1:《目覚め・前編》
連載始めました。
ちゃんと続けていけるようがんばります。
見上げれば、鬱蒼とした濃い緑が自分に向けてのしかかってくるようで、視線を上よりも下へと落として、少女は歩みを止めた。
「ここ……どこ……?」
初めは村の中の同じ年頃の子供達から逃げるために、走っていた。村の子供達の中で、ただ一人女であり髪色の違う彼女は、よくいじめられていたのだ。だからこそ、そんな子供達から逃げ出して、森の中へと飛び込んだ。
もともと探い探い森の中に存在している少女の村は、外界との接触をほとんど断ち切って生活をしている。少女にとって村は彼女の世界の全てであり、村を取り囲む森は、普段から彼女の遊び場でもあった。そんな彼女であっても、今日はなにやら見覚えのない場所へと出てしまいっていた。
毎日のように森へと入るとはいえ、まだ五つほどの少女に森の全てが知り尽くせているわけもなく、彼女は思った以上に村から離れた場所へとでてしまっていたらしいことに気がついた。
怖い相手から述げるのに夢中で、周りが目に入っていなかったのだから無理もないことかもしれなかった。
だんだん日が沈んできて辺りが暗くなり始め、心細くなってきた少女は、自らの兄を呼ぶ。
「おにぃちゃん……」
だが呼んだからと言って、何人かいる彼女の兄の誰か一人でも駆けつけたかと言えばそうではなく、彼女はとぼとぼと森の中の道とも言えない場所を歩き続けた。
「ふぇ……」
ついに涙がこぼれだし、小さく声を漏らしはじめる少女。
その、大陸でも珍しい白銀色の髪の毛には、木の葉や木の枝が絡まり、母親が彼女のために縫い上げた服は、所々枝に引き裂かれて、すでにぼろぼろになっていた。さらには途中で転んだのか、小さな膝小僧からは紅い血が惨んでいる。
「おにぃちゃん……うっ……うっ」
流れる涙を手の甲で拭いながらも、歩みを止めない所は大したものであったが、こんな森の中で歩き回るのはかえって危険とも言えた。それでも、少女がそんなことを考えるはずもなく、彼女はただただ闇雲に歩き回っていく。
けれど。
不意に、彼女は自分の目の前が広がった事に気がついて、顔をあげた。行く手を阻むように存在していた木々が、なくなった気配がしたのだ。そのため、彼女はもう一度しっかりと涙を拭うと、目の前に何が広がったのかを確かめる。
少女の目の前に現れたのは、岩肌が剥き出しになった切り立った崖であったが、その一部に自然では造り出されるはずのない、明らかに人の手が加わった、真っ白な柱が二本、存在していた。
そして、その柱に挟まれた場所に、ぼっかりと穴が空いている。
「……誰かのおうち?」
初めて見る奇妙な空間に、少女は疑問符を浮かべながら、中をのぞき込んだ。道に迷い、泣き疲れていた彼女は、もし人が住んでいれば、自らの家までつれていってもらえるかも知れないと、思う。
穴の中は真っ暗であったが、彼女はかすかに震えながら、身を小さくして穴の中へと足を踏み入れた。
その瞬間。
今まで暗かったはずの穴の中が、突然明るくなる。穴の中は岩肌ではなく、柱と同じ石を四角く切り出したものが積み重ねられていて、壁際に等間隔にあけられた丸い穴に、明るい炎が燃え上がっている。
「すごい! 何もしないのに、火がついた!」
普通の人間ならば、突然そんな変化が起これば恐怖を覚えるのだが、まだ幼い少女には、驚きと感嘆しか与えなかったようで、少女はその炎に導かれるように、どんどんと穴の奥へと歩いていく。途中、いくつか石でできあがった像などが少女を睨み付けるように存在していたが、彼女はそれすらも楽しみながら、奥へと進む。
まるで何かに導かれるように、そして、呼び寄せられるように、少女はためらうことなく歩き、やがては穴の最奥へとたどり着いた。
きらきらと不思議な光に満たされた部屋が、そこにあった。先程まで少女が歩いていた穴の数倍ほども広い部屋の中心に六本の柱が存在し、その中央にこの部屋を満たしているきらきらした光を発しているものがあった。
