であった事全てを。

 唇を噛みしめて肩を震わせて、初めて彼女が揚羅に見せる感情。それは『僧しみ』でも『悲しみ』でもなかった。

 涙をこらえ、宙を睨む彼女の姿は、確かに『憎しみ』の表情であった。だが、羯羅はそんな彼女の姿の影に、涙を流し悲しみに暮れる彼女の姿をかいま見た気がしたのだ。

 彼女はたぶん人を憎める人物ではないのだろう。全て自分で抱え込み、自分のせいにしてしまう性質なのだ。ただ、今は背負う悲しみが大き過ぎたために、憎しみという形を借りているに過ぎない。

 そこまで思って、羯羅はふとロ元を緩める。なぜ、たとえ過去に一度会ってるとはいえ、まともに離したのは今日初めての女性の事を、ここまで良い方に解釈するのか……。今までならば、こんな他人の心の裏側まで見ようとは思わなかったのに。

しかも他人の、それも癒すことの難しい心の傷を伴う傷を治そうと思うとは。


 そこが、面白かった。今までとは違う、自らの心の動きが面白くて仕方なかったのだ。


 やがて、彼女は再びその顔から感情を消し去って、口を開く。

「難しいな……発全に「ユキ・ファーデル」になるのは。いろいろな思い出がありすぎる」


 彼女は何を思ったのか、近くまで来ていた羯羅の衣を掴んだ。

 そして、訴える。

「私を、城に突き出せ。私は、王妃にだまされたとはいえ、彼女を襲うフリをしていた兵士を殺めてしまった。罪は裁かれねば……。今頃、みなが私を探しているだろう……。罪人として」

 その言葉に羯羅は片方の眉を少しだけ釣り上げて、彼女を見やる。

「そんな事をすれば、一生牢の中で暮らすか、翌日にでも処刑されるか。いや、お前ほどならば、男たちに慰み物にされてもおかしくはないぞ?」

「だが、それだけの罪を犯している。どんな処遇になっても、文句は言えまい」

 冷めた表情で淡々と答えるユキの肩を、羯羅は勢い良く掴んでしまっていた。そして、自分の顔の近くまで、ぐいっと彼女を引き寄せる。視線が、少し険しい物になっている。

「それこそ、自分の意志のない者が考えることだ。そんな考えはは好かん。それに、お前は本当にそれを望んでいるのか? お前を自らの命を危うくしてまで城から助け出した二人の行為を無駄にするほど、それを望んでいるのか? 本当に望む事は何だ? もう一度、良く考えろ」

 そう言ってからユキの肩を突き放す。 彼女はしばらく呆然と羯羅を見つめていたが、やがて、その琥珀の瞳にうっすらと涙を滲ませた。


「……私は、出来ることなら、この国を出たい。何もかもを忘れたい……。故郷へ帰りたい……」

 涙が静かに頬をつたって流れる。


「それでいい。俺の前で、自分を偽る必要はない」

 羯羅はそう言って彼女の頬に触れ、次から次へとあふれ出る彼女の涙を拭ってやる。そうしてから、屈んでいた背を伸ばして手を離せば、そんな彼の動きをユキの視線が追う。

「お前に会わせろと四六時中うるさい奴もいるからな、連れてこよう。それに、食事を運んでやろう。腹がすいただろう?」

 そう、羯羅が尋ねる。

「ありがとう。と、言うべきだろうな」

 不器用な性格をあらわすうな謝礼をロにしながら、ユキは初めて羯羅に微笑んで見せる。

 羯羅はその微笑みにつられた様に、彼女に笑って見せた。


 彼女らしい返事だ……。

 本当に、反応のつ一つで楽しませてくれる……。


 そんな事を思いながら、彼は部屋を出て、静かに扉を閉めた……。


*****


 羯羅が部屋から出ていき、いつの間にか傍らに置かれていた着替えをユキが身につけたころ、彼女が存在しているその部屋の扉が、控えめにノックされる。

「どうぞ?」

 短く応えてやれば扉がすぐに開き、向こう側からロスが姿を現した。そして、その背後に一人の人影。

ユキは、その人影が彼女を牢から助け出してくれたロスとともにいた存在であることを思い出す。

「あなたは?」

 ロスが、自分よりも先にといった様子で、傍らの人物の背を押してユキの元まで歩ませたので、彼女はそんな風に問う。すると、その途端にその人物は、ぱぁっと明るい笑顔になり、駆け寄るようにしてユキの寝台の元までくると、床に膝立ちになり、肘を寝台につけてユキの手をとり、両手で撮りしめた。


