恐るべき女、ドロスの企み
王国南西部は荒野地下に潜んでいた『オロバ』アジトを壊滅させたセーマたち。首領とバルドーこそ取り逃がしたが、これで局面はいよいよ最終盤を迎えたと言っていい。
そんな折、奇しくも鉢合わせてしまった魔王マオと『タイフーン』ロベカル、そして『クローズド・ヘヴン』の二人、ゴッホレールとカームハルト。
かつての戦争を引き起こした張本人との対面、しかもセーマと親しい仲であることに困惑したロベカルに対して、今はひとまずの説明が行われていた。
「──というわけで、今この魔王は俺の家族として館で暮らしているわけです」
「……なんと、も、はや」
絶句を通り越し、顔面蒼白になる老翁。傍で話を聞いていたゴッホレールとカームハルトも、息を呑んでいる。
無理もなかった……ことここに至りセーマは、己の素性と戦後について包み隠さず話したのだ。
異世界から妹共々拉致され、改造された挙げ句に人質を取られ已む無く戦場に立ったこと。戦争中の変遷と、そして──絶望の結末から復活へと至る、救いの物語。
「……正直、マオには当時から何も恨みはなかった。怒りも、憎しみも。ただ妹を助けるため、殺せと言われたから殺しただけでした」
「まあ命からがら助かったんだがね。そんでもってその後は、今彼が言った通りさ……彼の末路を強引にねじ曲げてやった。私を倒した男が幸せでないのは腹立つしね」
「そう、じゃったのか……!」
衝撃的な事実に、ロベカルはどうしようもなく呻いた。
多くの若者を殺したかの戦争の首魁は、しかし恩人の恩人であり、そして今では家族同然の関係を築いているという。
許せない……けれど、セーマの手前を考えればそうとも言えない。ゴッホレールやカームハルトもそこまでの葛藤はないにしろ、複雑な思いで腕を組み悩んでいる。
そんな冒険者たちに、セーマとマオが言った。
「……マオを恨むなとか言うつもりはありません。俺やこいつ自身の事情がどうあれ、人間にとって魔王とは殺しても殺したりない邪悪そのものだ」
「勇者殿……」
「ただ、俺個人はもう、マオの敵にはなれません。もちろん、こいつがまた人様に迷惑をかけるならその時は止めますが、それでも……俺はもう、この魔王を大切な家族として認識している。力になりたいし、一緒に生きていきたい」
セーマの告白には、後ろめたさも罪悪感も迷いさえない。マオの人間に対しての所業を把握した上で、それでもなおそれを気にしていなかった。
勇者として世界を救った英雄のイメージとはかけ離れた姿勢ですらあるが、それも仕方がないとロベカルたちは受け止めざるを得ない。
王国の、この世界の人間の所業……何ら無関係の兄妹に対して行った仕打ちと今に至るまでの艱難辛苦を思えば、セーマの思想が人間に寄らないものとなっていても仕方がない。
むしろそれでも人間世界を救い、今もなお力を貸してくれていることが驚嘆すべきである。
それらを踏まえて、ロベカルは深く呼吸を繰り返してから答えた。
「……勇者殿がそこまで仰られるのならば、わしは、それも良いかと思います」
「ロベカルさん、それは」
「しかし、やはり……許せぬ思いはあります。ゆえに、どうかわしの前にそやつの姿を、なるべくお見せにならないようお願いいたします」
そうして、極力マオを視界に入れないまま……ロベカルは頭を深々と下げた。
これが老翁にできる精一杯の譲歩だった。本音を言えば許せるわけもないし、敵わぬと分かっていても一矢報いるべく殴り掛かりたい思いすらある。
けれどそこを堪えて、ロベカルは勇者セーマへの信頼と恩と感謝と、そして敬意を重んじたのだ。すべてを踏みにじられてなお世界を救った英雄への、せめてもの恩返しであった。
そんな老翁の心情を想い、セーマもまた、頭を下げた。
「分かりました……ご配慮、ありがとうございます。申し訳ありません、辛いご決断を」
「いえ……勇者殿が歩まれた苦難を思えば、これしきの何が辛いものでしょうか」
「セーマさんが、異世界から来たなんてなあ……」
「ずーばーり! まさしくお伽噺、ファンタジー世界の住人だったわけですねえ」
ひとまず話の付いた二人に、ゴッホレールとカームハルトが話しかける。二人とて複雑ではあったが、戦争の当事者たるロベカルが妥協したのだからそれで良しとする構えだ。
話を変えがてら異世界について触れると、セーマは苦笑して返した。