「きらきらのお部屋の中で、誰か寝てる?」
彼女が言うように、そのきらきらした光の中で女性が一人、空中に浮かびあがるような姿で、目を閉ざしている。
「……?」
きらきらした部屋盛の入り口はどこなのかと、首を傾げながらそのきらきらに触れる少女であったが、掌にガラスのような硬質な感覚を与えてくるそこに、入り口らしきものを見つけることができずに、彼女は可愛らしい顔を曇らせていく。
だがそんな六本の柱に囲まれた、きらきらした部屋の周りを歩むうち、少女はもう一つ、不思識なものを見つけた。
きらきらした部屋の横の床に丸い円が描かれ、その中心に台座があり、横たわる一人の背年を見つけたのだ。金色の縁取りをされた、漆黒の布をかけられた台座の上に、胸の上で両手をくんだ長い黒髪の青年が横たわっているその光景は、大人が見たならば、死者が奉られているのではと危倶しただろうが、まだ人の「死」すら見たことのない少女は、不思議そうに青年を見やって、その揚へと近づいていく。
彼女が一歩、床に描かれた円形の模様に足を近づけただけで、模様が明るい光を放ち、その光が淡い白色の壁となって、少女を遮ろうとする。
「……?」
目の前で何が起きているのかさっぱり理解できていない少女は、暁拍色の瞳をばちくりとさせながらも、いきなり目の前に現れた、向こう側が透けて見える光の壁にそっと触れてみた。すると、白い壁がさらに激しい光を放ち、少女の身体をも飲み込み、彼女は自らに伝わってくる熱に小さな悲鳴を上げ、ぴくりと身体を震わせた。
だがその瞬間。
光に包み込まれた少女の額に、うっすらと月を象ったような紋章が現れ、それと同時に少女自身の身体から彼女の髪と同じ色の、まるで夜空に浮かぶ月の輝きのような光が、身体の内側から発せられて、今まで少女を包み込んでいた白い光を跳ね返す。
それどころかその輝きは一瞬ではあったが、少女が存在した部屋全てに広がって消えていき、彼女が目を開けた時には、円形の模様から光が発せられる前の、静けさの支配した部屋の中へと戻っていた。ただ一つ遂うのは、先程まで台座の上に横たわって目を閉じていた青年が、ゆっくりとそのまぶたを持ち上げた事であった。
「あ!」
いち早くその青年の変化に気が付き、少女は喜びの表情で彼の元まで駆けていく。
もともと台座が少女の身長の半分以上の高さにあったために、少女が目を開けた青年の顔をのぞき込むには、背伸びをしなくてはならなかった。彼女はしっかりと台座に手をつけて、背伸びをして青年をみやってにこりと笑う。
「おはよう。もうすぐ夜なのに、今まで寝てるなんて、おねぼうさん?」
なんの疑問を抱くこともなく、そう尋ねた少女に、青年は顔の角度を変えることでまだぼんやりとしている視線を向けた。そのため今まで長く伸ばされていた黒髪に隠れていた左目もあらわになり、少女は右目の漆黒色とは違う、血のような色をした瞳をみて、驚きの表情をする。
「椅麗な色!」
そう言ってにこりと笑ったその時。青年がうっすらと層を開き、言う。
「ティーナ?」
と。そして、何度か瞬きを繰り返す。
「ちがうよ? ユキは、ユキっていう名前なの!」
少しだけ頬を膨らませて抗議するように言えば、青年の顔が疑問の感情をあらわにし、その瞳にしっかりとした意思が浮かび上がってくる。
「ユキ?」
教えられた名を小さく呟いた青年は、次の瞬間にはっとした表情をつくり、その揚でがばりと上半身を起こした。そして、慌てたように辺りの様子を見渡す。
「ここは? 僕は……確か……アルと封印をされて……?」
額を抱えて呻くように呟いた青年に、ユキと名乗った少女が不思議そうに言う。
「おにいちゃん? どうしたの? あたまいたいの? きっと、こんな所で寝てたから、風邪ひいちゃったんだよ?」
青年はその声にぴくりと反応し、何故か驚きの色と疑問の色をない交ぜにした視線を、自分の目線よりも遥か下に存在する少女へと向けた。
「まさか君が、封印の解除を……?」
信じられない。
あからさまに言う青年に、ユキはさらに首を傾げた。
