北風と氷雪の舞 —冬の章—
冬を司る者が、一人。
長い黒髪に白い肌。
赤い唇、赤い頬。
切れ長の目には宿る雪。
凍る息を吐き北風と舞う。
その者の名は——。
日が暮れた、北の街。
「うう、やっぱり寒いなぁ」
北の街に越してきたばかりの女の子が、駅から出るなり呟きました。その格好は、東京ではまだ事足りそうですが、この北の街では寒そうで目立つ姿でした。周りの人は、なんでこんなに寒そうな格好なのかと怪訝そうな目で女の子を見ています。
「こんなに寒いなんて知らなかったよぉ」
女の子は、家まで歩き始めました。かかる時間は、およそ20分。
女の子はぐちぐち文句を言いながら歩きます。裏通りを歩いているので、車も少なく、人もほとんどいません。
途中で、小さな神社の前を通ります。
(昔から神社でしたお願い事が叶ったなんて話を聞いたことがない)
(お願い事なんてしたこともない)
(そんなもんなんだよ)
(神様なんか、いるわけない)
内心神社を軽く馬鹿にしながらも、女の子はふと立ち止まり、その社を見上げます。その神社は小さく、神主がいるかどうかも、女の子はよく知りません。
(神社なんて、嫌い)
そう思った、その時。
「ふふふ、あはは」
小さな声がしました。
(えっ?)
目を凝らすと、お賽銭箱のあたりに何かがいます。
(えっ、何?)
怖さと好奇心がせめぎ合い、結局好奇心が勝ちました。女の子はゆっくりとお賽銭箱に近付きます。何故かお賽銭箱に近付けば近付くほど、寒くなっていくようです。
「あれ? 女の子だあ! こーんばんわ! お詣りに来たのぉ?」
それは、幼稚園生ぐらいの可愛らしい男の子。話し方も、どこかあどけなさを感じます。
「え、いや、私は別に——」
「僕もお詣りにきたんだよぉ! 一緒にしようよ!」
「え、だから私は——」
「はい、これ!」
男の子は女の子の話を全く聞こうとせずに、なにかを女の子に渡してきました。
「ご縁があるように、5円玉!」
「……これ、5円玉じゃないよね?」
「5円玉だよお」
たしかに男の子が渡してきたのは5円玉です。
ただし、それは氷でできていました。
「……分かった分かった」
女の子は渋々うなづくと、冷たいそれを、ぽいっとお賽銭箱にそれを投げ込み、適当にガラガラと鈴を鳴らし、二回手を叩き、そのまま礼をしました。願い事など、何もしていません。
すると突然、男の子が怒り出します。
「ダメだよダメだよ! お参りの仕方が間違ってるよぉ!」
「えー……お詣りなんてしたことがないもん。興味もないし」
そう。正月や七五三に、親に無理やりお詣りに連れていかれたとしても、いつも親が真剣に目を閉じて祈っている横で、何もしないで突っ立っていたのがこの女の子でした。いや、もしかしたら幼い頃はやっていたのかもしれません。でも、いつしか意味のないものだと思い始めた女の子は、お詣りをしなくなったのです。
「ほら、そこにやり方が書いてあるでしょ! まずは2回礼をして、次に2回手を叩いて、そのあとお願い事をして、そのあと手を下ろして一礼するの!」
「えー……はいはい」
「じゃ、やりなお——」
「こら、ヒョウ。まーた遊んでばかりで仕事をサボって!」
突然男の子の声を遮った人がいました。
「もう、しっかりして頂戴よ」
振り向くと、そこには美しい女の人がいました。
その人は水色のワンピースに白のファーコートを着て、ガラスのような靴を履いています。
その姿を見るなり、男の子の顔からサッと血の気が引いたのが分かりました。
「……ご、ごめんなさい! ちゃんと仕事するから!」
「もう、これで注意するのは100回目よ」
「ちゃんとやるから! ね! 『百度目の正直』って言うでしょ⁈」
「言わないわよ。『三度目の正直』なら言うけれど」
「しかも僕、遊んでないから! 神さまにお詣りしてるところだったの!」
「その言い訳、もう40回も使ってるじゃない。それに、人様を巻き込む必要はないわよね? 彼女は嫌がってたじゃない」
「えっ⁉︎ そうだったの?」
女の人は、はぁとため息をつきます。
その瞬間、気温が下がったように感じたのは気のせいでしょうか?