「僕はダークだよ、僕の王」

 涙に潤んだ瞳で、そんな言業を紡ぎ、ダークはユキの手に頼をすりよせる。ユキは、そんな彼を訝しげにみることもなく、小さく唇に笑みを浮かべて言った。

「私を、救ってくれてありがとう」

 と。


「そんな、札なんて言わなくてもいいんだよ? 僕は、君のためだけに生まれて、君を護るためだけに生きている存在なんだから。だから」

 そこまで言って感極まったのか、ダークはその場に立ち上がり、寝台に上半身起こしているユキの身体をぎゅっと抱きしめた。まだまだ少年といえるダークの姿では、抱きしめたというより、抱きついたいったほうが正しいかもしれない。

「僕こそ、ごめんね。君がさらわれた時、僕が小さかったばっかりに、君をこんな……こんなつらい目に遭わせて……」

 僕が、命をかけて君を護らなくちゃいけなかったのに。


 悔しげに言う彼に、ユキはなんでそこまでこの目の前の人物が、自分を大切にしてくれるのかがわからなかったが、彼の涙に、その言葉と心が嘘ではないことを感じ取り、泣いているのを放っておけなくて、まだ成長途中の背にそっと手をまわし、抱きしめる。


「……王?」

 きょとんとして見やれば、ユキはダークにたいして、にこりと微笑んで見せたのだ。それは普段あまり感情を表に出さないように教育されてきた彼女にとっては珍しい微笑みであり、無意識の事であった。

 なぜか自分を抱きしめるダークを懐かしく思い、昔から知っていたような気がしたのだ。

 しかしごく間近で、ようやく出会えた「王」の微笑みなどを見やってしまったダークは、泣いていたことも忘れてその頬を真っ赤に染めると、自分の心に広がる感情のままに、もう一度ユキをぎゅっと抱きしめてしまっていた。


「王~っ」

 ただその言葉しかでないダーク。ユキは小さく息を吐き出して、彼をそのままにさせて、ダークの肩ごしに見えるロスへと視線を向けた。

「おかえり、ユキ」

 昔とまったく変わらない、優しい笑みを浮かべてそう言ってくれる兄に、ユキもまた小さく笑った。

「ただいま、ロス兄さん」

「ああ。……君が助かってよかった」

 頷き、そう言った彼の目にも涙が滲んでいたが、ユキがそれを見つける前に、ロスはさっと目頭を拭ってしまったのだった。


*****

 

 ロスとダーク、そしてユキとが羯羅(から)によって助けられたのち、三人はユキの体調が完全によくなるまで、羯羅の家で世話になっていた。


 その日、本来であるなら仕える「王」であるユキのそばに常に寄り添っているはずのダークはおらず、ロスまでもが羯羅の許しを得て魔の森の結界を超え、森の外へと出かけてしまっていた。

 本当は二人で、ユキを酷い目に遭わせた王妃へと報復に行ったのだが、そのことを二人がユキにわざわざ知らせるはずもなく、彼女はただ一人残された部屋でぼうっと外の景色を見やっている。

 もちろん羯羅が共にいるために、ユキが襲われることもさらわれることもないという、安心があったこそ二人はでかけてしまったのだが。

 ふいに、ユキが羯羅の気配が近づいたことに気づき、小さな笑みを浮かび上がらる。

「何を、笑っているんだ?」

 彼女を保護して数日、感情の起伏が顔に出ることがめったにないと知ったが、そんな彼女の表情の変化を見て羯羅がそう問うてみた。


「私は馬鹿だな……。そう思ったんだ」

 ゆっくりとした動作で自らの傍らの、窓枠に腰をかけた羯羅に穏やかな表情で向かいあって、彼女が言った。

「なぜ?」

 一言だけ、羯羅がそう返す。


「私は、昔、自らの兄に裏切られて商人に売られ、そのあとセジアスの国王に献上された……。そして、今度は、王妃にこんな仕打ちを受け、信じていた人と引き離され、その人を失った。いつも、失ってばかりだ」