「ふーいんって、なに?」
そして背仲びしていた姿勢を元に戻し、彼女は青年の衣装の袖を何度か引いた。
「あのね、ユキ、森の中を歩いてたらね、ここにきたの。ねぇ、おにいちゃんはユキの村がどっちかしらない?」
すがるような視線で、早口に言った彼女の言葉を聞き、青年はさらに眉を撃めて不思議そうに少女を見やった。
「そんな馬鹿な。ここにはいくつもの結界が張り巡らされているはずなのに、それをものともせずに進み、さらには僕にかけられていた封印まで解き放ったというのか、この子は」
そう呟いた彼であったが、不意に少女の多少乱れた前髪の下に、うっすらとなにかが浮かび上がっていることに気がついて、はっと息をのむ。
「まさか……」
そっと少女の額に手を伸ばし、
「ちょっとごめんな?」
といいながら、少女の白銀の前髪を片手でかき上げた。そして、そこに現れた月を象ったような紋章を目にして、さらに驚きの色をにじませる。
「これは……! 闇の王家の……しかも聖王の紋章?」
そう呟き、全てを悟る。
「そうか……この子が、いつか現れると言われていた……」
それならば、自らにかけられた封印を解くのも無理なことではないだろう。彼は闇の王国と呼ばれた国の、王家の人間であった。そして、その彼の目の前の少女の額に浮かぶ紋章は、問違いなく闇王家の紋章であったのだ。閣王家には……いや、王家だけではなく、闇の王国の民達には、一つの伝説が遥か昔から、語り継がれていた。
「いつか、闇の王家が滅び、民達が散り散りになった時、長い長い苦難の時代を経て、白銀と琥珀の、月をその身に宿したかのような「王」が現れ、王は民達をまとめ、再び国をつくり上げるだろう」
と。
その「王」であるならばいくつもの結界を破り、この自分にかけられた封印をも破る力があってもおかしくはないと、彼は断したのだ。
「ただ、王家が破び、民が散り散りになった時、というのは、間違いだったようだが……」
心の中でそう付け加える。
「ねぇ、おにいちゃん、ユキのお話聞いてない? さっきから、わかんないことばっかり。 せーおーって何?」
青年の難しい考えなど知りもせず、無邪気な光を琥珀色の瞳に宿して、自分の目をのぞき込んで来る少女に、はっとする。
「すまないな。君には分からないことを口走ってしまって。で、迷子なんだって?」
確かそう言っていたな、などと思いながら問い返してやれば、少女の頬がほんの少し紅くなる。
「迷子じゃないもん! おうちがどっちか分からなくなっただけだもん!」
意地を張るように言う少女に、青年は自らの妹ティーナの姿を思いだし、くすりと笑う。
先程目が覚めたばかりの時も、少女と妹の姿が重なり、思わずその名がこぼれたのだ。それ程までに目の前の少女と彼の妹は瓜二つで、この少女が間違いなく闇の王家の血筋であることを証明していた。
「おうちが分からなくなった人の事を、迷子だっていうんじゃないのかい?」
「ちがうもん。ユキ、迷子じゃないもん」
「じゃ、迷子とどうちがうんだい?」
妹の相手をしているような懐かしさに胸をつかれ、ついつい意地悪っぽく言えば、ユキは彼の妹と同じように頬を膨らませて、彼を現み付けるように見上げた。
「ほらほら、説明できないんだろう? 君は、迷子なんだよ。で、分からなくなったおうちに帰りたいんだ。そうだろう?」
そこまで言ってやれば、ついに観念したのか少女は今にも泣き出しそうな顔で頷いた。
「うん……おうち……帰りたい」
と。
「わかったから、泣いたら駄目だぞ。お兄ちゃんが、君と一 緒におうちを探してあげるから。な?」
「ほんとっ?」
今にも泣き出しそうだった顔をぱっと輝かせて、 彼女が笑い、
「ありがと!」
と言って、腕に抱きついてくる。
青年は台座の上から足をおろし、その台座に座り込むような姿勢になってから、腕に抱きついてくる少女を抱き上げる。
「おにいちゃん?」
「ああ、おうちを探してやる前に、ちょっとだけこの中を見ていってもいいかな?」
それとも、すごくお母さんが恋しいか?