「俺からしてみればこの世界こそファンタジーなんだけどな……異世界なんて本当にあるとも思わなかったし」
「そうですのう……まさか、異なる世界とは」
互いに異世界という、まさしくファンタジー世界の話に想いを馳せる。異なる世界、別の世界……とてつもないスケールを改めて感じていると、マオが呆れて話しかけた。
「そんな話は全部済んでから飲み屋でやれよ……そもそも何で荒野で皆殺しなんてしてたんだ君? 村の近くで風の魔剣士とやらの相手をしてるんじゃなかったのか」
「あ、ああすまん。一仕事終えた気分でのんびりしちゃってたな」
立て続けに色々とやってきたところ、ようやく一段落ついたかとついつい気が緩んでいたところを指摘され、セーマが頭を掻く。
そしてこれまでの成り行きをかいつまんで説明すれば、マオはふうむと呟いた。
「それなら今頃アインの小僧やアリスたち、そのクロードとやらに襲撃されてるんじゃないのか?」
思わぬ言葉だった。セーマはおろか、マオに対して敵意のあるロベカルでさえも思わず彼女の方を見て目を丸くする。
どこか張り詰めた空気を肌で感じながら、セーマは問うた。
「……何故、そう思うんだ?」
「だってお前、ここにいるじゃん」
この上なく簡潔な答えが指差しと共に返ってきて、思わず絶句する一同。
ん? と怪訝な顔になりつつもマオが説明する。
「小僧目当ての連中にとって一番目障りなのは間違いなくセーマくん、君だぜ? となればまずは君と小僧の分断を図るだろうよそりゃあ」
「いや……いやいや。魔剣士……クロードくんだってそれなりに体力使ってたみたいだし、そんなすぐには」
「君と小僧が離れてるなんて千載一遇の好機にそんなこと気にするわけないだろ。ましてや仕組んだ通りに動いてるんだろうからさ、余計に何がなんでも仕掛けるよ」
その言葉にセーマは、ヒヤリとした感覚に身を震わせた。仕組んだ通りに動いている……誰が? 考えるまでもなく、自分たちが。
誘導されていたのか。ロベカルが声を震わせて叫んだ。
「こ……この状況そのものが、仕組まれとったというのか!? 魔王!」
「そうとしか考えられないだろ……ドロス? とやらの仕業だな。爺さんに嘘吐いたのも仕込みだぜ、恐らく」
「……!?」
憎き魔王相手であることも構わずにロベカルが問い掛け、そして絶句する。ドロス……今や『オロバ』であることが確定したギルド長は、ここに至るまでの画を完全に描いていたというのか。
「魔剣絡みの案件だ、小僧は動くに決まってる。そしたら当然セーマくんも付いてくるだろう。だからドロスはどうにかセーマくんを小僧から離したかった。そうしないと君がすべて終わらせかねないからね」
「だ……だからって、ロベカルさんに嘘を吐いた理由は」
「そこの爺さんとヴァンパイアとで話が食い違ってるから、確認がてらここに来たんだろ? じゃあつまり爺さんに嘘吐いたのは、君にアジトを襲撃させるためなんだろうさ」
確信を秘めた声音。マオはもはや疑う余地もないと断言しているかのようだった……すなわち、ドロスの掌の上でまんまと踊らされていたことにである。
認めがたい話だと、老翁が反論した。
「馬鹿な! そもそもリムルヘヴン殿に魔剣を渡したこと自体、ドロスにとっては偶発的な事態だったはずじゃ!」
「そ、そうです。ずーばーり! 魔剣がギルドに持ち込まれることも、リムルヘヴンさんが復讐のためギルドにやって来ることも、彼女の予定には本来ならば無かったと考えられます!」
ロベカルの言う通りだと、カームハルトも訴えた。ゴッホレールもうんうんと頷く。
だがセーマだけは、深刻な面持ちで考えていた。少しして、呆然と呟く。
「嘘だろ……まさか即興で描いたのか、この画を」
「じゃないかな。用意周到とは言いがたいし、たまたま良い具合に条件が整ったから仕掛けたんだろうけど、それに君らはまんまと嵌まっちゃったわけだなあ」
「ど、どういうことですか勇者殿!?」
「……つ、つまり」
セーマは話し始めた──つまりはこういうことだった。
ギルドに魔剣が保管され、リムルヘヴンが復讐のため相談しに来た……その状況に際して、ドロスは閃いたのだ。
『リムルヘヴンに魔剣を渡し、己が内通者であることを匂わせれば……タイミングによっては勇者は集団を離れて単身、アジトを襲う』と。
