誕生日
-藤沢市江ノ島-
湘南海岸の名所、江ノ島。
その西側に連なる岩場を渡り、男は一見洞窟のような場所に身を置いた。
雷の父、速水英だ。
……今日であの娘も17か。
「7年なんて、あっという間じゃねぇか」
無精髭を撫でつつ、岩に腰掛ける英は一人ごちた。
この日にこの場所で控えるのも6回目。英はジャケットの内ポケットより携帯電話程の端末を取り出した。
「ソフィ、Wake up.」
待つこと数秒、端末に返答が送られた。
『order please sir.』
英はごろりと岩場に寝転んだ。
「何かあったら起こしてくれや」
今はただ、気持いいくらいに青い空。
英は大きく深呼吸をすると、程なく寝息を立て始めた。
-大泉高校-
川面をなでる風が校門に吹き付ける。大泉高校は神奈川県の藤沢を流れる境川の川岸に居を構えた。
正門を出て川沿いに左へ。もう授業の終わった1、3年の部活無所属派は、友人と肩を並べて最寄り駅、歩いて20分の小田急藤沢本町駅へ。
そんな流れに反し、京子と雷は裏門より校舎を抜けた。
「京子、まぁた寄ってく気か?」
「またって、どこ行くか知らないでしょ」
雷は肩を竦めてみせた。
「西富公園以外なら言ってくれ」
返答なし。京子の足が速くなる。
「いいでしょ別に。あそこ好きなんだから!」
学校裏に走る国道1号線の藤沢バイパス。その下をくぐり、20度を超えようかという急傾斜の坂道へ。
「……悩みごとか?」
先を歩く京子は、足を止めて雷に振り向いた。
「ずるいよね」
「何が?」
京子は眼下の景色に一息吐いた。
「雷ってさ、トボけてるくせして、急所突いてくんのよね」
雷は京子の横に並び、頭を掻き回した。
「いつも、気にしてるからだろ」
「夢をね……見るの」
京子は空を見上げた。
「夢って、宇宙のだろ」
あっさり応えた雷に京子は目を向けた。
「何で!?」
「壁耳の雷ってね。静止衛星で京子のこと見張ってんだよ」
京子は鼻に皺を寄せ、舌を出す。
「茶化すことないでしょ。これでも気を遣ってんだからね」
「何を?」
「おじさんや雷のこと!だって親友だからって、あたしのこと引き取ってくれて……」
しかも、事故のショックで記憶もあやふや。父さんや母さんの顏は浮かぶものの、英や雷の幼い頃が思い出せない。
「思い出すきっかけあればって……」
すると、雷は京子の頬を引っ張った。
「い、いふぁい!」
「気にするな」
京子は開放された頬をさすって軽く睨んでみせた。
「大した過去じゃない。京子は今のままでいい。いや、忘れた方がいいんだ。親父たちのことは俺も多くは知らない。遺言なんだとさ」
「遺言って言っても……あたし養うの、負担でしょ」
「うわぁ〜、さぁびしいこと言うなよ」
「だって、おじさん仕事してるとこ見たことないし……」
事実、英は京子の見る限り、TV正面が定位置だ。
「リストラ?」
「まぁねぇ、すぐ手ぇ抜くからなぁ」
「じゃぁやっぱり」
「いや、親父はああ見えて仕事熱心だぜ」
「何やってんの?」
笑みを閃かせて一言、
「海賊」
「はぁ!?」
京子の頭が固まった。
「前の仕事、倒産しちまって部下を引き連れて転職したんよ。結構気に入ってるみたいでさ。俺もちょくちょく手伝うんよ」
「あの……もしもし?」
「ひょっとして信じてない?」
「からかわれてることは分かった!もういい!!」
京子は雷をバックで叩き、急坂を先に登り始めた。
「待てって、京子!」
坂を登り切り、右へ。民家の間を抜けると、ぱっと見小さな公園が。西富公園だ。
中へ踏み入ると、意外な程広いスペースに、一面芝生が気持ちいい。幼児を連れた近所の母親達がレジャーシートを広げ、ちょっとした春の午後を楽しんでいた。
機嫌を悪くしていた京子も、芝生に足を踏み入れ気を晴らす。
いや……
「不思議……この公園って落ち着くの」
京子は公園内をすぐ左へ、奥にある展望台に足を向けた。
「ねぇ雷、なんでだろうね」
そんな京子に雷が小さく笑う。
「まだまだ子どもなんだよ」
「ぶぅぅぅ」
それでも京子もくすくす笑う。
いつもそうだ。この場所では、不思議と心が軽くなる。
「ここは私の……」
公園を囲う木々を抜けると、目の前に展望が開けた。
私立高校を足下に、藤沢駅周辺までが一望出来るスポットだ。
「う~ん、いい天気!」
伸びをする京子の目に、初夏を控えた新緑が痛い程に映える。乾燥した爽やかな風に乗り、下に広がる住宅街からのざわめきが届けられた。
「平和だよねぇ……」
またも雷がくすくす笑う。
「なぁによぉ」
「お前ねぇ、紛争地域から帰って来たみたいに言うなよ」
柔らかな陽が心地よい。
「いいじゃん、ホントに平和なんだから」
「確かに。ここに居ると、地球に居るって実感わくよな」
思わず京子は雷をじっと見つめた。
「なんだよ」
「雷こそ宇宙飛行士みたいなこと言ってるじゃん」
「……そうか?」
京子は大きく頷き、再び景色へ目を向けた。
……変わらない。
京子の記憶に最も強く残るのが、ここからの夕日だ。何か嫌なことがあると、必ずと言っていい程ここに来る。
……でも、本当に?
不意に京子は夢の内容を思いだす。あまりにも鮮明な夢……。夢だけれど、あの時の自分だけを逃す父さんの姿がそのまま重なるのだ。
と、雷が額を指で突っついた。
「皺、寄ってるぞ」
『……早く起こして』
雷に言い返そうとした京子の胸に、声が突き刺さる。
「……誰!?」
周囲に目を走らせた京子は、怪訝な表情の雷に突き当たる。
「どうした?」
……気のせいだ。
「なんでもない」
しかし雷が大きく息を吐き、京子の頭をかき回した。
「あんまり悩むな」
頷いた京子の手元に、ぽんと箱が乗せられた。
「……これ?」
「誕生日プレゼント。と言っても、俺からじゃないよ」
「うそっ。開けていい?誰から!?」
苦笑する雷は無言で促した。
「親父から」
いかにも手作りな梱包を解くと、そこには銀色の、何の装飾もないブレスレットが。
「えっと……」
なぜだか妙に魅きつけられる。
「お前の、お母さんのだと。今日まで渡すの躊躇ってたらしいぞ。しかも渡す役俺だし」
……お母さん。
朧気に浮かぶ輪郭。
「これ、着けていいかな」
躊躇う京子に笑いかけ、雷はブレスレットを取る。
「訊くなよ。お前のだろ」
それを京子の左手首に。
「……あれ?」
今、何かが……。
京子の意識が飛んだ。
「しょう……りゅうき」
直後、ブレスレットに光が疾り、京子を中心に波動が閃いた。
ずくん
何かが胎動した。