いたずらっぽく付け加えて尋ねてやれば、腕の中の少女はムキになって、言い返す。
「そんなことないもん!」
と。
「よし、いい子だ。じゃあ、お兄ちゃんの用事が済むまで、もうちょっと待ってるんだぞ?」
よしよしと頭を撫でながら彼はその場に立ち上がり、少女を抱えたまま一度だけ器用にのびをした。
自分の目の高さよりもはるかに高くなった視界に、ひとしきり感嘆の声を出した後に、ユキは青年の金色の縁取りのある漆黒のマントを握りしめて、ひっぱる。
「ねぇ、おにいちゃんは、なんていうお名前なの?」
先程言った言葉と同じ言葉を付け加えて尋ねられ、青年は「しってるよ」と言って、にこりと笑ってから、少女の琥珀の瞳をのぞき込み、言う。
「僕はロスっていうんだよ、ユキ……」
「ロスおにいちゃん!」
「そう。改めて封印を解いてくれてありがとう、っていうよ。ちいさな、聖王さま」
「……? ロスおにいちゃん、また難しいこといったぁ。せーおーって何?」
ふくれっ面をして返してくるユキに、くすくすと肩を震わせ、ロスは少女の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「ユキが大きくなったらわかるよ」
そう言って。
その言葉を最後に、ロスは先程までにこやかだった表情を真剣なものに変え、視線を腕の中のユキからその部屋の中で相変わらずきらきらとした輝きを放つ、六本の柱に囲まれた小さな空間へと移した。
「……アールシェビース………アル……、今、お前の封印も解いてやるからな」
きらきらした小さな部屋。それは、ロスとともに遥か昔に封印された彼の双子の姉であり、最愛の人でもあったアールシェピースの封印そのものであったのだ。
「アル……」
小さく名を呟いて、ロスはゆっくりと封印へと歩を進めていく。
この封印の中の彼女と共にあるために、ロスは同じように封印されたのだ。本当ならば、自分が目覚めた時には、同時に彼女も目覚めるはずだったのだが、何故か自分と彼女の封印は別々に施されていた。
ならば、自分が封印を解けばいい。
もし、自分に解けない封印だとしても、自分の封印を解いた少女なら、最愛の人の封印も同じように解く事ができるだろうと、彼は信じて疑うことはなかった。
けれど。
彼の目の前に横たわっていた現実は、最愛の人との再会を喜ぶ彼を冷たく突き放す。
「……この……封印は……?」
封印のすぐ間近まで歩みよったロスは、そのあまりの強力さと特殊さに声を失い、その表情さえも失った。何故ならその封印は、ロスの力でも、そして彼の封印を解いた少女のカでさえも、解くこなどできない、強固で複雑で特殊なものであったのだ……。
「なぜ、ここまで?」
冷たい現実に打ちのめされ、震える拳を力一杯握りしめ、ロスがなんとか言葉を紡ぐが、そこには強い憎しみと怒りとが、込められていたのだった。その怒りが誰に向けられたものなのかも分からず、彼に抱き上げられたユキは、ただ不思議そうにロスの顔をのぞき込むのであった。