 彼女はそこで一息つき、再び言葉を紡ぐ。

「でも、どうしてだろう? 信じる人を失うのはつらいから、信じることをやめたいのに、他入など信じないって決めたのに、私はまた同じ事を繰り返してしまっている。羯羅……お前の事、信じてしまっている」

 羯羅の瞳を、まっすぐに見つめて言うその姿に、彼はロ元から笑みを消し、そのかわりに真撃な眼差しで彼女を見つめた。

 そして、静かに口を開く。

「俺は裏切らないし、お前の前から姿を消したりはしない。 だから、信じてもいい。お前が俺の事を信じ統けている限り、ユキ、俺がお前を裏切ることはないし、お前は俺を失うことはない」

 何故かユキが相手だと、そんな言葉が自然とロからこぼれてしまう。今まで他人の事などどうでも良かった自分が、だ。そして、そんな今までと違う自分を、自分で楽しんでいるのだと言うことにも、羯羅は気がついていた。

「よく、そんな言葉がロにできるな。お前の言葉がそんなだから、私は信じてしまうんだ。飾ることも、偽ることもない」

 だから、信じてしまうんだ。

 羯羅を見つめたまま、そう言うユキ。その言葉に、羯羅もまた笑みを浮かべる。

 そして、ささやく様に言う。


「お前は可愛いな 」

 と。

 からかうつもりではなく、本当にそんな事を思ったのだ。


「なっ、変な冗談はよせっ」

 思わず頬を真っ赤に染めて、羯羅から視線を外すユキ。彼女は、セジアスの将軍の養女であった。そして、彼女は将軍に徹底的に騎士としての教育をたたき込まれた。女なという部分は、すでに忘れているのだろう。それは、ここで目覚めた時の態度からでもわかった。

 だからこそ『可愛い』などという言薬には、免疫がないのだろう。

「どこをどう見たら、私のような女に可愛いなんて言う言葉が、当てはまるんだ。冗談にも程がある!」

『可愛い』の意味はわかっていても、それが自分にはまったく当てはまりはしない事だと、信じて疑わない彼女は、半分怒ったふりで照れを隠す。

 そんな彼女を見て、羯羅は再びごく自然に言葉を紡ぐ。

「冗談? 俺は本心から言っているんだ。お前程可愛い奴は他にはいない」

 照れもせず、ましてや笑いでごまかしもせず、まじめな顔でそう言い放つ羯羅。

「いつもそうだな。羯羅の言葉は心に直接伝わってくるような、飾り気のない言業だ。だからこそ、信じてしまう。……さっきの言葉、一応ありがとうと言っておく」

 不器用にそう答えるユキ。

 羯羅は一度だけうなずいた。

「それでいい」

 まるで、ユキの反応を確かめ、そして楽しむように。


*****


 セジアス王国の南の端、港町アトウル。

 ここからレクサンドラ大陸の商業都市くイランまでの商用船が出ているが、その中には全額次第では、 普通の人間をレクサンドラ大隆まで遅ぶことも行っている船もあった。

 そんな港町に、今、三人の人物がいた。

 一人は、旅の装束に身を包んだロス。そして、もう一人は白銀色の髪を黒く染め、頭の高い位置で一つにまとめ上げ、しかも貴婦人の衣装を身にまとったユキ。すこし濃いめに化粧を施したせいで、年齢も本来より数歳分は高くみえる。最後の一人はまだ小さな子供の姿をしているが、それは魔法によって、小さな三~四歳くらいの子供に姿を変えた、魔導士羯羅であった。