無論、すべてを確信していたわけではないのだろう。事実としてリムルヘヴンがアインの窮地に横槍を入れたのは偶然に近い。
最初にアインが襲われたタイミングで、ストレートにクロードがアインを下すならばそれはそれで良かったのだ。
だがそうはいかなかった。横槍が入りアインは生還し、リムルヘヴンはセーマたちと合流した。
そうなってくると活きてきたのがロベカルへの嘘だ。リムルヘヴンの証言と明らかに異なる話……それにより、ギルド長の内通疑惑という断じて捨て置けない要素が発生したのである。
当然、誰かしらドロスの捜索に当たるだろう。そうでなくとも行方不明者だ、早晩見つけ出さなければならない状況であったが……ドロスはそこに『オロバ』との関連を匂わせることで、荒野のアジトを行方の有力候補として仕立てあげたのだ。
となると亜人だらけの『オロバ』アジトへの殴り込みだ……間違いなく実力者、間違いなくセーマはそちらへ向かうと読んだのである。
「そして、見事にその通りになった……ドロスは、お、『オロバ』をさえ、俺を誘き出すための囮にしたんだ」
恐怖すら感じてセーマが呟いた。己の思考と行動が、すべて誘導されていたことへの恐怖だ……久しぶりの、背筋が凍る感覚である。
ロベカルもゴッホレールもカームハルトも、揃って同じように凍り付く感覚を味わっているようだった。一流の戦士たちを揃って戦慄させる策略に、マオが口笛を吹いた。
何より『オロバ』をまるごと、セーマを誘き寄せる餌としたことがすさまじい。バルドーはセーマがアジトを襲うことに関してまったく不意を突かれていた素振りだった……つまりドロスはバルドーにも、もしかしたら首領にさえ黙ってこの策を仕込んだのかも知れなかった。
とは言え、とマオが肩を竦める。
「ぶっちゃけ、ここまで上手く行くとは向こうも思ってなかったろうね。何せさっきも言った通り、用意周到とは言えない策だ……セーマくんが魔剣士の討伐を最優先にしてたら、それで詰みなわけだからね」
「それにリムルヘヴンちゃんが俺たちと合流するのが前提の策だ……アリスちゃんも来ると踏んでいたとは思えない」
「いや、そこはどうだろ? あの拗らせヴァンパイアのことだ、どこかしこでもアリスアリスと喧しく騒いでアリスコンプレックスを周知させていてもおかしくないし、あいつが暴走したんならアリスが動くのも織り込んでたんじゃないかなあ?」
「アリスコンプレックスて」
冗談めかした言葉にツッコミを入れるセーマ。怖気だった感覚が、他愛もないやり取りでいくばくか癒される心地になって、彼はマオに感謝した。
とはいえいつまでもそうしてはいられない。推理が正しければ、マオの言う通りクロードは今やアインを襲っていたとしてもおかしくないのだ。
焦りで汗を一筋垂らしながら、セーマが言った。
「マオ……力を貸してくれ、頼む。どうも奴らには、先手ばかり取られている」
「弱気だな……しっかり目的は達してるじゃないかよ、君。王国南西部の『オロバ』は壊滅させたんだ、あともう少しさ……任せろよ、私はいつだって君と共に戦うぜ」
対して不敵に笑う、マオ。その瞳は激しい怒りが渦巻いている。魔法を悪用している『オロバ』への星の化身としての怒りと……セーマをまんまと罠に嵌めたドロスへの、女としての怒りと。
憤怒を湛えた笑みで、しかしエメラルドグリーンの少女は華やかに言った。
「だからそう、小物風情に気を張るな。策略家気取りにたっぷり教えてやろうじゃないか──勇者と魔王、最強タッグの恐ろしさを!!」
「……ああ!」
マオの励ましに、セーマは気を入れ直した。恐るべき策略とて無理矢理にでも突破するという気概と力がみなぎる。
かくしてセーマとマオ、勇者と魔王のタッグは急ぎ、村へ向かうこととなったのだ。
これにて「王国魔剣奇譚アイン」の年内最終更新となります。
ご愛読ありがとうございました。
引き続き来年も正月から毎日更新といたしますのでよろしくお願いいたします。
来年明けてすぐにでも、物語はクライマックスを迎える予定です。
中々粗もあろうかと存じますが、最後までアインの物語にお付き合いいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
それでは皆様、どうぞよいお年をお迎えください。
てんたくろーでした。




