王国魔剣奇譚(下)
「……勝負ありましたわね」
暴風の壁、『ハリケーン・ドライバー』によって微かにしか見えない決戦を具に眺めながら、ドロスは呟いた。
その顔には微笑み。クロードの勝利を確信した、そんな笑みだ。
「追い詰められてどうなるかと思いはしましたが……彼、中々やるでしょう?」
「……まだじゃ! アイン少年もリムルヘヴンも、まだ勝負は捨てておらん!」
アリスが焦燥に叫ぶ。未だ彼女は勝利を信じてはいるが……成り行きの危うさに不安は禁じ得ないのだ。それはソフィーリアやジェシー、ミリアやラピドリーも同様であった。
「アイン、頑張って……!」
「クロードくん、もう止めて!」
「リムルヘヴンちゃん、体力は持つの……!?」
「ちっ……全身焼かれてもまだこんな力を出せるのかよ!」
各々が祈りや声援、戸惑いの声をあげる。
もはや誰にも手出しのできない状況で、しかし『オロバ』幹部、ミシュナウムは動いた。
「では行くかの、ドロス……あの小僧を回収すれば良いのかえ」
「ええ。風の魔剣はこれで『宿命魔剣』のコアとして完成するでしょうしね」
「貴様ら、逃しはせぬぞっ!」
あからさまに逃げる算段を付けるドロスとミシュナウムに、アリスがすかさず飛び掛かった。
「ヴァンパイア・アリス!」
「各員、そこのババアは任す! わしはこの、糞アマをぉっ!」
「お……おうっ!!」
己の身を霧と変えて肉薄、まずはドロスに組ついた。複雑な体勢にて相手に組み付き、その全身の関節を力任せに歪める。
そしてすぐさまラピドリーたちに指示を飛ばせば、さすがは冒険者といったところか、即座に一同はミシュナウムに攻撃を仕掛けた。
「逃がさねえぞ、婆さん!」
「覚悟っ!」
ラピドリーとジェシーがそれぞれ、愛用の剣を以てミシュナウムに斬りかかる。連携を意識しているその斬撃の軌道は、互いに互いの隙をカバーした必中のコンボだ。
しかしてミシュナウムは鋭い眼光と共に、ローブの下から何かを放つ!
「ガキどもが舐めおって……『15569号』、防げ」
『ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち』
「な……!?」
異様な鳴き声をあげたそれは、生物だった……だが誰も見たことがない、極めて特異な形状をしている。
人間の頭部くらいはある大きさの、蜂のような生物だ。耳障りな羽音を立て、鋭い顎を開閉させている。何より、蜂であれば尾にあたる部分が奇妙なことになっていた。
まるで蜘蛛のような下半身。その先端には針ではなく、強い粘性を持つ糸が垂れ下がっていて──ミシュナウムのローブから出てくるや否や、空に飛び上がりその糸をラピドリーとジェシーの父娘に向けて放出したのだ。さながら、蜘蛛の巣のように。
「う──おおおっ!?」
「父さん!? え、何この!?」
放たれた糸は父娘へと襲い掛かり、覆い被さるようにして舞い降りた。糸ながら重量がある、強粘性のそれに半ば押さえ付けられるようにして地面に伏せた二人は、行動を停止させられた。
「ラピドリー、ジェシー!? 貴様、あれは何じゃあっ!?」
「が……か、ぐ、ぅっ……ぐぁ、ふ、ふふっふ……」
アリスが驚愕して、咄嗟に組み付いたドロスを締め上げる。亜人相手だからとヴァンパイアとしての膂力を全開にしての関節技は、既にギルド長の骨をいくつか外している。
あまりの激痛に身悶えしながらも、ドロスは、質問には嘲笑で返した。
「な……何だこりゃあ!? ど、どういう生物だぁ!?」
「う、動けない……あ、うっ! 動く程、絡まって……んくっ!」
一方でラピドリーもジェシーはまったく身動きが取れない。せめてあの、謎の生物が攻撃を仕掛けてくるのを避けたいのにと焦るのだが、防御も回避も叶わない。
──と、そんな二人の眼前にいきなり、どさりと重量のある物体が落ちてきた。先程の、蜂に似た生物だ。どういうわけかひどく消耗している。
『ぎちぎちぎち……ぎちぎ……ぎち』
