木枯らしと枯れ葉の舞 —秋の章—
秋を司る者が、一人。
内巻きの髪はこげ茶。
とどまる熱を、払いのけ冷ます。
揺れる目は歌う、休息の歌を。
木枯らしを呼び、秋風と舞う。
その者の名は——。
「あづいよー……」
東京。
まだまだ暑い街の中を、男の子は歩いていました。
「全く、こんな暑い中お使いなんて、嫌だなぁ」
ぶつくさ言って歩いていると、男の子は言い争いをしている女の人を見かけました。
「そっ、そろそろ撤退してください! お願いします! 南風さんを退かしてください!」
「えーっ、やだよお。もっと遊んでたいのー!」
おどおどとした話し方をする、内巻きの茶色い髪の毛の女の人に、自己主張の強い短い茶髪の女の人の2人のようです。
「困りますよ……! 神様から秋のお告げが来たんですから! お……お願いします!」
「やーだよっ」
「ひどいです、セナさん……」
その時は、男の子は(不思議な会話だなぁ)と思いながら通り過ぎただけでした。
そして、その翌日頃から秋雨が降り始めました。
それから何日か経って久々に晴れた日に、男の子は再びあの女の人を見ました。今度はおどおどした感じの人だけ。路地の隅で、悲しそうに俯いています。
「……あ、あの。どうかされましたか?」
思わず声をかけると、「ふぇっ⁉︎ は、はい?」と叫ばれて、男の子の方が驚いてしまいます。
「あの、どうかされましたか?」
「あー、いや、その……君、口は堅い方?」
「まあ……はい」
それを聞いた女の人は、ひそひそっと囁きます。
「実はね……私、田戸未唯那っていうの。秋を司る者なの。南風を追い払い、秋風を吹かせて、木の葉を枯らして、休息の歌を歌う者。だけど……私、葉っぱが枯れるところを見たくないし、風を操るのも苦手なの。というか……そもそも『司る者』っていう役割が私には合ってないのよ……何かを操るって苦手」
「? どうしてですか?」
「……だ、だって、それって、支配することじゃない?」
未唯那はふるふると首を振りました。
「わ、私にはそんなこと、できない。毎年毎年、秋風を操ることもなく自由奔放に吹かせてた……そしたら、気が済んだ時に夏を司る世奈さんが南風をどかしてくれるから。私が何もしなくても、秋の終わりには冬のお告げが来た時に、冬を司る留美さんが、秋風を追い出してくれるから。私、仕事をまともにしたことがないの。歌って木々や草花に休息を促すことしか、したことがない」
「……」
「どうしよう。どうやったら、南風を追い払えるの……?」
涙をほろりと流す。
男の子は少し考えて、言いました。
「……歌いましょう、未唯那さん」
「ふぇっ⁉︎」
「歌を歌うんです。そうしたら、秋風が一緒に歌ってくれるかもしれない。未唯那さんを助けてくれるかもしれません」
男の子は考えました。秋風を操る力を持つ未唯那が歌えば、それにつられて秋風が吹き、南風を追い払えるかもしれない、と。
「……」
「未唯那さん、南風を追い払ってもらえないと……僕たち、暑くて大変なんです」
「!」
未唯那は、はっとしたような顔になります。
「そ……そうだね。私の仕事は、季節をあるべき通りに変えること。や、やってみるよ」
未唯那はすうっと息を吸うと、美しい声で歌を歌いだしました。
それと同時に、未唯那の吐く息が秋風に変わり、あたりの温度が少し下がります。
歌を歌うのが好きなのでしょう、未唯那は微笑みながら歌います。そのうち、楽しくなってきたのか、空へと舞い上がって秋風と舞い始めました。
熱気が、どんどん消えていきます。
「……あーあ、やられた」
振り返ると、この間未唯那を言い負かしていた世奈が立っていました。
「私はもう撤退すっかぁ」
そう言って、世奈はその場を歩き去っていきます。
歌を終えた未唯那は舞い降りてきて、髪の毛を摘み、ぎゅっと目をつぶり、一本抜きました。すると、その髪の毛から、秋の子が生まれます。
「は、初めましてっ!」
「は、初めまして、クレハ」
「クレハ?」
不思議そうに首を傾げる秋の子に、未唯那は言いました。
「あ、あなたの名前。あなたの名前は紅葉なの。……紅葉、ここで秋の歌を歌って」
「えっ⁉︎ う、うん! 分かった!」
「いい子だね、紅葉。お願いね」
未唯那は男の子に向き直ると、「ありがとう」と言いました。
「秋風を操ることは、支配することじゃない。……ううん、そもそも私は、秋風を操らなくてもよかった。秋風と友達になって、一緒に歌って、舞えばよかったんだ。気付かせてくれて、ありがとう」
「いえ、お役に立てて、うれしいです」
男の子が笑うと、未唯那は何やら決心したように言いました。
「私、北の街に行ってくるね。秋風と一緒に、秋をもたらしてくる」
その目は不安げに揺れていましたが、その声はしっかりとして、もう揺れていません。
未唯那は舞い上がり、言いました。
「安らぎの歌を歌いましょう! この記念すべき秋の始まりを祝福して!」
そして未唯那は歌いながら、北の街へと去っていったのでした。
その数ヶ月後。
冬を司る者、留美は北の街を歩いていました。北風を少しずつ吹かせながら。
「未唯那、もう冬のお告げが来たのよ。そろそろ撤退して頂戴。……というか、珍しいわね。いつもなら北風を吹かせたらすぐいなくなるのに」
するとそこに、未唯那が現れます。
「たまにはいいじゃないですか、留美さん。今年は、秋風を操るのが楽しくて仕方がなくて」
その言葉に、留美は細い目を丸くします。
「あらっ、珍しい。しかも今年はちゃんと自分の意思で秋風を操っていたじゃない。そんなの初めてでしょう? 一体どうしたのよ? 熱でも出した?」
「まさか。今までは歌うことと舞うことが、こんなに楽しいことだとは知らなかっただけですよ。毎年世奈さんが南風さんを撤退させない理由が分かった気がします」
未唯那の楽しそうな微笑みに、留美は思わず頬が緩みます。未唯那がこんなに笑っているのを見るのは、実は初めてでした。
いつもの未唯那なら、話しかけても何も応えられないか、おどおど、ぼそぼそと話すだけ。でも、こんなに明るく話しています。しかも、満面の笑みで。留美としてはこんなに嬉しいことはありません。
「なら、例年は私だけで吹かせていた木枯らしですけれど、今年は特別に、2人でやりましょうか」
「やります!」
即答する未唯那。それを聞いて微笑む留美。
2人は、空へと舞い上がりました。
未唯那は歌い、秋風は辺りを吹き渡ります。
留美は舞い、北風は秋風と共に吹きました。
風は木枯らしとなり、秋の終わりと冬の始まりを告げる歌と舞になります。
「安らぎの歌を歌いましょう。終わりゆく秋を祝福して」
「冬の始まりを祝福しましょう。この素晴らしい日を記念して」
その声を聞いて、様々な場所で、紅葉のような秋の子と、氷のような冬の子が共に歌いだすのが、2人の耳には聞こえてきました。
木枯らしは吹く。終わりと始まりの歌と共に。
その年の木枯らしは、例年よりも強く寒いものとなりました。
秋を司る者が、一人。
内巻きの髪はこげ茶。
とどまる熱を、払いのけ冷ます。
揺れる目は歌う、休息の歌を。
木枯らしを呼び、秋風と舞う。
その者の名は、田戸未唯那。
安らぎの秋を、祝福する者。