 もう一人、ダークが存在しているはずであるが、 彼は自らの王であるユキと出会うことができたために、本来の「暗殺者(ダーク)」としての役割に戻り、その姿を他から見えないものにしている。

 ユキの体調が完全に戻った後、皆はユキの望み通り、そしてロス達の願いの通り、レクサンドラ大陸へと帰ることになった。

 ただ、ロスとダークにとって意外であったのは、彼らを助けてくれた羯羅が、彼らの旅に同行する事になったことであった。どうやら、ユキが気に入ったので着いてくるという様子であり、ロス自身はあま

り良い顔をしなかったのだが、当のユキ本人が快く許してしまったために、こうして羯羅も共にいるのである。

 ただ、彼が何故子供の姿をしているのかといえば、ユキの変装につき合っているからであった。

 ユキはこの国では王妃殺害未遊の罪人である。そのために、国中でその存在を探す者達がいるので、普段の彼女では考えられないような、しおらしい女性に化けているのである。

 しかも、掲羅はそのユキの子供という設定で、ロスが父親ということなのだろう。

 三人とも見目魔しい部類に入る顔立ちをしているし、今はみな黒髪であるために、周りから見ればその姿はしっかりと親子として映っていたのであった。


 海風にふかれ、ユキが羽織っていたマントのフードが外れ、彼女の黒く染めた髪があらわになる。婦人らしく、きっちりと結い上げているために、髪が風になびくことはなかった。

 ふと、羯羅がスカートを強く引っ張ってユキの注意を自らに向けさせた。

 まわりから見れば、小さな子供が母親に甘えているというほのぼのとした情景だ。

 彼が何をなにをしろと言っているのか理解したらしく、ユキが一度その場にしゃがみ、羯羅を静かに抱き上げた。抱き上げられた羯羅は、そのまま手を首筋にまわし、しっかりと彼女にしがみつき、れを静かに見守っていたロスが、ゆっくりと歩き出して、

「さ、行こう。船が出てしまう」

 と、ユキに言う。


 港には何人かの警備の兵がいたが、羯羅をつれた彼女がユキ·ファーレングロウだと気がつく者はいなかった。彼女の顔を知っている者もいないに等しいのだ。

 船に乗り込んでから、 ユキがほっとしたようにため息をもらせば、ロスがそんな彼女を感慨深げにみやった。

「兄さん?」

 出会ったのがユキがまだ幼い頃だったためか、本当の兄ではないのに彼女はロスの事を兄と呼ぶようになっている。

「いや、やっと、君を見つけたんだと……。そう、思っていたんだ。十年も、探したんだぞ?」

 そう言ってやれば、ユキはほんの少し戸惑ったように目を伏せる。

「みんな、死んでしまったと思っていた……。だから、こうして私を兄さんやダークが迎えに来てくれたこと、嬉しく思う」

『僕も、ようやく王の側にいられるようになって嬉しいよ』

 姿は見えないけれど、ダークの声はユキの元に届く。


「ようやく、帰ることができるな……」

 ロスがそう言い、眩しそうに晴れた空を見上げる。彼にとっては長い旅が、ようやく終わりを迎えようとしているのだ。

 もちろん、帰ればまた新たな旅がはじまるのだろうが。

 そして、ユキもまた自らの「旅」に終わりを告げるため、港町アトウルの街を見つめるように船尾に立った。

 船が、静かに動き始めていく。


「さようならセジアス。そして……」


 抱き上げられたままの羯羅の耳に、ユキのそんな呟きが聞こえるが、そこから先の言葉は羯羅でさえ、聞き取ることは出来なかった。

 風だけがその名前を運んでいったことだろう。


「早く、忘れればいい」

 羯羅は面白くなさそうにそんなことを呟く。


「そうだな……。早く、忘れてしまおう……」

 そんな言葉を呟くのと、セジアスの陸地が見えなくなるのと同時であった。船は、ゆっくりとレクサンドラ大陸へと向けて進んでいった。


















ひとまずキリのいいとこまできたかんじです。

明日からしばし出張でいませんので、更新がとまるかとおもいます(>_<)

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