「ふぅむ。『15569号』の捕縛糸は、ある程度の腕の冒険者でも楽に制圧できるかい。しかし一つ放てば力尽きるのが難点だの。廃棄」
『ぎ──』
ミシュナウムが謎の生物を踏みつけ、殺した。ぶちまけられた体液を眼前ゆえに浴びた二人が、息を呑む。
そんな老婆に高速の矢が射られた。ソフィーリアのライフリング・ボウによるものだ。
「む……? ほほ、中々凝った玩具を拵えとるの、小娘」
「っ……き、効いてない」
「えぇぇいっ!」
胴体に刺さったようではあるが、リアクションは薄い。あるいはローブの下、防具を纏っているのかも知れなかった。
次いでミリアがミシュナウムに襲いかかった。彼女は非戦闘員だがリリーナから護身術を学んでもいる。老婆一人、どうともできないわけがない。
老婆はすぐに後方に下がり、そのまま指を一つ鳴らした。
「『特1型A95号』、来い」
『ぐぅぁぁあるぅあああああぁっ!』
「え──」
その瞬間、遥か崖下の海から一匹、巨大生物が空を飛び現れた。
蜥蜴めいた爬虫類らしい姿だが、翼が生えている。その眼光は瞳孔が縦に開き、威圧感に満ちて周囲を圧倒する。
空を飛ぶ大きな蜥蜴。そんな馬鹿な。
その場にいた全員が呆気に取られる中、ミシュナウムは老婆とも思えぬ跳躍で蜥蜴の背に乗った。
そして上空へと飛び上がる蜥蜴とミシュナウム。誰も、こうなると止められなかった。
「ドロス、抜けられそうかえ?」
「か、が……っ、む、り……みた、い。さ、き、いっ……て」
「そうか……置いていくでな。グズグズしとると本当に勇者が来よる。あの小僧は終わり次第回収するで、安心してひとまず休め」
「え……ぎ、ぃ。そ、す、るぅ……ぐ、ぇ」
もはや顔色が青白いを通り越して土気色にまでなっているドロスにそう告げて、ミシュナウムは遥か高みへ……『ハリケーン・ドライバー』の周囲を旋回するように飛んで見せた。
「ぐ、ぐ……っ!! またしても、よく分からぬ代物ばかり……っ!」
「……」
怒りを隠すことなくアリスは全身に力を込めた。意味不明の、まるで理解できない怪生物に翻弄された今、せめてドロスだけは逃がすまいとしているのだ。
既にドロスの全身はバラバラだ、粉砕している箇所も少なくない。当然意識もないし、目覚めたところで激痛でまた気絶するだろう。亜人とてここまですれば、自然治癒でも数ヶ月掛かるといったところにまで痛め付けていた。
「しかし、どうしたかなこやつ……ここで殺すか、生かして情報を引き出すか。しかし生かしといてもろくな真似せん気もするんじゃがのう」
ドロスの処遇を決めかねて、アリスは難しげに息を吐いた。情報を引き出せそうなら生かしておいて良いとは思うが、何しろギルドも『オロバ』もセーマさえも手玉にとった、とてつもない悪女だ。さっさと殺して後顧の憂いを絶っても良いようにも思えてくる。
「まあ、ひとまずここまでやればもう抵抗できんじゃろう。後はご主人が来たら──」
「『ボルケーノ・ドライバー』ッ!!」
「──何とぉっ!?」
判断に困り、セーマに舵を委ねようとアリスが頷いた、その時──アインの声が響いた。
未だ粘糸に絡まっているラピドリー、ジェシー親子も、それをどうにかせんと奮闘するソフィーリア、ミリアも……そしてアリスも、声の方、戦いの地を見る。
──天まで昇るマグマの火柱が、荒れ狂っていた暴風をさえ、呑み込んでいた。
アインの激怒に呼応して発現した、炎の魔剣最終段階『ボルケーノ・ドライバー』。
叫びと共に魔剣を大地に突き立てる。変化はすぐに現れた。『ハリケーン・ドライバー』の中心地点、すなわちクロードの真下の大地に亀裂が走ったのだ。
「大地の奥底を流れる偉大なるエネルギーよ! 僕の意に従えぇっ!!」
咆哮と共に、それは訪れた。
勢い良く大地を押し上げて吹き上がるマグマ。溶岩さえ巻き上げつつ天へと向かって噴火する莫大な熱エネルギーとそれによって発生した衝撃波が、『ハリケーン・ドライバー』の暴風を吹き飛ばして打ち消した。