女の人が、女の子の方を振り返ります。
「ごめんなさいね、うちのヒョウがご迷惑をおかけしたようで」
「いいえ……。その子、ヒョウって言うんですか?」
「そうよ。この子はタチバナヒョウ。私はタチバナルミよ。あなたは?」
「私ですか? 犬童冬華です。名前に冬ってあるのは冬に生まれたからってだけで……冬が好きなわけじゃないです」
冬が好きではない、と聞いたルミは、少しだけ悲しそうな顔をしました。
「あら、そう……」
その顔を見て、冬華は慌てたように言いました。
「あ、あの、冬がお好きなんですか? なんか、ごめんなさい。私は雪も好きだし、冬空も綺麗なのでそれは好きなんですよ? ただ、寒いのが苦手なだけなんです。……わがままですよね。それで、ついつい冬が嫌いって言っちゃうんです」
それを聞いたルミは、少しだけほっとしたような、嬉しそうな顔をします。
「私も雪、好きよ。冬空も好き。それに寒いのも割と好きな方だから……ごめんなさいね。そう、私が一番好きな季節は、冬なのよ」
ルミはそう言って微笑んで、
「さあ、ヒョウ。そろそろ仕事に戻るわよ」
と言いました。ヒョウは「うん!」と言うと、お賽銭箱に氷の5円玉を投げ入れ、2回礼をし、2度手を叩き、何かを願って、もう一度礼をしました。
「何をお願いしたの?」
冬華が問うと、ヒョウは「それはねぇ」と言ってから、
「今年の冬も、素敵な冬になりますよーに!」
と思い切り叫びます。
「素敵な願い事ね、ヒョウ。さあ、そのためにも仕事に戻りましょう」
「はぁい」
「冬華さん、ヒョウに付き合ってくれてありがとう。お礼に、私の秘密を教えてあげるわ」
ルミがそう言うと、ヒョウが「ねえ! あれやっていいの?」と問いました。
「いいわよ」
ルミが言うと、へへ、とヒョウは笑って、
「雪よ! この街に降り積もれ!」
そう叫んで、思い切り手を広げました。
その瞬間、しんしんと雪が降り出します。
そしてヒョウは、ふわりと宙に浮かぶと、そばにあった手水舎の水を凍らせ、そして、どこかに飛んでいなくなってしまいました。
ルミはそれを見て微笑み、ふうっと息を吐きました。その息は北風となり、あたりを駆けていきます。ルミがやめなさい、と言うように手を出すと、北風は吹くのをやめます。
「私は立花留美。冬を司る者。北風で秋を退け、雪を積もらせ、氷を張り、この息でこの国を寒さで包み、北風を操る者。氷は私の髪から生まれた冬の子なの。さあ、早く家にお帰りなさい。あなたが家に着くまでは、あなたが北風に吹かれないようにしてあげる。そして今夜のことは、誰にも言わないで」
雪女のように見える留美は、白い指を自らの唇にあてました。まるで、しいっと言うように。
「分かりました。ありがとうございます!」
冬華は神社を出て駆け出しました。体はすっかり冷え切っています。早く暖かい家に帰らなければ。
留美はふふ、と笑って空へと舞い上がり、家へと帰り着いた冬華を見届け、自分の腕を振るいました。そうすればたちまち束縛を解かれた北風は、北の街の大地を吹き荒れます。
「この素晴らしい夜を記念して。この国に素敵な冬が訪れますように」
そう言った留美の手の上には、氷の結晶が舞っていました。
冬を司る者が、一人。
長い黒髪に白い肌。
赤い唇、赤い頬。
切れ長の目には宿る雪。
凍る息を吐き北風と舞う。
その者の名は、立花留美。
凍れし冬を、祝福する者。