大地に落ちてくる流星群のような溶岩。とても避けきれるものではなくリムルヘヴンも身構えるのだが、不思議なことに彼女の方には一片たりとも向かわない。
「この『ボルケーノ・ドライバー』も、これまでの技と同じく対象以外は傷付けない。そしてマグマはもちろん溶岩さえも……僕の意のままに動く!」
「凄まじい……これが、アインの『最終段階』か!」
眼前にて示された『最終段階』への進化とその威力。明らかに『ハリケーン・ドライバー』をも上回る出力だが、アインは完全に制御していた。
その制御能力にて降り注ぐ溶岩をすべてクロードに目掛けて放つ。
吹き上がっていたマグマはひとまず落ち着いている……まずは吹き上がるマグマとそれにより発生する衝撃波。そして次に天上から降り注ぐ溶岩流星群による、二段構えの必殺技。
それが『ボルケーノ・ドライバー』であった。
「く……『ハリケーン・ドライバー』ッ!!」
凄まじい量の流星群が、一気に襲いかかる。目の前の脅威を退けるべく、クロードは再び『ハリケーン・ドライバー』を放った。
巻き起こる暴風。しかし次々とぶつかってくる溶岩に勢いが削がれていき、終いには少なからぬ量の流星めいた溶岩が暴風を突き抜けて彼に迫る。
「ぐううう!? さ、『サイクロン・ドライバー』ッ!!」
暴風の中、更に突き出した魔剣から豪風を放つ。複数能力の同時行使……彼の並々ならぬ才能と素質の成さしめる特殊技能だ。
それによって『ハリケーン・ドライバー』を抜けて迫る溶岩を更に叩き落としていく。四方八方からやってくるものを片っ端から落としていくため、すっかりアインとリムルヘヴンは意識の外だ。
──無論、それを機とせぬ二人ではない。
「行こう、リムルヘヴンさん……これが最後だ」
「呼び捨てで良い、アイン……認めてやる。貴様は人間だが、それ以上に敬意に値する戦士だ」
魔剣を握りしめ、二人顔を見合わせる。ここに来て彼と彼女の間には、不思議な友情じみたものが芽生えていた。死線を共に潜り抜けた、世界にたった三人の……いや、もうじき二人だけになる、魔剣士同士のシンパシー。
だからこそ、言葉少なにお互い頷いた。邪悪に染まった風の魔剣士を倒すために。『オロバ』の野望を、打ち砕くために。
「……行くぞ、アイン!」
「リムルヘヴン、行こう!!」
二人は駆けた。未だ降り注ぐ溶岩の対応に苦慮するクロードは気付いていない……『ハリケーン・ドライバー』、酷く弱々しくなっている!
「『タイダルウェーブ・ドライバー』!!」
リムルヘヴンが最後の一発を放つ。先程と同様、洪水がクロードの真上から突如として流れ込み、暴風をかき消さんとする。
「!? な、めるなぁぁぁっ!!」
しかしクロードもそれに気付き、即座に真上に向けて『サイクロン・ドライバー』を向けた。
洪水が真下からの風で分散し、周囲に散らばる……『ハリケーン・ドライバー』は消えたが、同時に『ボルケーノ・ドライバー』の溶岩も無効化される。
『タイダルウェーブ・ドライバー』もかき消えた。リムルヘヴンが消したのだ……直接己の手で、決着を付けるために。
そしてクロードもアインとリムルヘヴンに向け、駆け出した。
目一杯の力を込めて、魔剣の力を放つ。
「『ウインド・ドライバー』ッ!」
対する二人もこれが最後と、ありったけを込めて魔剣の力を解き放った。
アイン、リムルヘヴン、そしてクロード。今、直接ぶつかり合うそれぞれの魔剣。
「『ウォーター・ドライバー』ッ!」
「『ファイア・ドライバー』ッ!」
最初で最後の激突。炎と水と風がぶつかり合って、そして。
呆気ない程に、あっさりと──
「そ、んな……ばかな……!?」
風の魔剣は、柄から刀身から埋め込まれた緑の石を除き、粉々に砕け散った。
力が発揮された魔剣を二本、同時に相手取れるだけの力は……さしものクロードにも風の魔剣にもありはしなかったのだ。
「これでぇっ!!」
「終わりだぁッ!!」
当然、武器がなくなりがら空きになる、風の魔剣士の胴体部分。
吸い込まれるように、二人の斬撃がクロードを裂いた。




